それからの川島なお美ニュースは日本の方のほうが知っているだろう。槇原敬之と南野陽子以外に日本の芸能音痴となっていた私が何千何百といる芸能人の中から唯一選んで軌跡を追っていた芸能人であった川島なお美の訃報だったから、その衝撃は他の方が受けた衝撃よりも大きかったと思う。それにブログと言うのはその人があたかも友人か家族のように感じさせる力を持っているから、私も友人が亡くなったかのように感じ、亡くなられてからしばらくずっと彼女が心に居座った。
彼女の死によって私が感じたことはたくさんあり、彼女に対して思うこと、彼女の生き方に対して思うことは山ほどあった。いつも心に何かを感じると、誰かに話すかのようにキーボードを叩く私だが、でもあまりにも彼女は私にとっては近い存在だったからなかなか文章として叩くことが出来なかった。誰もがあの時は彼女のことを記事に書いていたから、それに乗じたくもなかったのかもしれない去頭皮洗髮水。
川島なお美は女優業を貫いたと言われている。本当に立派だったと思う。並大抵の精神では出来ないことだ。でも、彼女が仕事を貫き通すことが出来たのは、自分の命の期限を知っていたからなのかもしれない。
半年しか命が無いと言われたらどうしますか細紋?
人の命は無限では無く、誰でもいつかは終わりが来るのに、それを意識しないで生活しているのが普通だ。もし、あと半年しかないと分かったら、一秒たりとも無駄にはしたくなく思いっきり「生きる」だろう。重い病気を経験した人ほど「期限」を感じ、一生懸命生き、活き活きとしているものなのかもしれない。
ここ1~2年、私は自分の最後の日のことを良く考える。そんな中、川島なお美の死はさらに私に「生きていること」について考えさせてくれた。長生きしたいとは思っていない。長く生きることが全てでは無く、短くても良いから「するべきことをし、感じべきことを感じ、学ぶべきことを学び、そして誰かに貢献すべく」生きて行きたいB雜。