私がダンカンダンスを続けるのもMary Sanoのその美しさのオーラに直に触れていたいから、という理由でしかなかった。彼女の路線を辿っていけば、60歳になってもきっと魅力的な女性で居られるに間違いない。いつまで幼女であるような魅力をもった彼女だけれど、毎回ショーの前になるとプレッシャーから般若のように変化する。その状態の彼女にキレてスタジオを去った生徒も数える程に存在していた。今回初参加を強制的に組み込まれたロシア人女性が、過去の例と同じくリハの最中に逆ギレして私たちをひやりとさせた。
ロシア人生徒の気持ちは良く理解できた。クラスを取っている以上強制的にショーに押し出され、『楽しんで踊りたいだけ』の自身に激しいプレッシャーと、ときには強過ぎるダメ出しを与えられるそれに耐えきれず、幾度となく私もダンカンから離れた。一度クラスのレッスンの最中に切った足の筋肉の後遺症を理由にしたけれど、『楽しみだけのダンカン』に留めることができなかったのが嫌というもの、実際は私のエゴがそれを許さなかったからだ。他の若い30代ダンサーの中で見劣りするというのにも耐えられなかった。
私の最初のパフォーマンスは2008年のことだったらしい。今回のパフォーマンスはそれ以来ということになるので、実に6年ぶりということになる。
パフォーマンスは当時のイサドラが行なったサロンのように、生ピアノの演奏と共に踊った。ショーの半分はネオピアニストのオリジナル曲で創作ダンスを踊ったけれど、そちらは『表現』を主とするもので特に問題はなかった。しかし、今回のダンカンレパトワはブラームスのシリーズが選曲され、そのひとつの『シンバル』というダンスはわずか45秒。始まったらひたすらジャンプを続けるそれを、どうしても間違えずに踊ることができないでいた。本番まで一週間をきった頃には、さすがに焦りが出て家で何度も練習した。
2008年のショーのときのことをあまり覚えていない。終った後の興奮はあったけれど、ステージでは頭が真っ白という感覚だったように思える。しかし今回は不思議にステージフライトの緊張感は感じなかった。まさに『dance like nobody’s watching』という感じで、リラックスしている自身を意識した。『見せる』というより『楽しんでもらう』という気持ちの方が強かったし、観客のエナジーに批判のそれではなくサポートのそれを感じたのもある。今まで私は観客席の方にいたけれど、そんな自分は本当にダンカンダンスのショーを楽しんでいた。彼女達の舞があまりにも愛らしくて目尻が下がってしまうほどだから、当然、今回のショーを見ている人々も同様の気持ちであると思えた。批判が怖い人は多分に自分が批判する人だからだと思う。そうでなかったら、そんな気持ちなど起こるわけがないのだから。