月別アーカイブ: 2017年2月

月は何処で見ても美しい

意外と近いんだなと思うかもしれませんが、そこには時差と言うからくりがあって、単純な計算プラスおよそ3時間です。朝に出発して、その日に着くのは良いのだけれどうんざりするほど飛行機に乗ってようやくインドに着くと、美しい満月に近い月が私たちを迎えてくれたのでした。

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どこで見ても見上げれば同じ月です。

だけれどバスに乗ってホテルに向かう間に、私は「ああああ、インドだ~!!」とじわじわと感じる事が出来ました。もちろんバスの窓から見えるデリーの独特の夜の街並みと言うのもそうですが、最初に「インド」を感じさせたのは、なり続けるクラクションだったと思いました。

本当にあっちで「プゥー」こっちで「バァー」、はっきり言って「プー」プー」プー」。

凄いなあと思いました。

日本で派手にクラクションを鳴らしたら、それは

「おい、ぼけってしてるんじゃないぞ。信号が変わってるのに何やってるんだい。」的な事も多いし、

「あぶないじゃないか、このボケっ。」的な…とにかく「このボケっ!」と言う場合が多いかもしれません。鳴らされた方も(-_-メ)ムカッと来る事もあるかも。

(だけれどよほどの本当のボケではない限り、降りて行ってまでどうのこうのと言う事はないと思います。)

いずれにしても、そうそう派手なクラクションを聞く事はないと思うのです。

インドの方々は、そんなに危ない運転をしてるわけなのと窓の外を思わず見ていると、やっぱり結構危ないなあと感じました。右折するバスにギリギリまで直進で突っ込んでくるし、曲がるバスと車の車間が本当にないに等しい。

ここの人たちはこういう運転で、皆慣れているんだな、凄いなと思いました。

だけれど翌日の昼間にバスに乗って感じた事ですが、それは「危ないじゃないか !!」の「プー」じゃなくて、

「前の車が急に止まったから、俺も止まる。後ろのやつは気を付けやがれ。」←お下品 ^^

「俺、追い越すからな、注意しろよ。」の「プー」。いわゆる注意喚起なのかなと思いました。

所変われば、いろいろ変わる。

それを知るのが旅の醍醐味。

一番最初の、インドでのインパクトは鳴り続けるクラクションだったのでした。

インドのタクシーは三輪車。ちょっと懐かしいような気もします。黄色が可愛いです。

バイクの二人乗りなんかは常識みたいで、4人乗りも見ました。若いパパさんが運転していて、パパさんの前に小学生ぐらいの女の子。パパさんの後ろに幼稚園ぐらいの男の子。その後ろに若いママさん。家族四人でどこかに行く途中なんだと思います。

若いパパさんが「バイクを買って来たよ。」と言ったら、家族そろって「わーい」って喜んだのかなと、そんな事を想像していたら、なんだかほっこりとした気分になりました。でもちょっと怖いな。パパさん運転、気を付けてね~。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者canshisuy 11:31 | コメントをどうぞ

笑我一世癡惘,伴我三載迷茫

半卷別離,難言歡笑,半卷癡惘,難言放下。彈指間,匆匆三年伴著一曲離殤,默默別去。倚首,看著影子悄然逝去,可憐,可恨,可也別無他法。只有當淚水湧上眼角時,輕拭淚,忘了痛,懷古傷今,笑談:我輩本無情懷孕飲食

半卷別離,一世之殤

初夏,幾奏綿雨輕拭淚,幾曲驚雷話傷心。過去,沒有影子,沒有淚水,只有長相侍的痛。一個人獨自感懷早已逝去的傷,輕唉,默頌,偷偷在掌心鐫刻:一次又一次的落寞。心愈加孤獨,手亦疼痛異常,方知倚首輕思:別離如此匆匆,還未細細感傷,三載青蔥便已不再。一天又一天,一次又一次,往往複複走在熟悉的路上,愈加陌生,熟悉的一切早也滄海桑田,化作倒影。妄圖回首,無奈卻發現身旁的幾道影子,愈來愈淡,就連腦海裏的影像,也早已伴著歲月的流逝模糊不清。

或許數載後,再相聚,也早已忘了眼前人是誰,也忘了彼此間的一點點羈絆,曾經的點點滴滴一一皆被歲月輕輕埋葬。想哭,沒有眼淚;想恨,愈加迷茫。只是,一個人跟在歲月的腳步後,行行複止,宛若傀儡,變得麻木——沒有思想,沒有靈魂。就算,在別離前,也只是愈加淡然,沒有眼淚,沒有傷心,沒有痛苦,只是一味認為:我輩本無情。卻未曾想到,雨落,驚魂,也驚動了彼此的凡心。在這個匆忙的夏,彼此立下匆忙的約定,想笑,卻不知,心房為何愈加酸痛。或許是痛苦迷離了雙眸,終究還是留下了眼淚。拿淚贈別離,誰解情殤;誰,道:無情養陰丸

半卷紅塵,一世癡惘

生如夏花,貪戀紅塵;死如霜雪,流落人間誰人知?或是這本就是宿命,無人問卻的宿命。人生本就多桀,多少痛苦,難以舍去。唯奈何邊含恨無言苦忘今生,有悔,更恰似無悔。幾度回眸,幾載人間,白駒過隙,忽轉而已,一世宛若浮萍,在癡惘之海浮沉,往往複複,了無痕跡。一花,一葉,一菩提,一世界,芸芸眾生間,你我,如此渺小,如此孤獨。所以無奈,只有與寂寞為伴,共度漫漫長夜。因為孤獨,所以漸入紅塵,因為落寞,所以貪戀紅塵,因為留戀,愈加癡惘。埋沒在癡妄中,獨自迷離,終究是誤了歲月,忘了殤。

紅塵太美,歲月太苦,所以她寧可葬在紅塵,也不願留戀歲月。從樹上飛下,誰知?散落塵世幾人還,或許前路蒼茫,悔否?且看著她的影,她的淚,她的笑,終悟了。或許,夏花,愛的不是絢爛,而是流落紅塵的那一刻,寧可一世癡惘,亦不願一刹覺悟。佛,太美,但不願,也無緣。不願負了卿,那便只好負了如來,到頭來只好一個人,苦悵:我輩本無情。人生,又何談不是dermes 價錢如此,貪嗔癡,在浮沉中如何舍去。即無法,也,無奈,那麼,便只好輕撫半卷紅塵方知:一念,世俗了;一戀,紅塵生。

留下,離去,於我何謂。逝去,長生,於我何干。生死,幻滅,緣起緣終。既然無法面對,那便讓淚打濕長襟,將其埋葬,畫上半臉妝,遮一生迷離。人生總無眼淚,只是應景是灑落幾滴汗水,說是無礙,話了心酸。可是人生真無淚否?或許,有,又或者無。若無知覺,落淚時又怎知在落淚。也許只能自欺欺人:我輩本無情。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者canshisuy 11:41 | コメントをどうぞ

人生風雨無數,有你才是歸處

如今,又是一個雨天,還是一個雨夜,有點點雨絲穿越了夜的靜謐Dream beauty pro 黑店,攜帶著秋的涼意,滴滴答答落在我床邊的窗沿。偶有打在玻璃,“怦怦怦怦”仿佛有人敲窗,是你嗎?

還記得與你的相遇,也是一個雨天。火車在“尼伯特”的肆虐中不斷前行,穿過一座座因大雨籠罩而扭曲變形的城市,經過36小時的漫長顛簸,來到了你面前。路途中其他的心酸苦楚自不必多說,那一天,身心俱疲的我們與你初次相遇,而你,雨後初晴,安詳平和。那一刻,我們的心驟然平靜。

不得不說,時光與緣分的確奇妙,它不偏不倚,不早不晚,在躲過了風口浪尖的時候,讓我們與你恰好遇見。我們開始了與你15天的生活,在這段時間中,我們認識了許多的人,也做過許多的事;我們看見過綿綿細雨中溫柔的你,也見識過疾風驟雨中多情的你,更體驗過狂風驟雨中暴躁的你。不同的雨天,不一樣的你,不曾變心卻註定要走的我們。

是的,我們會走Hifu 體驗,我們留戀這裏卻不屬於這裏,所以我們註定要走。走的那天依然是個雨天,滴滴雨點用力地敲打著車窗,“砰砰砰砰”聲音似乎急促了許多,是你嗎?

前一段時間,一個人去看了一場電影《從你的全世界路過》,看著豬頭跟在計程車旁邊跑邊敲窗,喊著“燕子,沒有你,我怎麼活;燕子,你帶我走吧,燕子。”忽然感覺眼眶有些酸燙,無關愛情,只是想到了當初離開你的場景,自問:我回頭了嗎?我,哭了嗎?哦,我哭了,就在離開不遠後,雨水驟停,於是我回頭了。身後,依然烏雲密佈,陰翳厚重。但我知道,烏雲的下麵,是你啊!

還記得《全世界》裏開頭陳末在電臺所說的那一句話:“今天的你路過了誰,誰又丟下了你,從你的全世界路過……”但其實更令人感觸而心酸的應該是,曾經答應彼此同行,到了終點,一方只能就此止步,而一方卻必須前行楊婉儀幼稚園,於是我們淚流滿面,步步回頭,繼續向前走。愛與被愛,都是殊榮,城市在下雨,而我在想你。

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