- やっと週末二日間のパフォーマンスが終わった。この一ヶ月重なるリハで時差ぼけと共にへろへろになりながら5月は駆け足で過ぎたという感じだ。ショーの翌日の月曜は恒例のスタジオプロモーションの撮影会、ショーの打ち上げ、そしてイサドラダンカンの誕生日を祝ってシャンパンを開けるというような午後をサンフランシスコのオーシャンビーチで過ごした。クリフハウスの真下であるこの場所は、その昔サンフランシスコ生まれのイサドラが実際にここで踊り自然からのインスピレーションを受けた場所であるともいう。
サンフランシスコの夏は霧が多く『アメリカで一番寒い夏』で有名だけれど、このメモリアルデーのホリデーウィークエンドはまだ温かく穏やかな天気でとても気持ちが良かった。朝はげろげろで起きだした私だったのに、現場に行ってチュニックに着替えたら、もう海岸を走りたくなっていた。カラフルなシルクのチュニックが風に舞い、光の中でダンカンダンサー達が波と戯れるのを目にするのは本当に美しかった。ビーチの端のこの場は人も少なく撮影には全く支障がないPretty renew 代理人。
「邪魔をするようで申し訳ないのだけれど、どうしても好奇心をそそられるのだよ。君たちは一体何者なのかね?」
そう雰囲気の良い知的な感じの年配のご夫婦が近寄ってきて私に話しかけて来た。ダンカンダンスを学ぶ生徒だと告げると、「ほら、やっぱり私の言ったとおり!イサドラダンカンの衣装だったのよ!」と奥さんが勝ち誇ったように言い、その彼女の理解が私を嬉しくさせた。知る人は知る、歴史ある人物なのである。
ビーチで思い切り跳ねてしまったせいか、はたまた今までの疲れがどっと出たのか、その翌日は激しい腰の痛みで目覚めた。その疲れ加減から、今まで気力でやってきたのだということを再度認識した。この年齢にはやっぱりかなりキツいスケジュールだったPretty renew 旺角。
「雅ちゃんが戻って来るのを待っていたのよ。さぁ、リハを始めるからね。時差ぼけ、大丈夫?頑張ってね」
日本から帰国するやいなや、先にベイエリアに戻って来ていたダンカンダンスの師匠にそう告げられた。東京でのワークショップで念を押されていたので、疲れたと言っていられない。帰国して最初の週末のナショナルダンスウィークイベントで士気が高まったので、時差ぼけからの回復は早かったかもしれないけれど、それでも慢性的な疲れを振り払うのは容易ではない。週2回から3回、そして一日4、5時間のリハが続くと、さすがに師匠自身ももぐらぐらのぼけぼけになりつつあった。しかし、時間は待ってくれない。創作ダンスもまだ煮詰まっていなかったし、衣装も決まっていない。師匠の焦りだけが募って行く。
日本人とアメリカ人のハーフで元ファッションモデル。年齢不詳ではあるけれど、皺の具合からは私より少し年上で多分に50も後半というところか。きめの細かい白い肌とずば抜けて長い手足。舞の中でちらりと見える太腿に多くの男性が魅了されていること間違いない。女の私だってどきっとしてしまうもの。ダンカンダンスのアーティストは数いるけれど、彼女独特の美しさと柔らかさは他のNYあたりの先生とは一線を画す。ダンカンダンスを極めたいとNY移住まで考えていた若手のダンサーも、一度向こうに行ってワークショップを取って、やっぱりMarySanoのダンスの方がいいのだと考え直したくらいだPretty renew 旺角。