ぜひ、ご覧ください

十二月二十三日、世間的には、明日、クリスマスイブですね。
しかし、蒼太と旭にとっては、本日、二十三日が最大のイベントとなります。

それは、二人がまだつきあってもいなかった頃。
旭が圭の恋人で、蒼太は圭の元彼だった頃の話です。

そのころ、旭は圭の虜でした。
しかし圭はいろいろ強引で、ちょっと怖いところもあり、旭はいつもどこかびくびくしていたように思います。
普段は年下の恋人らしく、甘えてきたり、優しくカッコいいという、申し分ないはずの圭との関係に疲れ始めていた旭は、いつしか、圭を挟んでライバル関係にあった蒼太の店に通い始めます。

圭との関係に疲れを感じ、蒼太になにかを求め始めた旭。
そして、圭を取り戻すには、邪魔者でしかなかった旭の、危うさと優しさに触れ、徐々に魅かれ始める蒼太。
二人が魅かれあっていることに気づけない圭。

そんな時期、旭と蒼太の何かが、触れ合い、ピタリと合わさった……または、合わさろうとし始めた。

その切欠になったのが、この日。
十二月二十三日です。

……ということで、新作を書く余裕がなくて申し訳ないのですが、せっかくの記念日なので、その時のお話を今一度。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者wujiedebuyao 15:37 | コメントをどうぞ

お待ちしてるわね

凍てつく寒さのNY‥…

「はじめまして、道明寺会長。突然のお誘いにも関わらず、快くお時間作って下さってありがとう。楓さんとお呼びして宜しいかしら?」
美しく完璧な笑顔の宝珠夫人住宅設計

La Verite を取り仕切る 亜矢を筆頭に、雪乃、リックマン夫人、エバンズ夫人、ボズウェル夫人 6人のメンバーが集う。

「ボズウェル夫人、この度は道明寺さんとの縁組み大変おめでとう。」
「亜矢様、大変光栄なお言葉ありがとうございます。」

「エミリーもローラもお久しぶりね、今日はありがとう。」
「亜矢様、雪乃様お久しぶりでございます。」
「亜矢様、雪乃様ご機嫌麗しゅう存じます。」

亜矢の如才ない会話を軸に楽しい会食が始まる。
「楓さんのご子息は、大変優秀で容姿端麗な方と聞いておりますわ。グレンダと並んだらとても素敵なカップルなのではなくて?うふっ お式が楽しみですわね。」
「えぇ‥…願っても無いご縁、大変感謝しております。」

「昨日のパーティーで、薫様もご婚約が近いとお聞きしましたが‥…」
「えぇ、そうですのよ。嬉しい事に、昨晩漸く首を縦にしてくれましたの。」

「まぁー、それは大変おめでとうございます。さぞかし素敵なお嬢様なんでしょうね王賜豪總裁。」
「えぇ、薫には勿体ない程、素敵なお嬢さんよ。宝珠も筒井も諸手を上げて大喜びで、主人も栄さんも大変な喜びようなのよ」

「亜矢様、それは本当ですの?」
「えぇローラ、本当ですわよ。ジョンとノアも薫の婚約者になる子の事は、よく知っているから是非とも可愛がって頂戴ね。」
「もちろんですわぁ。」
「亜矢様、雪乃様 大変おめでとうございます。亜矢様、お披露目はいつのご予定でいらっしゃいますの?」

「うふっ、エミーは相変わらず気が早いのね。婚約パーティーの日取りが決まりましたら、皆さんには招待状を出させて頂きますから、ぜひご出席なさって下さいね。」

「薫様がお選びになられた方は、どちらのご令嬢でいらっしゃいますの?」
「楓さん、薫の婚約者は、どちらの令嬢でもないの。ただね、筒井の秘蔵っ子なのよ。ねっ雪乃ちゃん。」

「えぇ、そうなの。栄がとても可愛がっていてね、ゆくゆくは自分が後ろ盾になって嫁がせたいと思っていたお嬢さんなのよ。それがご縁があって、薫の伴侶として来てくれる事になったのよ。もう私達、嬉しくて嬉しくて‥」

「くすっ、ですから彼女の気が変わらない内に早く早くなんて、棗も栄さんも準備に大わらわよ兒童維他命軟糖。」

ご令嬢でない? 
筒井栄の秘蔵っ子? 
後ろ盾になろうと思っていたくらいの子
どんな才能あるなお嬢さんなのかしら‥…

「早く皆さんにご紹介させて頂きたいわ。うふっ、でもうちのお嫁ちゃんですからね。とっては、いやーよ。」
「おほほっ亜矢様ったら、薫様のご婚約者に手を出す不届きものは、抹殺されますわよ。ねっエミー」
「あらローラ、そんな不届きものがいるワケないじゃないの‥…」

うふふっ おほほっ

楽しげな笑いと共に La Verite は、終わりを告げる。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者wujiedebuyao 16:11 | コメントをどうぞ

長女は到着し

長女の家庭では、日曜日、この時間、夫と妻は、上の子供と一緒に食料品・買い出し係(夫)と、下の子供を寝かせて家で衣料品整理係(妻)に、分業するそうだ康泰導遊

うちは、一階のテレビ鑑賞係(夫)と、二階のパソコン係(わたし)に、分業。
正確に言うと、「分住」。

パソコンは、二階はノートパソコンなので、使いにくい、文字が見にくい、操作がし辛い。
でも、あえて、わざわざ二階のパソコンで頑張るのはなぜか?
一階のパソコンなら、スイスイ、3倍速ぐらいのスピードで、ストレスなくできるのに。

答えは・・・分住。

夫とは平日は、仕事で別々の場所に分散。
休みは、平常は夫はゴルフで不在。
これが、お互いの幸せを、限りなく最大限に合理的に形成している。
お互いが楽しく、満足でハッピーである。
明日からの仕事のエネルギー源にもなる。
ベストな形態、状況である。

が、ほんのちょっとしたことで、「ゴルフ」がない場合。。。
これが、ビミョーな歪を生み出す。
ビミョーは、さらに進化し、ビミョーではなくなる。
怪物に成長してしまう前に、食い止めなければいけない。

そこで。苦肉の策が、一階と二階に分かれる、分住である。

二階のほうが、断然、住みにくい。
そもそも二階は、子供部屋と寝室、クローゼット、納戸、物置しかない。
居間や書斎は、設えていない。

一階は、ダイニング・キッチン、リビング、和室となっていて、
リラックスする空間として活用されている。
食べたり、飲んだり、テレビやビデオ、音楽を聴いたり、本を読んだり、
書き物をしたり・・・
そういう、暮らしを豊かにする工夫を盛り込んで、設計してある康泰導遊

が、それを夫に与え、わたしは、不便な二階に泣く泣く移る。
これも、平和を保つための、最小限度の我慢、忍耐、努力である。
不快な思いを爆発させて、喧嘩するよりは、マシかと。

夕方になると、長女一家も顔を出すので、それまでの辛抱だ。
ちょっとぐらいパソコンが使いにくいからといっても、少しのガマン。
長女一家と合流すると、あとは、にぎやかな時間が訪れる。

ただただうるさい、大音量のテレビ、しかもガチャガチャ、常にザッピング、
どの番組を見たいのか、さっぱりわからない、テレビ中毒。 
それらの拷問に、わたしの脳の血管がぶち切れる寸前まで耐えなければならない、
そんな過酷な現実から逃れられる。

もし、一部屋しかなかったら?
なんらかの事態の変化が起きることだろう。

と、打ちにくいキーを、目をしょぼつかせながら、肩を凝らしながら、
しかも書いている内容は、こんな内容で・・・
そうしているうちに、娘一家が登場する時間になる。

こうやって、楽しい、実りある人生を歩いていくのだろう。
光もあれば、影もある。

だれが悪いのでもなく、いろんな異分子と協調してやっていこうという、
そういう努力は、決して無駄ではないと思う。
ただし、押しつけがましいのは、よくない。
偽善のニオイは、もっとよくない。

わたしさえ、我慢していれば・・・なんていうのは、精神衛生上、よくない。
美談にはならない。
だれか一人に、負担がかかるのはよくない。
喜びも悲しみも、負担もシェアするべきだ。
ベストな方法を選ぶ、あるいは、創り出すのがよい康泰導遊

各人々の置かれている状況によって違うので、試行錯誤して、
そこそこ努力すれば、思った以上の幸せは手に入る。

がんがん押すのではなく、一歩ひいて、やってみると、案外、うまくいくことがある。

そうこう思いながら、そろそろ長女たちが来る頃だ。
またまた、掃除・整頓が出来ていないと、ガミガミ怒られる前に、ちょっとぐらいは、体裁をとりつくろっておこう。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者wujiedebuyao 15:47 | コメントをどうぞ

枝豆

昨年の夏のこと余仁生保嬰丹

「坂下の農家の直売所、あそこの枝豆は格別。ホントうまいンだよ。一度食べたらほかのは食べられない」

こう教えてくれたのは近所の吉田さんだ。

「孫もこの枝豆を食べて以来、ほかの枝豆は食べないンだよ」

8月の終わりごろまでは娘さん一家に週に1度は買って届けるのだとか。しかし朝の9時過ぎには売れ切れとなることもあるらしく、朝から大変だと嘆いていたが、その顔は頬が緩み嬉しそう。

3日後。

「はい、お宅の分」。枝付き枝豆をひと束届けてくれた吉田さん。そういえば、次はうちの分も買ってきてくれると言っていたっけ。礼を言って代金を渡す。ここで吉田さん、

「茹で方、これが肝心」と切り出し、教えてくれたDiamond水機

——枝から切り落とした枝豆はこすり洗いしてから塩もみする。無水鍋(なければ厚手の蓋つき鍋)に枝豆をいれ塩を振り、水少々をふりかけ2、3分蒸し煮する。そして2、3分蒸らす。鍋によって時間は調整する。——

夕方、教わった通りに茹でる。たしかに味は濃く甘みも強い。

以来、農家の販売所の枝豆に限らず、八百屋の枝豆でもトウモロコシでも隠元(いんげん)でもこの方法で蒸し煮する。

つい数日前のこと。

夫が枝つき枝豆の入ったビニール袋を下げた吉田さんとばったり会い、会うなりこうはじめたらしい。

「坂下の農家の直売所の枝豆は格別で……」

吉田さんの大好物の枝豆。うちでも大人気となる。食べられるのは8月の終わりごろまで。明日の朝、わたしも坂下まで行くとしよう消化不良

カテゴリー: 未分類 | 投稿者wujiedebuyao 12:24 | コメントをどうぞ

「驟雨」・佐野周二&原節子

結婚してから四年、まだ子どもは生まれない。これからも期待できないだろう。たまの日曜日だというのに、夫婦には予定がない。朝食後、妻は編み物をし、夫は庭を眺める。夫が欠伸をすれば、妻もつられて欠伸をする。夫婦の会話Veda Salon。夫「晩のおかずは何だい?」妻「晩は未定です」夫「何かご馳走していただけますか?」妻「・・・(無言)」。夫は横腹をさすりながら「胃薬を飲み忘れた」と言う。妻は黙ってコップの水と薬瓶を差し出す。再び夫婦の会話。夫「散歩に行こうか、それとも・・・。ちょっと遅いかなあ、もう・・」妻「でも、多摩川か井の頭ぐらいなら・・・」夫「子どもみたいだなあ。いい年をして・・・」妻「いいじゃないの」夫「君の所にいくらある?」妻「もうイヤ。日曜日のたんびに・・・」夫は投げやりに呟く。「行くんなら前の日に決めておかなくちゃ・・・」
これは、昭和三十一年に封切られた映画「驟雨」(監督・成瀬巳喜男 脚本・水木洋子)の冒頭場面である。夫は佐野周二、妻は原節子、早くも倦怠期に入った夫婦の雰囲気が、見事に描き出されていた。実を言えば、この二人、その七年前(昭和二十四年封切)に「お嬢さん乾杯」(監督・木下恵介 脚本・新藤兼人)でも共演しているのである。戦後没落した華族のお嬢さん(原節子)が、復興景気に乗った自動車会社の若社長(佐野周二)と見合いし、婚約するまでの物語である。「住んでる世界がまったく違う」深窓の令嬢と田舎出の成金社長が、様々な齟齬を重ねながら、「お嬢さん」が庶民の世界に飛び降りる決心をしたところで終幕となった。「あの人はどんなにお嬢さんに惚れていたかしれませんよ」とバーのマダムに告げられ、「(わたくしも)惚れております」というセリフを残して佐野周二を追いかける時、あの名曲「旅の夜風」が行進曲のように流れた幕切れは、新しい戦後社会の「はじまり」を予感するのに十分であった。二人は、幸せになるに違いない。明るい家庭を築き、いつまでも楽しく「惚れ合って」暮らしてほしい。誰もがそのように祈ったはずであった物業加按
だが、しかし、である。「驟雨」の佐野周二からは、「若社長」時代のエネルギー、バイタリティーがすっかり消え失せていた。かつては、「お金なんかいくらでももうかる」と豪語し、没落した「お嬢さん一族」の借金百万円をプレゼント、自分はいさぎよく身を引こうとした「男気」はどこへ行ってしまったのか。十万円の報奨金につられ、化粧品会社を早期退職して、田舎暮らしをしたいというのである。
一方、「お嬢さん・原節子」のエネルギー、バイタリティーは「驟雨」でも健在であった。新聞のレシピを切り抜いてスクラップ、見た目のグリンピースよりは、栄養満点の鮭を選び、、商店街では細切れの肉を正直に量り売りする店を見つけている。出入りしている野良犬が傷つけた鶏を飼い主から買い取り、さっさと鍋料理に調理してしまう腕前は、見事と言う他ない。夫に怒鳴られ台所で泣いているのかと思えば、平然と「お茶漬け」を掻き込んでいる。その食欲こそがすべての出発点であろう。スカートに靴下、ゲタ履きという身なりで買い物に出ても、「お嬢さん・原節子」の姿は光り輝いて見えた。夫の同僚たちは、彼女の美貌を見逃さない。バーのマダムに仕立てて、一山当てようともくろむ。「どうです?奥さん」と誘われて、「まあ、どうしましょう」と、浮かべる満面の笑みは、伝説の女優「原節子」の面目躍如というところであった。
アダムとイブの神話以来、女は男の従属物のように見なされ、男系社会が人類の歴史を作ってきたように思われているが、事実は、全く逆である。女が男よりもたくましく、「賢い」ことは、「平均寿命」の差を見れば一目瞭然であろう。したがって、いつの時代でも、どこの家庭でも「女は男より賢い」のであり、すべての妻は、妻であるということだけで、「すでに賢妻である」ということを銘記すべきである。作り話の中で、「愚かな妻」「か弱い妻」「可哀想な妻」「虐げられた妻」「耐え忍ぶ妻」などなど、女が悲劇の主役として描かれることは少なくないが、多くの場合、その作者は男であり、愚かな男の「特権意識」や「願望」が窺われて見苦しい。さらに愚かな男は、作り話を「現実」と混同し、悲劇のヒロインを「実生活」の場でも、自分の妻に演じさせようとしている。そのような傾向が現代にもあることを、私は憂慮する。末尾ながら「驟雨」の原作者は男(岸田国士)だったが、その戯曲集を脚色したのは水木洋子という才媛であったことを特記したいfoldable bike

カテゴリー: 未分類 | 投稿者wujiedebuyao 11:44 | コメントをどうぞ

7歳になりました

息子が7回目の誕生日を迎えた。日本で生まれたため、本当なら昨日の夕方に誕生日のはず。それで昨日夜、福島の祖父母に7歳になったことを電話で伝えた。7月に福島を離れて帰国してから一ヶ月になり、世話を頼んでいたカブトムシやクワガタも、それぞれ残すところ1匹ずつになった。カブトムシの雌が長生きしているので、卵を産みそうだねと嬉しそうに話した。じいじがHD録画機器に予約してきたテレビ番組をDVDに焼き送ってくれるというので、それも楽しみだ洗髮水

息子が通っている学校の担任の先生から、誕生日には「カップケーキ禁止」というお触れが出ていた。アメリカでは誕生日にアイシングがたっぷりかけられたカップケーキにデコレーションをしてお祝いする場合が多い。カップケーキ禁止理由は先日の保護者会で説明があった。アイシングだけ食べてスポンジは捨てるという子が結構いるので、不健康でもったいないからやめることにしたい、のだそうだ。保護者会でわざわざ先生が話をするのだから、カップケーキを持ち込む親が多いということだろう。

私もカップケーキやデコレーションケーキに何度も遭遇しているが、食べた後で気分が悪くなってしまう。胃にもたれるし、吐き気がする。あのアイシングやフロスティングには何が入っているのだろう。人工着色料がたくさん使われていたり、保存化学薬品が入っていたりするのか、とにかく気持ち悪くなる。吐いてしまったことも何度かある。自分でカップケーキを作ってみても、生地に砂糖がたっぷり入っているので、その上にさらに砂糖を加えるのに抵抗がある。アイシングだけ食べるなんて、自分には絶対無理。逆にスポンジだけ食べてアイシングは捨てちゃうDR REBORN抽脂

息子のリクエストで、ホワイトチョコレートチップ入りのクッキーを作って持たせた。シュガークッキー生地を買ってきてホワイトチョコをのせた極簡単なもの。クラスの人数は29名。ナッツはアレルギーの人が居るのでいれないように注意があったから、念のためアレルギー源を含まない生地を買ってきたのである。息子は、クッキーをみんなに分けてあげられるので、揚々と登校した。今朝、登校ブルーは皆無だった。これで新しいお友達ができたりするかもしれないよ。うん。
来週の週末、7歳の誕生日のお祝いパーティを企画している。我が家では初めての誕生日パーティになる。前に通っていた小学校のお友達が二人来てくれることになっている。裏庭に空気圧で膨らませたバウンスハウスを用意することにした。ムーンバウンスとかと呼ぶらしい。パーティのテーマはスターウォーズだ。スターウォーズのグッズを用意して手土産にすることになった。バウンスハウスの外側にもスターウォーズの写真やロゴが入っている。テーマが決まれば悩まずにいろいろ用意がそろってきた。あとはケーキを用意するだけだCloud Provider

ダンナさんは、自分が小さい頃はなかった新しい誕生日文化に面食らっていたが、どうやらバウンスハウスは人気があるらしく良く近所で見かける。バウンスハウスからきゃっきゃと子供達の声が騒がしい時は、お誕生日パーティなんだなってわかる。うちもバウンスハウスを設置すると、うちには子供が居ることがアピールできるわけだ。近所の子供が仲間に入ると面白いことになりそう。ダンナさんは困っちゃうかもしれないけどね。子供いっぱいは苦手そう(笑)。

私たちも親になって7年目。お互いの成長を祝うことにしよう。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者wujiedebuyao 11:34 | コメントをどうぞ

生活圏が自宅近辺の

わたしのブログ、ちょっと彷徨っているDiamond水機


おおいに彷徨っている。

わたしが面白いと感じることと、世の中の皆さんが面白いと感じることが、違うようだ。
世間基準から、わたしの感度は、微妙に、ずれていると感じる。
生活者意識が薄いのだろう。

ありえない夢みたいなことばかり言って、その日、しなければいけないことをしないで、
空想的な絵空事を延々と話している、女の子、・・・
(あえて、「女の子」ということに、しておきました)
「○○ちゃん、いつまでもおしゃべりしてないで、宿題は済んだの?」と、母親に叱られる小学生、の図。

ああ、そういえば、
今年の山本周五郎賞は、小説「ナイルパーチの女子会」(文芸春秋)が受賞したそうだ。
大手商社勤務の総合職女性と、ブログに生きがいを見い出す専業主婦の間に芽生えた友情物語だとか。

甘いストーリーではなく、一見仲良しだけど、こころの中はドロドロ、女同士の闘いのようなものらしい。

「ナイルパーチ」は共食いも辞さない凶暴な肉食魚のこと。
海外出張もこなす総合職女性と、生活圏が自宅近辺に限られる専業主婦の交流を描いているとかで、
こういう環境の違う2人が、偶然出会ったときに互いに感じた煌めきは、瞬く間に色褪せ、感情がもつれまくるようだ。
ライフコースが多様な女性同士の、友情の困難さや煩わしさ。
分かり合えるはずがない。

わたしは読んだわけではないが、そしておそらく、いや絶対に、買わないと思うが、
(ひょっとしてハードカバーではなく、薄く小さいサイズの本で古本屋で安かったら買うかも?)
紙(本)はかさばるから、あとに残って、不用品扱いになるのが困る。

しかし電子図書は、目が疲れる。
が、リスクを冒しても、読みたい気持ちは、大いにある。
(電子図書は、購入しないだろうけれど)
「ブログに生きがいを見出す、生活圏が自宅近辺に限られる専業主婦」
これに、おおいに興味を引かれる願景村 邪教
あれ?わたし?と、どきんとしたブロガーさんは、少なくないだろう。
大手商社勤務の総合職女性は、ちまちまブログを書いたり、行ったり来たりする膨大な時間はないかも?

わたしも、別の小説テーマがアタマにちらりと浮かんでいるが、
アイデアが浮かぶだけで、一向に着手する様子がない。
賞をとった作品に刺激されて、小説を書いてみようなどとは、そもそも思ってもみないが。
そんなわたしに、なぜか、「書いてほしい」と言う不思議な変わった人がいて、
そう言われても「無理!」と苦笑いするのみ。

パワー不足、能力不足、根性不足、やる気不足、モチベーション不足、情熱不足、はなはだしい。
たとえ、やる気や根性はあっても、決定的に能力がない。
基礎能力と、生み出す力、才能がない。
その最たるものは「才能の欠如」。

頭脳労働は、もはや向いていない。
現実の実作業をちょいちょい、ちょこちょこしているのが、適合していると思われる。
しかも、しっかりしていない、抜けていてボケていることが発覚しない程度の難易度の作業、行動が、ちょうど良い。
自分の小さな小さな幸せを守るスタンスになっている。

あと三分の一も人生が残っているのに、ちょっと消極的すぎるか?
でも、人それぞれ。

人生のペース配分は、自分で決める願景村 邪教

カテゴリー: 未分類 | 投稿者wujiedebuyao 16:54 | コメントをどうぞ

フィンヌ トローンシュ/ 薄切り(肉)

これはイタリアのレストランで食べた牛のカルパッチョ皇室纖形 facial
上にのっているのはチーズとレモン。

お肉の下にグリーンサラダがかくれている。
食べるときにはパルメジャンチーズをかける。オイシー!

カルパッチョのお国だからなのか、
イタリアのスーパーにはニースでは見かけない豚肉の薄切りも売っている。

お!と感動して買ってはみたものの
この十年、「豚の薄切り肉」をあつかっていなくって、どうあつかえばいのかわからなくって
かなり長い間、冷凍庫で眠っていた。

昨日、「この肉もそろそろ食べてやらねば」と何を作るかは全く決めていないのにとりあえず解凍。
きれいなピンク色の豚肉ちゃんをまな板の上に並べていたら、これはもう、「しょうが焼き」以外にはありえないと気がついた皇室纖形

子どもたちは「こんなの初めて食べた」と言う。
いやほんと、おフランスでお初の豚肉のしょうが焼きだったかも。
感動的においしいものの写真っていつもない。撮ってる場合じゃないから。

ロティ(丸焼き)もいいけど薄切りもいいなあ。
スライサーがほしくなる皇室纖形 旺角
いや、またイタリアに調達しに行けばいいか。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者wujiedebuyao 20:22 | コメントをどうぞ

つまらん、くだらん

昨日、つまり日曜日は嫁さんと共に嫁さんの実家へと赴いた。そして義姉が運転する車に乗って、あるお寺へと向かった。目的はバラを買うことである。
先月だったか、義父が「菊を買いたい」というので、とある大きな農園みたいなところに連れて行ったのだが、その時にそういう話でそうなったのかは知らんが、義父と嫁さんとの間で、私んちに植えるバラを義父に買ってもらうということになったらしい。それで今回はその目的のために、その、とある寺に行ったのである維他命E
バラを買うのに、どうして寺なんかに行くのか?答えは、その寺には結構大きいバラ庭園なるものがあって、そこでバラの苗が売られているからである。春ではないので量的には大したことないらしいが、それでもそこらのホームセンターよりはかなり豊富にあるらしい。
実際に訪れてみた。寺自体もけっこうでかい。敷地や建物数を考えると、「小京都」ならぬ「小高野山」みたいな感じだ。綺麗なレストランみたいなものもあるし、何と浴場まである。ここは本当に寺なのか?と思ったりもした。
そうやってお目当てのバラ庭園なる場所に向かおうとすると、どこからか太鼓の音が聞こえ始めた。

寺で太鼓?いやいや、寺は鐘だろ?

だんだんその太鼓の音が大きくなってきた。どうやら前の道から聞こえてきている。いったい何だろうと思ってしばらく見ていたら、それは「ふとん太鼓」の一行だった。そしてそのふとん太鼓とその一行は、寺の前駐車場に入ってきて門の前で休憩し始めたMathConcept好唔好
おいおい、ふとん太鼓って基本的には神社関係の行事だろ。寺は関係ないのではないのか?そんなふうに思いながらしばらく見ていたが、ふとん太鼓の関係者も寺の関係者も、特に何も気にしていないみたい。私の考えが固いのかしら?

その後バラ庭園に入り、義父、嫁さん、義姉の三人は売られていたバラの苗を物色。私は、色々なバラの濃くてきつい匂いに耐えられず、建物から少々離れた園の中をウロウロ。元々バラにも興味が全然なかったから、もうすべてを三人に任せた。というか口出しをする気もなかったし……。
そうこうしているうちにいくつかのバラの苗を携えて三人が出てきた。

その後、ホームセンターに行き、バラを植えるための土などを買う。

今日、どうやらバラを植えるための作業をするそうだ。まずは今日中に土を起こして肥料を蒔き、土を寝かす。実際にバラを植えるのは土が落ち着く一週間くらい後だとか。

たぶん私も手伝わなければならないんだろうな。はっきり言って私やバラに興味がない。棘があるから余計に興味がない。ただでさえ狭い庭にソテツがあって、その鋭角的葉っぱが草むしり中にあたって痛い目にあっているのだ。そこに今度は棘満載のバラが居つくのだ。しかもあの強烈に鼻につく匂いを発しながら。
私は植物は、実のつくものしか興味がない。花を見るのは嫌いじゃないが、見ていたってお腹はいっぱいにならない。しょせん風情も何も備えていない人間なので、断然「花より団子」なのである。

それにしてもまた腰痛になりそうだなあ……。

そして何だかんだ言いつつ、やっぱり作業に手を出した。昼前に一度土を掘り起こした後、三時頃になってもう一度耕す。縦横だいたい1メートルぽっちの花壇だが、それでも今の私にとっては重労働だった。

ああこんなことばかりをして時間が過ぎる軟骨磨損

取られてばかり。奪われてばかり。引っ剥がされて、持っていかれるばっかり。もう与えられることってないのかしらね。

やっぱり、くっそつまらんわ。ほんまにつまらんって、つまらなさ過ぎやねんて。もうほんまにええ加減にせぇや!

カテゴリー: 未分類 | 投稿者wujiedebuyao 16:21 | コメントをどうぞ

天孫の国「朝鮮」の意味

古朝鮮の中で衛氏朝鮮をもって実在した朝鮮における国家の成立としているのは、「史記」に前漢高祖の紀元前195年、中国から燕王が漢に反旗を翻し匈奴に亡命する事件が起き、燕から亡命してきた衛満が千人余りと徒党を組んで朝鮮に入り、王険城(平壌)を首都として王位に就き、衛満朝鮮を建国したとあることによる余仁生保嬰丹
古朝鮮が「天の子孫」つまり「支配者は天が送ってくれた神聖な人物」という感え方は、支配者が外部からやって来て支配する者で成り立っていた古代朝鮮の成行きを語るものだったのだろう。元の支配者凖王南方の辰韓に逃亡する。これは朝鮮半島の歴史が北方からの侵入に対し対し旧勢力は南に避難し、最後には海を渡って日本列島にたどり着いたという東アジアの移動の一つのパターンを示している余仁生保嬰丹
衛満は政権樹立後、漢と妥協して外臣となり、衛満の孫右渠王(ウゴワン)は漢人を受け入れその勢力が巨大化した。
漢の武帝は対外膨張政策を進め、古朝鮮に送られた使臣渉何は裨王(ピワン)を殺害し、漢は渉何を遼東半島東部都尉に任命する。古朝鮮は報復として渉何を殺害余仁生 FDA。漢はそれを口実に古朝鮮を侵略、朝鮮の内通者に右渠王を殺害させ紀元前108年王倹城を陥落させ、領内に楽浪郡他4郡を設置され、それ以後、朝鮮は中国王朝の盛衰に翻弄されることになる。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者wujiedebuyao 17:26 | コメントをどうぞ