スゴイことであって、憧れたり頑張ったりしても、
器というものがある。
一見スゴイ人は、実はその下に、幾層もの積み重ねられたスゴイものがあって、
最後のページがスゴ去黑眼圈イだけに見えても、中身はすべて、年月とエネルギーと才能の連続の結果だ。
見えるところだけに結果や価値を求めるには、見えないところは、その何百倍も濃厚に詰まっている。
夢の中で、そう感じるコマがいくつかあった。
だが、どのシーンでそう感じたのかよくわからない。
社交ダンスで、自分が打ちのめされたのは、薄っぺらなペラペラの自分だったからだろう。
結果を出している人と、結果を出していない人が、同じ場所に混在しているから、
自分もそうなのかと見誤ってしまうのだろう。
しかし、夢の中でのシーン倫敦金は社交ダンスでなく、整ったおうち。
家は、なにもハード面の建築物である住宅houseだけを指すのではない。
家庭、家族、、、消滅に向かう家制度のイエ、、、
象徴的に、娘の家、孫、わたしの家を無意識下に土台にしているように推測する。
もうすぐお盆だから、義母は指揮官退任でも、ちゃんとやってね、という、先祖からのメッセージか。
それにしても、夢が、社交ダンスと、ごっちゃになっている。
夢診断。
後付けの、こじつけ理屈付け解釈、解明輪證、解説である。