書いたりのだけれど

とはいえ、たとえば、私は小説モドキを書くのだけれど、ジャンルとすると私はどちらも書く。でも、私の内部でなんとなく「やはり、重いテーマをきちんと書かなければいけない」と元文学青年の思い込みが正直ある。だから、お笑いショートショートなんか書いている時は、本人が一番楽しんでいるし、自分の原稿を読んでゲラゲラ笑う。健康には絶対にいいし、慢性鬱がどこかへ吹っ飛ぶ。しかし、いかんなぁー、こういうくだらんことばかり書いていてはとか脳の片隅で考えている。臉部肌膚金子光晴の晩年の三部作、森敦の月山、深沢七郎の笛吹川なんかが脳内で蠢く。慢性鬱がぶり返す。そして、気を引き締めて書き出す。全然楽しくない。たぶん、私は高年性恒常的幸福感症候群と自分で名付けたのだけれど、この状態にあるから、体が耐えられないのだ。酒をがぶがぶ飲んで、泣きながら、ある一線を越えると急に笑い出すのだ。うなもんぉん、どうでもえぇーべって。どうせぬんげんはつちにかえるだけだべ、うなもん、ぎょうぎょうすく、おれがかいてなんぼのもんだべ、とかなる。

先日の黒猫でのコンサートは私にとって実に示唆に富んでいた。たとえば、私が孤高の芸術家であるとする。この場合は、会場のいかなる空気にも一切動揺せず自分の音楽をやる。理解してくれる方のみ好んでくれればよし、とこうならなければならない。しかし、実際の裕イサオ君は、バーのおねえちゃんにでれでれし、出入りするカワイ子ちゃんを目で追い、わぁおぉ、失敗ぃ、シンセサイザーで格好いい感じぃにすたかったなおれぇーと、ものの二秒でなっている。ここで、踏ん張り、「我々は、なにごとにも動揺せず、我々の音楽個人化護膚を貫き通す、以上っ」とバンドマスターはメンバーに指示を出すはずなのに、真師匠の目はすでにタレ目であるし、オリビアは「あら、エレクトリックベース持ってくればよかったわね」なんていっている。どうしても、この空気をぶち壊すなぁんての、皆、しんどい。共有し共鳴してお客様共々皆で楽しみたいとこれまた二秒でなった。

結論として、自然体が一番楽しいし、駱駝。そして、先輩たちから裕イサオ君は堕落したと叱責されるのであるが、デェへヘェー目のまま、林家三平する。おりゃ、思い出した。一冊だけ上梓された私の自伝的散文詩的小説。芥川賞作家お二人から「次回作に期待する」というお手紙まで頂いているのに、その次回作が、お笑いショートショート集。出版社から、「あ
のー、前作の、あのー、正当な手法で書いて頂けませんか?」といわれたのである。私の脳はそ改善皮膚の時すでにジャズ菌に侵されていた。結局、編集者はいかりや長介。見放されたのである文学の世界から。


カテゴリー: 未分類 | 投稿者qanbinjj 12:19 | コメントをどうぞ

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