芯と面と「入口」

手の感覚の話です。

腕と、ラケットには芯があります。というか、そう感じられるようにしましょう。

腕は芯となったとしたら、重さをぶつける基になります。スイングの速さをぶつける、というような印象のスイングの人を、当たり損ねをしやすい人だとしたら、腕の芯の重さをぶつけるようなスイングは芯をイメージしている分当たり損ねは少なくできるとか、そういうイメージです。

手のひらにも真ん中があって、ラケットの芯を感じながらその道具を扱っているという事なんですが、ぎゅっと握って力だけで動かそうとすると、自然なはずの動き方ができない、ということが起こるのではないかな、と思う様になりました。

「自然な動き」はテニスのラケットを持っていなければよく似たようなスイングで理想的な形にできたりするのに、ラケットを意識するとそこが良くわからなくなっちゃうようなことがあるってことですね。

野球のバットが最近私のブログ記事によく登場しますが、これは「面」のない道具だという事が、円柱形の棒を握った手のひらを「面」としてとらえるはずだと思ったところかっら、その方が今言う「自然な」ながれの身体の使い方になるんじゃないかってことなんです。

ショットを上手く打った時に感じる、ラケット面がボールを「つかまえた」ような感触になることは、スイングって動作の中でボールを上手くとらえるようにできなければいい感触にならないってことだと思います。

そうじゃないってどういうことかっていうと、力を入れて振り回せばボールが飛んでいくだろう、っていうスイング。文章だとわかりにくいですかね。デモンストレーションをしたとしても上手くラケットに当たってしまえば同じようにしかならないので、とても分かりにくいことなんです。

だけどさっき書いたように、当たり損ねの多い人もいるし、むつかしいバウンド(ライジングとか)にきちっと合わせて当たり損ねを少なくうまく打ち返せる人もいるんです。そのショットが強いとか弱いとかはさておいて、返球率が高いとか、信頼できるのは後者の方。

それが手のひらが作っておける、「打点の入り口」を設定したような感覚を持っているかどうかみたいなことに繋がってきます。

要するに感覚的に優れている人がいて、その人がテニスがうまいとして、他の人が憧れて動作の方法をそっくりにまねられたとしても、当てる感覚が分からないなら動作が似ていてもテニスのレベルには差が出るでしょう、っていう事です。

 

腕にもラケットにも「芯」と「面」があって、互いに少しずれた軸を持っている動きであって、ハンドル(グリップ)を握っている手のひらでその面や芯をうまく通るような経路を作ってあげることで、当たり損ねの少ない、イメージに合った打球の飛ばせるスイングになるのかな、ってことです。

興味のある人は、もうブログじゃなくてレッスン受けてもらうしかないかも。表現が分かりにくくて。。。

 


カテゴリー: 打ち方オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 10:45 | コメントをどうぞ