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風景を見切さを教

 土?日の休日は庭の手入れであっという間に過ぎる。この季節、草むしり、採種、播種、剪定??、とやることは多い。しかし、傍らの草花と語り合いながらの作業は実に楽しく、しかも何も考えないで済むからいい。草花との生命の共鳴に新たな力が漲り、何とも穏やかで心地よい休日である。部屋に籠っていれば、仕Neo skin lab 代理人事を振り返ってはあれやこれや反省したり、愚痴や批判を口にしたりと余計に疲れ、不快な休日になることもある。そんな意味で殊更庭の木々や草花に感謝しなければならない。
 今日はいま咲く「○○セージ」と呼ばれているシソ科サルビア属の花を掲載しよう。いつの間にか、他の草花への光を遮るほどに成長してしまった。移植を考えねば??。

 『日本書記』の神代に「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)」と記されている。瑞穂の国とは、葦が生い茂り、永遠に穀物が豊かに実る国とする日本国の美称である。瑞穂とはみずみずしい稲穂のことで、稲が多く取れるということからそのように称されたらしい。黄金色に垂れる稲穂健康生活が波打つ秋のた西欧人は日本を“黄金の国ジパング”と呼んだのも容易に理解できる。日本の風景は稲田なしには語れないと言ってよく、実り豊かで美しい秋の情景がいつまでも日本人の原風景であって欲しいと心から願う。
 
 「山から村里を見下ろすと、あちらこちらの豊かに実った稲田で、黄金色をした稲を刈り取っている人たちの姿が見える。よく晴れた穏やかな秋日和のことだ」と子規は詠嘆を込めて詠んだ。しかし、里の人たちにとっては、冬から辛苦を重ねてやっと収穫を実感できる大切な実りの時である。深い思い入れで稲刈りを迎えている。子規はそのことも含め、温かい心持ちで眺め入ったと思いたいものだ。
 今は稲を刈り取りながら脱穀する自脱型コンバインで収穫する、ところが、昨日、夫が昔ながらに稲刈り機を使い、妻が稲束を架ける稲架を準備している光景に出会った。老夫婦の睦ましく逞しい姿が美しく、日常の糧を得られることへの感謝の念が改めて湧き出て来た。同時に自然の中で生かされているという謙虚な心を持つことの大わったような心持になる。軽率な日々を過ごす私は身の引き締まる思いに駆られた。その光景からミレーの厳粛で高貴な『落ち穂拾い』や『晩鐘』を彷彿させられたが、大袈裟であろうか。
 宮城の稲刈り時期は総じて9月中旬のこれからである。幼い頃から、稲が刈り取られてゆく光景に買機票本格的な秋へ向かうどこか儚げで切ない季節の区切りを実感させられて来た。稲刈りが終える頃には膨らみのある夏の雲はもうなく、空が高く澄み渡り、俗に言う“天高く馬肥ゆる秋”となる。それまで活き活きとした緑色の樹木の葉も次第に紅く染まり始めるのだろう。秋晴れの空、稲穂に乱舞するアキアカネを追いかけていたあの頃が懐かしく思う。瑞穂の国の古人が馴染んだトンボは一体どんなトンボだったのだろう。

 私だけでなく、レスポンシブではない固定幅レイアウトのテンプレートを使っている方々が殆どカラム落ちしたようですが、どうやらFC2システムの不具合は一時的だったようです。暫くは修正したこのテンプレートを使用します。
 前回の記事の続き「家族の重荷(続)」を書く予定でしたが、時間がなかったので、またの機会に書きます。どうかお許しください。今回は我が家の庭を賑わせている花の写真投稿です。相変わらず下手な写真でごめんなさい。

<お知らせ> 私だけでなく、レスポンシブではない固定幅レイアウトのテンプレートを使っている方々は殆どカラム落ちしているようです。 どうやらFC2システムに不具合が生じたようなので、一時的に他のテンプレートを使用しています。。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者kangery 16:10 | コメントをどうぞ