104回目の誕生日

シモナ・ハレプ選手は一時は出るような報道もされていたようだが、結局残りの大会を欠場したね。私ごときが言うのもなんだが賢明なことだったと思う。

無理してそれこそ選手生命や残りの人生まで影響しては一大事だ。ファンとしては怪我が治ってベストなプレーがまた見られることを期待しよう。

私の椎間板ヘルニアも治りが悪い。痛みは少なくなったが右脚に力が入らず、思うようなテニスができない。筋力低下だけではなく神経の影響もあるようだ。

テレビの番組で頸椎のズレは収まっても神経は元に戻らないようなこともあると言っている。私も破れた椎間板が元に戻ったわけではなく、圧迫する分が少し弱まっただけだろう。

無理は禁物・・・といいつつ一番いけない農作業をしている。玉ねぎ植えも今しかないんだよな。

さてお盆は痛みの真っ最中で帰郷することができなかった。

母が104歳を迎えたので義母(89歳)を連れて実家に帰った。

流石に耳が遠くなって子供たちとの会話に入りづらくなってきた。

時間というのは不思議だ。これからの104年を思うと長いが、ここまでの104年はたぶん短かったと思う。(68年でも短いと思うのでそうだろうと思うだけだが)

ニュートン力学ではどこでも時間の経過は一定だというが、心の中では違うな。

子5人、孫10人、ひ孫何人いるか知らない、玄孫2人

ひ孫の一人は2~3歳のころ、我が家に来たことがある。その子は19歳だかで子供が出来て玄孫第一番だった。20年はあっという間だったな。

残念なことは孫の一人が38歳くらいだったと思うが今年中3と小6の子を残し、病気で亡くなくなったこと。人生は何が起こるかわからない。

帰りに綿の木(木じゃなく多年草か)をもらった。

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綿花とかいうけれど実(種)だね。じつは花を見たことはない。オクラみたいなようだ。

松阪では戦後も綿栽培があったと聞くが、綿花畑を見ることはなかった。木綿布の産業も有名だったようだがあまり知らずに育った。

映画でアメリカ南部の収穫シーンを見たことがある。ガクのところはとがっていて摘むときは痛そうだ。今は機械化されているのだろうか。

綿をほぐしてみると小豆ぐらいの種がある。みっしりと綿毛がついていてとるのがたいへんだ。

繊維は専門ではなかったが、綿毛は中空で吸水性があるから肌着として使われるというのは勉強した。天然繊維は弱いのが欠点。合繊繊維と撚り合わせることはすぐに考えられたのだろう。

綿と混紡するための合成繊維の製造機械、ステープルファイーバーの機械を設計した。20~24歳くらいだったかな。

引き取り機とかキャン(缶)に一時収納するキャンコイラーとか、束になったトウを延伸するドローボックスとか。

懐かしいな。あれから40数年か。

今そんな機械を設計する会社はあるのだろうか。日本の産業も変わってしまったね。


カテゴリー: 日記 | 投稿者ファイブK 20:03 | コメントをどうぞ

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