唯願安好歲歲年

因緣而聚緣盡散;花開葉落各自賞,詩情話意鴻雁訪。你知我心白鳳丸功效,我明你情,各懷一份懂得,把流年的寂寥丟在風裏,用晶瑩的晨露串起往昔的點滴美好,用細微的筆觸和真情細心收藏,於是乎,路上,每一站,都能聽到你撩弦譜曲的節奏,每一程都能聞到你燕語呢喃的嗦念。願時光不老,花香不散,你我常安。

在異鄉的風鈴聲裏,綰結的心事在光陰深處漸漸斑駁而塵掩。心中,只留一個朦朧的剪影相駐,任思緒湧動、漣漪,最怕看落筆的心語,隨著風雨遠去。只願此景常駐於心,花香滿徑盈懷。七月,赤熱的陽光落在身上,願在濃密的花間遊走,撚一朵,淺笑著,與柔情相擁,幸福,就此漾開,滿目繽紛,書一段柔於花瓣,囑風而攜,散與你的胸懷。

靜聽一曲《偶遇》而眷戀曾經。多想,再次站在初識的路口,拾起回憶,重溫舊歡,相守花開葉落賞雪舞。路上,時時因你心念生香,在異鄉的街道,我,等待著,等待著再一次的相約。

你雙眸如秋水,蘊著花的情愫,千般柔緒滑落我的掌心。這愛,這情,凝著雨露,擁著花香,在我的城池中漫延綻放。在相識的歲月裏,總有簫聲琴語,幽香縈懷,縱然風摧雨打飛紅盡,依舊賞雪尋梅跡。

借一縷唐宋煙雨,隔著時光,與思念對坐,斟茶,把盞,獨自傾杯白鳳丸功效。在晨鐘暮鼓聲裏,相思的淚滴已被深鎖高閣,箋箋心思都已打包,沿著花開的方向,寄向彼岸……

溫一壺相思的情愫,煮一段陳年的舊事。讓長髮落肩迎風舞,衣袂飄飄舉樽飲;扯一縷清風入弦,抬眸高歌。又曰;“心中若有桃花源,何處不是水雲間”?披一襲柔光織錦,在相思的苦海裏,用守望的姿勢托起日月,在輪回的悸動裏,讓思念在飛逝的日子裏,柔情滿溢,濤聲依舊。

風,穿梭在古巷街角,一汪難忘的情在心底流淌。在墨香盈室的孤獨中,如蓮的心事散落在煙波清韻裏,化作了一簾癡夢,隨風漫舞。紅塵如夢,柔情深種,身處水墨江南,我把心卻無處安放,在寂寞的時空裏,用遙望將相思的光陰揉搓拉長。

如今,關於你的風景,都在我心低穩座,於我,繁華如錦不如你,因你而深情,因你衣帶漸寬終不悔。紅塵有你,倍感幸福。我對著天涯,聲聲道:“你若安好,便是晴天”。在這個多雨的夏天,我牽著風雨的衣角,攜著相思獨自清歡。為你,我願,獨賞花開,臨風遙望……

在江南這個多雨的夏天,有諸多美景入眸,有鳥唱蟬鳴入耳。我,無論低眉,或仰首,唯想刪繁從簡,將歲月流芳盡收眸中;無論相聚,還是離別,只要駐心,心純情真,途經的都是煙花般的璀璨;無論白日或黑夜,心有思念,皆可心染花香,落箋成詩。

漸懂,讓善念入墨,落筆輕盈,讓詞闕清亮,那麼,再灰暗的日子都將有歡喜盈懷白鳳丸功效,再迷茫的旅途都有陽光,即使山重水複,流年薄涼,也會有詩意飛揚。始終相信,在季節的轉角處,會有清風明月,閑雲逸趣,綠意蔥蘢。

又曰;“一念天堂,一念地獄”。心中有愛,花香傾城。我默念成誦,素心如蓮意念打坐,不羨芳菲爭豔,不嫉花香引蝶,唯願用低頭的溫柔去感化人間寒冰,用如水的情懷去柔化世間的冷漠,用滿握愛的雙手去播種真情,一路書寫俗世塵埃中的美景華章。入紅塵,質本潔來還潔去,願以詩意將愛棲息,將平仄的字元化為低吟淺唱,將一份美好的癡願許於未來。

喜歡泡一盞清茶,與歲月對飲,摘一束野花,聞香漫步。在俗世塵緣中,諸多思緒,早被江南的馨風吹散。偶然想起熟稔的詩句,讓塵封的心情,漸漸蘇醒,那些賞梅煮酒的記憶,開始在腦海中激蕩。時也想,往昔的詩句,是否被你珍藏。

漫步池邊,荷香,喚醒了我沉睡的激情,闌珊處,我織字為裳,環佩叮噹,用深情的執念,召喚著千裏之外的知音。念你,嘴角上揚,心裏,暗香浮動。想你的心依舊。

攢眉千回,我只願與你共舞。眼前,你的幻影如初。耳邊,飄過你的聲聲呢喃,想問,那初遇的情懷,你,是否相擁?楊柳岸邊,經年過後,我是否能再次抵達你的渡口?而今我的世界很灰暗,紅塵裏,你一直是我最美的等待。那青山綠水間,十指相扣的地方,便是我此生的了悟皈依。

守候在離別的街角,思深念濃,心中搖曳的情愫,落箋成語還休。風中,我擎一把舊日

油傘,等著你的歸航。今生,你永遠是我的單曲迴圈,心無旁騖。

你是我的暖,撩弦欲彈,十指零亂,沒你的歲月,落步成傷。我虔誠地默念成誦,只願,愛能修成正果,往復輪回。只盼,煙雨紅塵,不再空待。且珍相惜,唯願我們相攜一路,聆聽花開,看歲月靜好。願,路上,有你伴我,賞美景,踏芬菲……

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私は風間さんに声をかける

・・・その後行われた訪問先でのプレゼンは大成功だった。
風間さんは全てをそつなくこなしたし、お客様も満足そうに見える。
多分この感触なら契約に至るだろう公屋再按揭と、私の目から見ても確信できた。

流石の風間さんも少しホッとしたような表情をしていて、この人もプレッシャーとか感じるのかな、なんて素朴な疑問を感じたりもした。

大仕事が終わった後、午後は既存顧客を何社か回り気付けば時刻は定時間際だった。
最後の訪問先を出ると。

「今日のプレゼンの反応上々だったね。あれなら上手くいきそうな感じ」

「おそらくな」

「でも、風間さんも何気にプレッシャーだったんじゃない?終わった後ほっとしたような顔してたよね」

「・・・いや」

あれ、珍しく歯切れ悪い?
いつもなら即否定してきそうなもんなのにさ。

でも、私が首を傾げつつ見上げると、彼は明後日の方向を見ながらこんなことを言った。

「上手くいかねば槓桿比率、お前と打ち上げができんだろう」

「え?」

ぼそりと呟かれた言葉を思わず聞き返す。

今なんて言った?
打ち上げができないとかなんとか・・・。

・・・まさか、私と打ち上げしたいから頑張っちゃったとか!?

「もしかして、打ち上げの件結構乗り気だった?」

「そんなことがあるか」

「だって、そのために頑張っちゃったんでしょ?」

「馬鹿を言うな」

やっぱり歯切れが悪い。
こりゃビンゴだな。

私は緩む口元を必死で堪える。
なんだよ、私との飲み会楽しみにしちゃうとか風間さん結構可愛いじゃないか。

・・・でもさ、だったら何で左之との約束優先させようとしたわけ?

「けど、今日は左之と約束しちゃったよ。そんなに乗り気なら左之に断って・・・」

「必要ない」

「けど・・・」

「後日、仕切り直せばいいことだ」

あ、そういうことですか。
結局打ち上げはやるんですね。

でも、風間さんもその気だったと分かって私は俄かにテンションが上がった。
お前は必要ないなんて言われてちょっとムカついてたけど、今回だけは許してやることにしよう。

「りょーかい!じゃ、店決めとくね!」

私が笑顔で背中を叩けば、風間さんも薄ら笑みを浮かべなが搬家ら「ああ」と頷いてくれた。

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仲間に入れてもらうことにしたんだ

私が待ち合わせ場所の居酒屋に到着すると、永倉さんの隣の席には左之の姿があった。
驚いた私が素っ頓狂な声を上げれば如新產品、彼は「よお」と笑顔で手を上げる。

「ど、どうして左之がいるの?」

「俺も今日はぼっちだからよ」

「え?」

私は思わず眉を寄せる。

左之ったら、雪村さんとはラブラブで上手くいってるって話だったよね?
なのにイブに一人ってどういうこ楊小芳と・・・?

でも、私の表情を見て察したのか左之がははっと笑った。

「大丈夫だ、千鶴とは上手く行ってる。ただ、今日はどうしても社長と同行しなきゃならねえ案件があるから会えないらしい。ま、仕事だから仕方ねえよな」

「へえ、そうなんだ・・・」

左之は相変わらず優しいな。
彼女がクリスマスに仕事を優先しても怒っている素振りも無い。
・・・ま、彼女は社長さんの秘書だからその辺は諦めるより仕方ないんだろうけど。

「それよりお前はどうしてこんなところにいるんだよ。風間さんはどうしたんだ?」

「仕事が忙しいからそんな暇はないってさ!全く冷たいよなぁ」

「まぁあの人はクリスマスごときで浮かれそうなタイプにも見えねえからな・・・。」

苦笑する左之に無言で溜息を返した私は、ドリンクのメニューを手に取る。

「さー今日は飲むぞー!」

「そうだそうだ!がっつり飲んで嫌なことは忘れちまえ!」

永倉さんが私を煽るようにそんなことを言う。
だけど、盛り上がる私たちを余所に左之はソフトドリンクのメニューを手に取った。

「あれ、左之は飲まないの・・・?」

「ああ。千鶴は帰りが遅くなるだろうから後で車で迎えに行ってやろうかと思ってな。だから悪いが俺はウーロン茶だ」

「へえ・・・」

愛されてるんだな、雪村さん。
それに比べて私ったら、仕事に負けちゃうんだから・・・。

何だか惨めな気分になった私は、はぁと上目遣いに天井を見上げた。

それから暫くの間、私は無心になってお酒を煽った。
永倉さんも結構飲んでたけど、私はそれを上回るスピードでグラスを空けていく。
おいおい大丈夫か、なんて声も聞こえてきたけどそん林二汶なもんは当然シカトだ。

・・・でも、もう何杯飲んだか自分でも分からなくなってろれつも怪しくなり始めた頃、「そろそろいい加減にしろ」と左之にグラスを取り上げられた。

「ちょっと、返してよ!」

「ダメだ。やけ酒もいいが、度を弁えろ」

カテゴリー: 未分類 | 投稿者canshisuy 15:42 | コメントをどうぞ

一番お手軽な方法を使って

私は自分が楽になりたいから逃げようとしているだけなのかな。
ふとそんなことを考える言語治療

一番楽で、私は苦しい現実から目を逸らそうとしているだけなんじゃないんだろうか。

・・・そして浮かんだのは、私に向かって諦めないで欲しいと懇願するように呟いた総司の声。

無言のまま立ち竦んでいた私に、土方さんが腕を延ばしてくる。
そして何かを促すようにそっと私の手を握り締めた。

土方さんの手のひらは温かい。
緊張からかすっかり強張ってしまった身体を指先からその熱がゆっくりと溶かしていく。

まるで素直になれと言語治療、触れた場所からそんな彼の想いが伝わってくるように。

私はゆっくりと顔を上げた。
土方さんは詰め寄るでもなく、責めるでもなく、ただ真っ直ぐに私を見つめている。

彼は私を好きだと言ってくれた。
なのに、私はその想いにちゃんとした言葉を何も返してはいない。

もしかしたら、最初から私に逃げ場なんてなかったんじゃないか。
だって、この気持ちからはどうしたって逃げられやしない。

彼を想うが故のこの込み上げるような衝動からは言語治療、そもそも私は逃げる術など持ち合わせてはいないのだ。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者canshisuy 12:00 | コメントをどうぞ

今日に限っては俺にもある

だが、こいつの不注意の原因は。
だからそれを全部押しつけて、女の雙下巴こいつをこのコーヒーまみれの狭苦しいソファーに寝かすのは少々気が引けた。

「・・・いい。お前はベッドで寝ろ」

「でも、私のせいでご迷惑かけるわけには・・・」

「今さら何言ってんだよ!迷惑なら今まで何万回も掛けられてる!」

だが、あまりにもソファーの状態が酷いせいか、葉月はしつこく食い下がる。
そして俺もそれを断り続ける。
・・・暫くの間、平行線の譲り合いが続いた。

そして、いつまでも続く不毛な言い合いに、いい加減俺が疲れ果てて来た頃。
単なる勢いなのか、物のはずみなのか、それとも確信犯なのか・・・。

・・・気がつけば俺は、こんな事を言っちまってたんだ。

「あーめんどくせえ!だったら二人でベッドに寝りゃいいじゃねえか!」

言ってからしまったと思った。
これはどう考えても葉月をドン引きさせるパターンだ。

またさっき風呂場で裸を見ちま脂肪肝治療った時みたいに、エロオヤジだのなんだのって言われるに決まって・・・

「・・・分かりました。」

「は?」

俺は耳を疑った。

「分かりましたって・・・嫌じゃねえのかよ。」

「別に大丈夫です。土方さんはお父さんみたいなもんですし」

「俺はそんなジジイじゃねえ!!」

だが、そんな俺の言葉を涼しい顔で受け流した葉月は零したコーヒーの後片付けを始めた。
そして、コーヒーの黒い汁が滴るソファーのカバーをずるずる床に引き摺りながら洗濯機まで運んで、さらに被害を広げ俺の逆鱗に触れた。

・・・ったく本当に学習しない流動數據服務奴だ。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者canshisuy 13:26 | コメントをどうぞ

画風が変化するのは珍し

ゴッホも初期はまったく作風が違っていた。
ピカソは14歳の頃に、子どもと思えないほどの、才気の萌芽が感じられる絵を描いていた。
くない――というより普通は変遷を辿りゆくものだから、驚く話ではないのだが『常識的な』絵がやや意外だった。こちらは、ポスト印象派の影響を受けた筆致で、後年のダリの作風を予想させるものではない。

それ以外にも、点描を用いたスReenex 好唔好ーラ風のものや、ピカソへの崇敬を思わせる絵など、試行錯誤し昇華していった痕跡がみとめられる。

会場が混雑しているのは、入場者が多いから、というだけではない。

ダリの絵は、メッセージ性が高く、謎が多く、主題が非常に複合的である。

芸術作品には「一目見て理解できるもの」「全く理解できないもの(或いは観覧者が理解を放棄したくなるもの)」がある。
後者は――例えば、キャンバスをカッターで引き裂いただけのものなど(私見である)。

ダリの絵は、そのどちらでもない。
後年の写実性の高い作風は、描きこまれているひとつひとつは理解しうるものであるのに、総合的に把握することは難しい。
この絵は、裸婦にも見えるが馬にも獅子にも見える物体が描きこまれている。
観覧者たちは、絵の前で一瞬戸惑いをおぼえる。

そこで説明文を読み、またその視線を絵に食い込ませ、ようやくひとつの解を得る。
それでも、彼のメッセージを完璧に理解してはいない。
もっと深淵なものが潜在する。

ひとつひとつの絵で、皆、逡巡をおReenex 好唔好ぼえるため、どうしても列の進みは遅々となるのだ。精神分析や科学、相対性理論にまで踏み込み、絵画や映像等にもその天稟を発揮していく。

その世界観には、ただ圧倒されるばかりである。

セルバンテスは「プティングの味を知るには、それを食べるしかない」という名言をのこした。
ダリの世界を些少なりとも知りたいなら、その作品に触れるしかない。高校生の頃、画集の中に「雨の日」を見た。

とても愛くるしい少女の表情がずっと心に残っていて、
もう一度見たい、見たいと願っていた。

しかし当該画集はとうの昔に絶版となり、画像を見つけることもできず、
もう邂逅は不可能なんだろうな…とあきらめていた。

しかし昨日、たまたまネット検索をしていたら、ひょっこりと
あの少女が現れたのだ。「パトラッシュ、僕は見たんだ。
あんなに見たがっていた、おおた慶文の『雨の日』を」

と叫び出したくなるくらい、感動した。

願いは忘れたころにかなう、というのは実は本当かもしれない。森林浴をしたような清々しい気持ちに満たされた。

種をまく人や農婦の休息風景など、心癒されるものが多い。

まだチューリヒ(六本木)、印象派(bunkamura)など観たい絵画が目白押しなので、
時間を作って行かねば!7月の連休中に立ち寄った時には「入場まで1時間待ち」と言われ
もう少し空いてから…と思って、平日休みが取れた時に足を向けたのだ。

入場制限はかかっていなかったものの、想像以上に観覧者が多い。
そしてその殆どがスマホ(カメラ機能)を使っている。

予定していた用事が早目に終わって、急きょ立ち寄ろうと思い立った私は
コンデジも一眼レフも用意していなかったReenex 好唔好ので、ガラケーで撮影してみた。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者canshisuy 15:42 | コメントをどうぞ

結構難航している

もちろん順調・・・とは言い難く、。準備万端で、4/28に種12個の下処理をしたのだが、このうち1個だけが根を出さなかった。根を出した残り11個は、5/5~16にポットに植えたが、順調に育ったのは4鉢で5/31と6/1に定植した。5鉢は発芽しなかった。
残り2鉢は、初生葉が矮小で発育が遅れた腋下脫毛。1鉢はもしかしたら鳥に葉芽を食べられたのかもしれない。
このうちの1鉢は小さな本葉が4枚程度開いたところで、6/10に定植。もう1鉢は6/18に大きい鉢の方が育つかもしれないと考えて定植した。

問題なく育ったのは3分の1。なぜ上手くいかなかったのかについては心当たりがあって、十分に根が出ないうちにポットに植えてしまったものがあった。おそらく、それらが発芽しなかった。ポットに植える際には、十分に根を出させてからの方がいい。

発芽率が悪かったために、5/21と5/26に改めて6個の種を下処理して水に浸したが、こちらは種の段階で全滅。
理由は簡単で、焦って温室で発芽を促救世軍卜維廉中學進しようとして、水温が上がり過ぎて種が茹ってしまった。
それで5/31に9個の種を下処理し、6/4~8に十分に根を出させてからポットに植えた。6月に入って気温も高くなっているので根を出すのも早い。寒い夜は温室に入れたりして、7鉢が発芽、2鉢が発芽しなかった。
7鉢は順調で、来週早々には定植できそう。

昨年は中長レイシ6鉢を種から育て、あばしゴーヤ4鉢の苗を育てた。今年は、昨年採れたあばしゴーヤの種で全部苗に育てることにした。種から育てられるという自信が多少ついたのである。

それでも、上に書いたように失敗はつきもの。来年のために、種から苗を作るための教訓を書いておこう。
①種の端を切る際は、根の端を痛めないようにナイフは斜めに入れる。→おそらく、発芽しなかった種のいくつかは、このせい。
②種は、常に水にひたひたの状態を保つ。
③シャーレは室内に置くのが良い。→温室も利用したが、結局のところ室内香港 夜景で気温の日変化が少ない所の方が発芽しやすいように感じた。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者canshisuy 11:59 | コメントをどうぞ

俺のリアルな引っ越しは

ところが世の中には引っ越しが大好きという人もいるから、良く解らない。私自身は、そういう人に巡り合ったことがないが、子供の頃、母から引っ越し好きな人の話を聞いたことがある。
曰く、「同じところに何年か住んでいると、飽きるらしいよ」

どれも必要に迫られてだったな。
最初は就職だった。この時は、埼玉県Pretty Renew 銷售手法のアパートに独り住まいだったので、必要なものを買い揃えただけだった。今から30年以上前、6畳一間に台所と便所のついた今風にいえば風呂なしのワンルーム。もっとも部屋は和室で、プロパンガスの台所に汲み取り便所で、家賃は1万5000円だった・・・

この部屋に、ビニールで囲った衣装掛けと、会社の先輩がくれた冷蔵庫とベッドをおいた。下着などの洗濯は手洗い、食事はほとんど外食だった。風呂はもちろん、銭湯。
休みの日は午前中は掃除・洗濯…とは言っても、6畳一間で洗濯量もたいしてないので、午前中で終って、ランチがてらに映画を見に行ったり、喫茶店で本を読んだりした。

当時から食生活には気をつけていたので、映画の帰りにスーパーに寄って、見よう見まねの手料理。バイブルに「ひとり暮らしのクッキング」という本を持っていた。
そうそう、米は電気炊飯器ではなく、昔ながらの小さな釜をガス台に載せて飯を炊いた。高校の時は山岳部だったので、飯盒炊爨(はんごうすいさん)はお手の物・・・かな?
飯盒炊爨というのは、飯盒と呼ばれる軍隊や登山などで使われる携帯用炊飯器で、米を炊くこと。

カレーを作ると、1週間カレーを食べ続けた。
いま思えばシンプルな生活だったけど、充実した日々だった。

転勤で東京の実家に戻り、結婚して都内の新居に移り住み、その後にもう一度転居した。
独り身は気楽だが、家族が増えるといつの間にか荷物も増えて、引っ越しは面倒くさい。最後の転居は家族4人で、先に家族を移らせて、ひとりで転居の準備をしたので、梱包などの準備に1か月、部屋中段ボールだらけになった。
電気・ガス・電話会社への連絡やら、郵便局への届け出やら、免許証・区役所・勤務先等々、雑事も多い。

事業所の引っ越しでも何度か陣頭指揮を執ったことがあるが、これも結構準備が必要。それを思うと、頻繁に引っ越しする人の気持ちがわからない。

さて、ブログの引っ越しはというと、データのSmarTone 上網エクスポート・インポートはサイト側にサービスがあるが、いざ今までと同じようにサイトを構築するとなると結構面倒くさい。リンクを張り直したり、登録しているタグを張り替えたり、なんだかんだで夜中になってしまった。
忍者ブログで丸5年。マンネリ感を抱いていたのも事実。引っ越し好きな人を見習って、今日から心機一転、新居のFC2で新鮮な気持ちになるとするか!

<お詫び>
データを移し替えた際、忍者ブログでの最近の一部コメントが反映されませんでした。たいへん申しわけありません。日にちをおいて再度試みてみますが、成功しないかもしれません。その際は、ご容赦願います。
また、コメントへのわたしからの返事はすべて反映さ康萃樂益生菌れませんでした。コメント数が多数のため、再度、返事を行うことができません。この点につきましてもご了承願います。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者canshisuy 13:21 | コメントをどうぞ

消極的な人たちへの配慮に欠けているのである

 報道のすべてを見ているわけではないので誤解があるかもしれないが、開催決定後の招致委員会メンバーのインタビューを見ていて非常に残念だった。
 メンバーやスポーツ関係者が大喜びするのは当然だが、被災地や開催に反対。

 私は年に一度、高校の時の仲間去暗瘡印方法数人と集まるのだが、昨年暮れに集まったときにたまたまオリンピックの話題になった。意外だったのは、オリンピック開催反対派が多かったことだ。
 おおよそ反対の人が言っている理由に近く、増税しなければならないような財政、被災地の復興・支援をなによりも優先すべきで、今はオリンピックに金を注ぎ込むべきではないというものだ。

 私の出身高校は東京下町にあるので彼らはみんな江戸っ子なのだが、面白かったのは反対している連中が今は東京には住んでいないことだった。
 よくわからない。よくわからないが、今も東京に住んでいる者と、今は都民ではなくなった者の微妙な意識のずれを感じた。東京に住んでいない者の冷めた目を感じたのである。
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 招致委員会メンバーや応援に駆け付けたVIPのコメントを聞いていると、全国民が東京オリンピックを望んでいるようなことを言う。
 おそらくこの流れは継続して、反対したり非協力的な人間は非国民扱いされることになる。
 そうではなくて、招致委員会メンバーや応援に駆け付けたVIPは、こうした反対派にもっと配慮すべきで、しかし残念ながらそうした言葉はなかった。

 オリンピックが開催されれば、おそらく東北経済にも波及効果がある。間接的には復興にも役立つ。しかし、それが被災地や被災者に直接恩恵を及ぼすかは未知である。
 少なくともこれから巨額の税金をオリンピック開催や選手の強化費として使うのだから、必ず復興・被災者の役に立つようにすると言ってほしかった。言うべきだった。

 国内に反対論が決して少なくない中で、反対していた国民も決まった以上はオリンピックに協力し、最大限の効果をもたらすようにしようと思わせるのが政治家の役割だと思うが、首相以下、日本にそういう政治家はいない。
 開催地決定についても招致委員醫療券会メンバーや身内の努力ばかりを褒めて、この招致活動に税金を使われた東京都民へのお礼の一言もない。国民や被災地の人たちに対する感謝の言葉もない。
 唯一、レスリングの吉田沙保里さんが「国民の皆さんの協力のおかげ」と言っただけである。伊達に3連覇はしていない。

 福島第一原発問題に関しては、安倍首相がIOCのプレゼンで「状況は完全にコントロールされている。汚染水による影響は福島第1原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている。健康問題については、今までも現在も将来も全く問題ないと約束する」と嘘をついた。
 現状コントロールできていないことも、完全にブロックされていないことも、福島県の子供に高い比率で甲状腺癌の疑いが発生しているもわかっている。被災者の関連死も続いている。

 今回の決定で一番よかったのは、福島第一原発問題に関して安部首相が嘘ではあっても、このような国際公約をしたことかもしれない。

 今日、たまたま外出したらスポーツ報知の号外をもらった。
 7年後、東京オリンピックを開いてよかったと、政治家收細毛孔や私のような年寄りではなく、若い人たち、被災地の人たちがそう思ってくれることを願う。 

カテゴリー: 未分類 | 投稿者canshisuy 19:04 | コメントをどうぞ

Hello world!

Blog総合管理へようこそ。これは最初の投稿です。編集もしくは削除してブログを始めてください !

カテゴリー: 未分類 | 投稿者canshisuy 10:03 | 1件のコメント