月別アーカイブ: 2018年4月

パークドームでの県テニス選手権

土曜日 雨

県テニス選手権がパークドームで行われた。

今日は熊本震災2年目、朝からテレビで特集が放映されていた。2年前のこの日、県選手権大会が開催されることになっていた。県外からの参加者は大変な目に遭ったに違いない。横浜からのぼくの知人も戸惑ったと聞いてる。そのご夫妻、今年も懲りずに参加してくれた。

Eグレードの大会になってから県外からの参加者も徐々に増え始めた。そして年代別75歳が今年になって初めて成立する。成立ギリギリの3人がエントリー。総当り2試合を行う。

仲間うちどうしの試合で、1試合目は勝つも、2試合目は負けていた。03から33に追いつくも、そこまでだった。執念に負けていたようだ。残念無念。

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F氏と久しぶりニュークラブで練習

木曜日 晴れ

k氏と久しぶりのシングルス、足を痛めてから伸ばし伸ばし、九州毎日が終わってからと、そこで又同じところを痛めて連絡しきらずにいた。K氏の目指している県選手権は今度の土曜日、明々後日なのだ。ワンセットなら何とかなるだろうとメールを入れていた。場所は4月から入会したクラブ。経営が変わってレンタルコートが出来ていた。

2時間予約を入れて10時から練習。久しぶりのK氏は力強く、最初のサービスをブレークしてしめしめと思っていたが、チェンジして風下になるとビシビシと決められて、お手上げの攻撃を受け続けていた。頑張るも一方的な流れを変えることは出来なかった。ファースト26位だった。年齢の差かと思うほどショットの差を実感していた。

セカンドは33とねばるも35とリードされて、流れからして万事休すとおもったがブレークして45。粘っているとぼくの流れになって55 65 75と負け戦をものにしてびっくり。2セットして足に異常はなく体力を確かめることが出来た。K氏の今日の出来ばえから思うに県選手権では頑張と思った。

九州毎日、同世代のウイナーは福岡のO氏が61 16 62で優勝していた。
仲間の活躍は玉名のF氏が70ダブルスで優勝。

サボテンに土を入れ替える。20代、鹿児島へ社内旅行へ行ったとき、土産店で小さなサボテンが沢山セットになっている箱を購入して育てていた。だんだん減って行き最後の残った丸いイゲの鋭いサボテンが真っ赤な花が咲いてきれいだと思っていたが、雨に濡らして全滅、ところが一つだけ地味なサボテンが半分腐りかけて隅っこ残っていた。

腐っているところをバッサリ切ってダメもとで植木鉢に差し込んでいたら成長。唯一残っていた名も知らなぬ地味なサボテンを土を入れ替えたりして目配せして育てていた。びっくりするほど大きくなる。

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九州毎日 同世代のその後

火曜日 晴れ

新緑の候に移ろうこの頃。九州毎日で足を痛めてリタイアーしたが、今回はふくらはぎでな脛からどうも来ているようだった。PCで調べると脛の根肉から足の甲に繋がっている絵図面があった。今まで甲が何度も痛んで、痛み止めの軟膏を塗ったりして我慢していたが、その痛みはすねから来ていたのではと考えるに至った。

痛みはすっと引いていたので昨日はテーピングをして、軽くテニスをする。低周波の治療器で通電してみたけど脛はほとんど反応しなかったので、凝り固まっているのは間違いない。

今日も男性は避けてお姉さんたちとダブルスを楽しむ。少しずつ回復を待つことしょう。

九州毎日のその後はぼくを負かしたM氏が決勝戦に進んでいた。ファイナルまで行ったのはぼくだけだったと慰めている。決勝の相手は今年から上がってきた地元のO氏、粘りのO氏優位かなと思っている。

・イズナー 32歳で成功の秘訣

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九州毎日 2回戦奮闘せしも痙攣で敗退

日曜日

NB11:30、大会事務局すぐ近くのドアからセンターコートに顔を出すと、そこでは前の試合がセカンドに入っていた。

三度目のセンターコート試合前の写真撮影を1回目と今回ぼくがお願いし、二回目は相手がお願いしてた。そんなセレモニーをしたくなる場所。

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相手はぼくの天敵だった仲間の天敵と思えしM氏、ランキング3位ぼくは60位台、今大会の1シードの選手だが初めての対戦だった。同じ選手に何回も対戦するかと思えば見知ってから対戦しない選手があまたいる。

彼はあちこちの大会に出場していて好成績を収めているのはパソコン上で見ていた。毎年成績が上向いていると自分から言ったくらいだから自信の表れで今は3位となっている。彼の最高ランクだと思う。

独特なスライス系のサービス、ラケットを短く握ってのフォアは彼の得意ショットで仲間との対戦で見させてもらっていた。

ファーストは体が重くてギクシャク、百戦錬磨の彼はそれを見逃さず得意のフォアでガンガン決めてきた。防戦一方でどうすること出来なかった。見るとやるのとは大違い、これで優勝をかっさらっていっているのだと思ったりしていた。05セカンドで頑張ってみようとシャツ一枚と短パンになり15としたが16でファーストを落していた。

自分のテニスをやるしかないとセカンドは思い切って行った。ぼくのショットも捨てたもんじゃないんだと思わせる相手もミスが出始め53リードしていたのだ。このサービスとればファイナルで頑張れると頭に雑念がよぎりだし、取れそうで取れず54、55強い選手はこうやって勝っていくのかと思ったが、気を取り直すと簡単にキープ、相手の弱点が分かって来ていた。そしてブレークして75でセカンド取っていた。もしかしたらと思ったりした。相手の弱点を徹底的に攻めればチャンスはある。

ファイナルの最初のサービスも難なくキープして10 11サービスをようようキープしておかしいと気づいた。ラケット握っている薬指小指がケイレンしている、もみほぐしていたが初めてのことだった。21。

ベンチに戻り左ふくらはぎにテープをギリギリと巻いて漢方薬を飲んだ。相手はどうもそれを観察していたようだ。コートチェンジして2ゲーム落して23。ベンチで固く巻直してみたがキープされ24、動きが鈍くなり左足の脛が痛くなり始めた。サービスを落して25、ベンチへようやくたどり着くといっきに痛みがこみ上げてきて両手で足首を体に引き寄せて痛みに耐えていた。

ロービングアンパイアを呼んで止めることを告げた。トレーナを呼びましょうかという、大丈夫と言ったものの、直ぐには痛みが引かず、呼んでください、他に行っていますので少し待って下さい。

そんなやり取りをしていると痛みがすっと無くなっていた。立てそうもないと思っていたが、痛みが止むとすくっと立つことが出来て、普通に歩くことが出来ほっとした。

スロージョギングを続けて足を鍛えていたつもりだったが、維持するのが精一杯だったのかと思ったりした。

これが今のぼくの実力、セカンドを良く取ったと思う。セカンドを63位で取れていればファイナルは、もっと楽しめたかもしれない。たら、ればで慰めるしかない。

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九州毎日ベテラン1回戦突破する

土曜日 雨 曇り

朝一番の試合とかってに思いこんでいた。送ってきていた書類の中にドローとは別の日程表に初日と二日目の時間が記入されていたのに、OPがでるのを待っていた。

NB13時だった。10時過ぎのバスにのる。窓の外は春の嵐がしつように降ったり止んだりしていた。
ぼくはカンペキな冬支度、腹ごしらえ身支度して9番コートへおりて行った。このコートで夏は何度泣かされたことだろう。端っこで風防林のように木立が周りに囲んでいるため、風が吹かない蒸し風呂の真夏のコート、だが今日は風を防いでくれる9番コートを分った時から運を感じていた。

コートの成り行きを見ていると、地元の長老がやっ来ていうには、ぼくの相手はぼくの地元くまたかから早稲田のテニス部と言うのだ。

彼のことは少しは知っていた。福岡に木陽会というベテランの集いがあり、おじゃました時ダブルスで遊んだ記憶がかすかにあった。紳士然としてオーソドックスなテニスだった。その経歴を聞かされうーんと黙るしかなかった。

上空には風が舞いとつじょ冷たい雨が落ちてくるかとおもえば止み、やれやれすると大粒のアラレ。空模様にかまっちゃいられない。相手のサービスから試合開始、相手のサービスそんなに厳しくはなかった、いきなりブレークすると30となりいけるかも、するとブレークされて3132。

相手もぼくのテニスになれてきたのか、ヤバイと感じていた。33と並ぶ、バックを攻めるとダウンダラインに一発でやられ、甘いボールはフォワーに回り込まれてギャクロスにと、ほんとうにヤバイ。何でぼくが勝ったのだろうと思う。勝利の女神はぼくに居て相手にいなかった。

6362で勝っていたが、スコア以上にて接戦だったと思う。戦い終わってふところが深いと言われたが、ひらいまくって返球するボールが上手く決まったりすることが多々あった。

心配していた肩や足に違和感はなく、サービスもほどほど打てたとおもう。

明日は1シードとセンターコート、OPを確認して今しがたわかった。センターコート、これで三度目となる。何千人もの席があるスタンドには誰一人と居ない、ボールの打球音だけがむなしく響き渡る。そんな場所だ。

相手が1シードだからセンターコートに振り分けられたのだ。楽しんで頑張るぞ!

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感慨にふける十年ひと昔 九州毎日テニス選手権

金曜日雨

久しぶり朝から雨、明日は寒くなるというが、九州毎日の1回戦、高速バスで久しぶりの博多の森だ。
一心行の桜の件でいつか仲間と出かけたことを思いだしてブログを捜してみると2008年の四月だった。四月といえばぼくには年度初のJOP大会九州毎日テニス選手権。あれから10年もたっているのだと感慨にふける。十年ひと昔、もうひと昔過ぎていることが無情に思えるが、あの幼かった孫娘が高校最終学年になっている現実がそれを証明している。いたし方ない事実がある。

そしてJOPに挑戦し始めて2年目のとしだった。何もわからず、がむしゃらに練習して張り切っていたころだった。1回戦の日、シューズを忘れて車に乗っていた。試合はファーストを46で落としセカンドは足に痙攣がきて35で棄権というなさけない結果だった。試合の駆け引きや体調管理など、スリーセットを戦うノウハウや戦術も技も持ち合わしていず、ただただ何かを忘れるために猪突猛進、むぼうにも立ち向かっていた。
そのとき仲間のM氏は3シードでベスト4、練習をお願いしているF氏は一つ上の世代で優勝していた。

あれから10年、丁度同じパターンの歳だと理解した。そのときが65歳代の最後の歳で、今年は75歳代の最後の歳なのだ。

10年経過して何も進歩していないような現実が目の前にある。ノーシードの障壁、今回もよしんば1回戦勝ったとしても次は1シードが待っている。シードが付いている頃は23回戦は悪くてもいけるチャンスはあったが現状は厳しい。1シードに挑戦できるように頑張って戦おう。

10年前のプログラムをなつかしむ。選手たちのの変遷、ドロー数の変遷に時代の変化を感ぜざるを得ない。ドロー数65才54→62 75才14→32 10年前と比較すれば65歳は若干、75歳は倍以上に増えている。

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一心行大桜 十年の変遷

水曜日 晴れ

桜も散り若葉の季節に移ろうとしているが、山間の一心行の山桜は見ごろだとテレビで伝えているこの頃。

一心行の桜、ぼくは有名になる前から見ていた一人だと自負している。確か地元の友達に聞いたのかもしれない。尋ね行くと小高い畑の中にポツンと一本の大桜が満開を迎えていて感動したことを覚えている。
それからしばらくしてテレビの放映などで見物客が増え始めて、そして急速に増加してまわりの畑はつぶされて駐車場になり、屋台が出たり、そして夜にはライトアップというところまでの観光地となった。県内の車までは良かったが、そのうち九州管内の観光バスまで狭い道をせっかんして渋滞して大変だと耳にしたことがある。

台風でバギッと折れ曲がり左右に別れたが、手厚い保護で何とか昔を取り戻しつつある。たった一本の山桜で村の観光の目玉として今年も脚光を浴びているようだ。めでたしめでたし。

F氏とのシングルスの練習は旧クラブ、試合もまじかに控えての最後の練習。肩の痛みは完全に癒えていないし、足にも不安を抱えている。肩と足にテーピングをして漢方薬を飲んで万全の態勢でのぞんだ。本番と同じ気持ちでやっていた。肩と足に負担をかけないように、でもここぞという場面では頑張って行く。2セット、体にはかなりハードに感じたが何とか乗り切っていた。しかしサービスは期待にほど遠かった。このサービスで通用するのだろうかと不安はよぎった。帰りクラブに立ち寄りサービスの練習。すこし要領はつかめたが、肩には不安はあった。

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マイアミOP 32才イズナーの初優勝(1000)

月曜日 晴れ

朝テレビを入れると加山雄三の文字がぼんやり火災の映像が遠くに見えた。まさか加山の豪華クルーザーが燃えているとあって不思議な気落がしていた。

午前中はあーちゃんの買い物に付き合って車を運転。まず東バイパス沿いの「ダイキ」それからすぐ裏にある「みやはら」へ初めて連れて行くとさすがにびっくりしていた。それから車をとばして菊用バイパスのハンズマンへ、地震で破損していた傘立てバケツで代用していたので買いかえたいという。適当な物を見つけて、帰りに念のためにと「ドンキホーテ」によるとテニスボールが30缶入りケースが運よく売っていた。4ケースもあった。しかしぼくは買う元気はなかった。昼からコートへ行きそのことをTA氏へその旨伝えた。30分ほど練習していると彼がコートサイドに姿を現して行ってきましたと言ったのにはさすがに驚いた。二ケースしか残っていませんでしたと言う。

朝からマイアミOPの決勝戦イズナーVSズベレフの録画を時間の合間に見ていた。ファイナルは買い物から戻って昼食をしながら見ていた。

ファーストはタイブレークに突入、終盤イズナーはリードして54、そしてイズナーのサービス、誰もがビッグサーバイーズナーのファーストゲットを予感したに違いない。ところが2本のサービスを落して56、苦境を脱したズベレフの目は輝いていた。ファーストはズベレフが運よくゲットしたと思った。運も実力の内だろう。76。
32歳のイズナーは20歳のズベレフに3連敗している、その辺の影響もあったのだろうか。ぼくはイズナーを応援していた。ズベレフは若くして1000の大会に3勝もしているらしいのだ。

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セカンド、出だしはズベレフの勢いを感じていたが、しだいに膠着して行き終盤イズナーがブレークして、そのまま乗り切っていた。46。本来ならこの時点でイズナーの優勝が決まってもおかしくはなかったのだと思いながら観ていた。

ファイナル、22でイズナーはラブフォーテイのブレークチャンスを逃して23。ピンチの裏のチャンスでイズきはナーは相当に危なかった。落とせば24で負けはほぼ決まりだが、何とかキープしたのが大きかった。33。振出しに戻り44から再びイズナーにブレークのチャンスが訪れた。22からの逸した経験から粘って相手のミスを誘いブレークするとズベレフはラケットをコートに叩きつけた、一度二度とラケットは醜く折れ曲がり、嫌な雰囲気がコートに広がった。ズベレフの負けを認める行為だった。54。

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イズナーは勝ち誇ったように両腕で観客をあおるしぐさをして、自分のサービスゲームを4本のサービスエースでとどめを刺した。32歳にしてようやく1000の大会に優勝を飾ったイズナー、こみ上げるものを我慢している姿、歓びを噛みしめているしぐさに風雪を感じていた。

歴代優勝者の名前はベストエイトに見当たらない。今年はグランドスラムを征する新たな選手が現れそうな予感がする。

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・32歳イズナー マスターズ初V

・ズベレフ 敗北も「嬉しい」

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九州毎日テニス選手権は始まっているらしいが・・・

日曜日 晴れ

四月一日、エイプリルフールとか言うけど、近年はあまり話題にならない気がする。

桜も散りかけ葉桜にうつりかけている中を、体験2回目のレッスンに出かける。今日のメインのコーチがクラブを運営しているとか、ちらっと耳にした。上手で人気があるというので、そのコーチのレッスンを受けてみた。

明日からここのフリーコート会員になるのだが、レッスンを受けてみてしばらくレッスンを受けてようという気持ちになっていた。フリーコートだけでは二年ぶりの復帰、浦島太郎とは言わないが、経営者が変わり練習相手や、もろもろ慣れるまでは周一90分のレッスンは良いかもしれない思う。考えてみればもう老体、筋力は劣り故障だらけの体を思うにつけしみじみ考える。90分のレッスンもアップアップするが、それでもちょうどいいかもしれない。

もう九州毎日テニス選手権は始まっているのだ。50歳に出ていた横浜の選手から初戦勝利して、仕事の都合で帰りますとメールが入っていた。頑張って下さいとあった。

ぼくは7日が1回戦、それまでに何とか戦える体になってほしいと願っている。

彼は夫婦で14日(土曜日)の当県の選手権大会にもエントリーしている。二年前の大会は丁度熊本大震災が勃発した日で遭遇していた。ご夫婦は前日か乗り込んでいたらしく大変な目にあったと聞かされたことを思いだされる。

・脱帽デルポトロ「家に帰りたい」

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