12/9は雅子妃殿下の誕生日だったのね。ご成婚時のパレードの美しい笑顔を思い出す。それから時が過ぎいろんな苦労を刻まれたことでしょう。おりしもキャサリン妃のニューヨーク訪問のニュースが流れているが、あのように笑顔で海外公務ができるようお祈りするばかりである。
誕生日といえばその一日前12/8昨日は息子夫婦の誕生日だった。採れた大根、甘くなった干し柿、シクラメンの鉢植えを贈った。夫婦同日だといっぺんですむし、リメンバーパールハーバーの日だから忘れなくてすむね。お互い仕事持ちで勤務先が遠いからたいへんだろうが仲良くやっていってほしい。望みはそれだけだね。
今年ももう少しで終わる。1年があっという間だ。
感じる時間は自分の刻んできた年月を分母にした実数だという説があるようだが
今年は1/64年間、ということはたったの1週間分で1年間が過ぎ去ったということかな。
恒例の流行語大賞も発表されたね。
「集団的自衛権」
(それは)
「ダメよ~、ダメダメ」
とセットで選ばれた気がしないでもない。
どこかの号泣議員じゃないが政治家が金儲けの政治屋みたいで、そんな人に進路を誤らせてもらいたくはない。
テニス界にも話題をもたらせた言葉があった。
「勝てない相手はもういない」by 錦織圭 自民党
そんなことにならないようにしてほしい。
メディアも往々にして声が大きいほうに傾くような気がするから怖い。70数年前もそうだったのではないかな。
さてTV番組「こころ旅」も秋の旅が終わる。
火野正平さんが視聴者の思い出の場所を自転車で訪れる番組だ。ゼイゼイ、ハーハーと坂道を登り、ときにはボヤキながら、ときには冗談を言いながらの自然体が良い。
風景は他人にはなんでもないようなものだが、その人には当時の思い入れがいっぱい詰まったところなのだろう。それが特に同年代だとよく想像できる。
それに道の途中で出会う人たちが優しく温かい。正平さんも俳優の仕事がもらえないのですと言っておられるがしばらくは止められないだろう。
そうだラジオ番組でガンジーやユル・ブリンナーの役ならできるとおっしゃっていたが、アンドレ・アガシの役もできると思う。テニスの腕前は存知ないけど。
あなたのこころの風景はどこだと連れ合いが尋ねる。
さてどこだろう。
故郷は18年間しかいなかった。その後の10年程は会社の周辺で寄宿舎、下宿、社宅暮らしだった。
29歳でこの地に家を構えたから一番長いのはこの地なんだが。
心に残る風景が思いつかない。
テニスは33歳ぐらいから始めて、数年後に近くの山を削って新しくテニスコートができたので、それ以来25年以上はこのコートでテニスをしている。
最初の10年は自己流だったけど少しずつ上達できている実感があって楽しかった。(今も動きは衰えたけどテクニックはいやらしさを増していると思う)
クラブも会員が多くなっていって運営にも多く関わった。苦労もあったけどいやではなかった。でも最近の10年は苦々しく感じることが多い。
最近もなにもしないで文句タラタラのひとと半部口論気味になった。
よくも25年も付き合ってきたなと我ながら感心する。
我慢を覚えた25年間、それを成長と思うしかない。
私なりの今のこころの風景は
「藤棚から見る××山」です。
あの山が雲で隠れると5~10分後には大雨となる。わかっていながらテニスを止められず、ずぶぬれになりながら駐車場まで走る。思い出が詰まった場所だ。
ファイブKさん、こんにちは。
久しぶりにK町のテニスコート見ました。藤棚もなつかしいですね。
>最近もなにもしないで文句タラタラのひとと半分、口論気味になった。
文句タラタラの人は、相変わらずなんですね。
私も、クラブ対抗のチーム代表していた時に、藤棚の下で、副代表と大喧嘩、結局、チームをたたんで代表を下りることにしました。今では、これもなつかしい思い出です。
そう言えば、昨日、20代の女性と試合をする機会がありました。
彼女は、インターハイで団体優勝をしたほどの猛者、当然、軽くひねられましたが、彼女いわく、「私も前はK町のテニスコートで毎週テニスしていたんですよ。」と。
「・・・・・・・」
「こんな、上手な娘いたっけ?」「・・・・・」
「もしかしたら、お父さんがよく球出ししていた・・・、妹と一緒にテニスしてた。」「そうです。」
年齢をとるはずです。あの小さかった子が、こんな立派なお嬢さんになって。
これもなつかしい、思い出ですね。
レフティさん、ご無沙汰です。
その人はかってクラブ対抗戦に参加していました。今、それの登録費は参加者で負担すべきとのご意見でした。また総会の弁当代も個人負担にすべきと。こちらも長い間出席され利益を受けてこられたのですが。総会に出席して自論を主張されたらと問うと、反対されるから行かんとの回答でした。自分の損得だけが基準なんだろうと思います。70近いオッサンが子供みたいな精神構造ですは。
クラブ対抗戦に参加する人たちが多くの役目を担ってきた(今もそうだと思う)からテニスが出来ていることは理解できないのでしょう。
よくもこんな人のために世話役をやってきたかと思うと情けないです。
ところでレフティさんを軽くひねったお嬢さんというのは姉弟(弟さんは今年県のチャンピオンになった)の左利きの姉のほうのことですか。(近所の大学生です)
>妹と一緒にテニスしてた
といわれると違うようですが。
その姉弟は私たちが運営したテニス教室にも参加していました。
私たちのクラブも少しは社会の役に立ったかもしれませんね。
ファイブKさん、こんばんは。
>よくもこんな人のために世話役をやってきたかと思うと情けないです。
そんなことはありませんよ。
ファイブKさんが、一生懸命されてきたことは、周りの皆が認めていることです。
どこの組織にも、1人や2人はこんな人がいるものです。「天知る、地知る、我ぞ知る。」最近、こうでないとダメなんだとよく思います。ただ、その境地に自分は程遠いとも。
>ところでレフティさんを軽くひねったお嬢さんというのは姉弟(弟さんは今年県のチ>ャンピオンになった)の左利きの姉のほうのことですか。(近所の大学生です)
違うのです。彼女は、「左利きのお姉さん」を高校の後輩だと言ってられました。
Kテニスクラブは上のコート、私はBSサークルで下のコートでテニスをしていた時に、彼女は中2くらいだったのでしょうか。厳しいお父さんの球出しに懸命にボールを追いかけていました。妹は小学生で、一生懸命に球拾いをしていました。
我がチームのホームコートの近所にお住まいのようで、私が現在、通っているテニススクールのコーチもされているとか。彼?も何かのクラスのチャンピオンのようで、さわやかな2人に、あっさり、やられてしまいました。
レフティさん
あの福井の強豪高に行っていた人が他にも近所にいたんですね。それは失礼していました。タイガースに入団した子もいますし、才能ある子が傍にもいるんですね。
ホント「鉄は熱いうちに打て」ですね。私はもう熱しただけでボロボロのなるでしょうが。サビシー!