日別アーカイブ: 2016年8月22日

ような状態になっ

最近そう感じるようになると、書く気が失せた。
つまり、自分には愚痴と自慢しか詰まってないということだ。
自分への嘆きと、自分への励まし。
わざわざ文章にするほどでもないのに、まあ、文章を書くことは、昔からの好きな行為、嗜好であります。

考えをまとめるために、まず、整理し、からんでPretty renew 呃人いる感情を取り除く。
汚れものを水で、まず、ばさばさっと大きく予洗いするかんじか。
書いて、考えをまとめているうちに、感情が落ち着く。
思考の邪魔になっていた余計な感情がなくなったあとは、ゆっくり策を練ることができる。
書くことは、よけいな泥を取り払うこと、洗うこと。

しかし、泥を拭ったあと、ニュートラルになって、さて、どうしよう?
人間は感情の動物だ。
感情が動いてこそ、行動の動機が生まれる。
(わたしの場合、勘定、打算の動物でもある)

好きだ、嫌いだ、腹立つ、情熱が香港旅行わく、熱狂する、寂しい、悲しい、その他もろもろ。
その感情を守りたいために、あるいは、取り除きたいために、なにか行動を起こす。
なのに、その感情がなくなってしまうと、静かに横たわる意識のない生物になってしまう。
息をしていて、心臓が動いていて、死んでいないだけ。

感情が落ち着いて、そういう、凪のてしまっている、今、
どうしようかと作戦を練りかねている。
待ちの姿勢、受け身の体制が、わたしの基本スタンスかも知れない。
が、決して、言われるままに従うという受け身ではない。
作戦上の受け身である。
後手。

先手を打って、今まで成功したことがない。
ただし、スタンバイ、臨戦態舒緩經痛勢をキープ。
いつでも動けるよう、トレーニングしておかなければ、命令されるだけの、ただの使用人。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者tirutm 15:53 | コメントをどうぞ