初シングルス41から46のお年玉

金曜日 元旦  晴れ

冬とは思えぬ暖かい年末年始が続きそう。温暖化の影響だろうか、地球という星は着実に終末へと歩を進めているのだろう。

だから生を楽しまなければならないが現実はそうもいかぬ。鳴らぬ尺八に文句を並べで、青春時代を振り返りるこの頃。ぼくのくらい青春、友達に誘われて尺八を習いだした。演奏会には琴三味線のうら若き女性もあまたいたが何ごともなく打ち過ごしていた。結ばれたカップルのいたことを思いだす。年一度の大演奏会が市民会館で催していた。国内の指折りの奏者も呼んでいた。会長はそれだけの実力を有していた。今思えば当時としてはすごかった気がしている。だけどぼくは尺八よりギターなどに興味をもち、尺八は付き合いでみたいな程度だった。

年一回個人の発表会が奥まった静かな保養所で開かれていた。これは一人ずつ演奏曲名を決めて会長の前でかしこまって演奏するのだ。琴三味線と演奏するで、その下合わせを琴三味線の先生の所に出かけて練習しなければならなかった。ぼくの共演者はめしいの男の人でけっこう知られたひとらしかった。遠くまで出かけた記憶がある。

昭和39年12月日付のセピア色の表彰状がぼくの人生の一式が詰まっている古ぼけたみかん箱に見つかった。曲名「虫の武蔵野」で努力賞を授与されている。翌年の努力賞で終わっていた。小さな楯もあったはずだ。そして一年後くらいに当地にやってきてている。言い訳すると練習するとすぐに唇に頑固な口内炎ができて泣いていた。

あの頃を懐かしく思うのは歳のせいだが、師範とか大師範とかの先輩はもういないだろうと考えるとさびしい。さびしいからぼくは尺八を吹く。

「人は誰もただ一人旅に出て
 人は誰もふるさとを振りかえる 
ちょっぴりさみしくて 振りかえっても 
そこにはただ風が吹いているだけ 
人は誰も人生に つまずいて
 人は誰も夢破れ 振りかえる」(風)

たまらず2時過ぎにコートへ出かけた。初打ち。コートはガラガラでさすがに少なかった。女子ダブルスに挑戦してあやうく勝利、2勝上げたが相手は女性だから胸を張るわけにはいかない。

初シングルスに挑戦、いつも胸を借りている仲間、14とリードしていたがいつも逆転されていたからいやな雰囲気を感じていた。25になるチャンスを逸すると流れは変わっていた。チャンスはあったのに負けていた。46。これは今のぼくの課題。

(反 省)
・ボールが浅くなっていた。
・サービスに自信が持てなくなっていった。
・前に出る勇気、中途半端に終わっていた。








 



カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:16 | コメントをどうぞ

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