カテゴリー別アーカイブ: 海外旅行

『人生は危険と隣り合わせで、自分に何が出来るかが問題だね。』

DSCF0150

『人生は危険と隣り合わせで、自分に何が出来るかが問題だね。』

パールバック財団の主催するチャリティーテニス大会で

ヒーローは、タイ、バンコク行き往復ペアチケットを当たった、

1992年5月に教え子の一人も一緒に行って、最高に楽しい時を過ごした、

沖縄に帰ると、教え子たちは大騒ぎをしてた

タイで暴動 流血の惨事があり、市民50余人の死者、

1000人近い負傷者がでたらしい、一日違いであった、

 

1995平成7年)117)に阪神・淡路大震災があった、

沖縄は被害は無かったけど、何か出来る事はないかと考え、

教え子たちに頼んで、不要な物を提供してもらい、フリーマーケットで

販売し、募金をした、  

 

また、この年エジプト旅行を考えてたが、テロの危険性がありツアーが全て

中止になった、エジプト大使館にお願いして、現地の国営旅行社を紹介

してもらった、テロ対策の為に、音がしたら伏せて動かない練習をしてから、

旅にでた、最高の旅であったが、2年後の19971117ルクソールの

王家の谷近くにある、ハトシェプスト女王葬祭殿の前にて大虐殺があった、

 

1999920日沖縄から、台北へ行き、一日遊んでからドイツへと

旅立った、離陸後数時間してから、921大地震が起こった、

それを知ったのは、フランクフルトに着いてからだった、

 

20019月に、教え子達を15人連れて、USオープン観戦に行った

ツインタワービルは、食事に行く時、観戦に行く時の目標の建物で、

毎日、見上げていた、910日にニューヨークを出て、

沖縄に着いて、シャワーを浴び、テレビをつけたら、

アメリカ同時多発テロ事件、ツインタワーにジャンボ機が激突

ほんとに、信じられない気持ちだった、

 

200610月に、憧れのハンガリー、ブタペストで1週間のアパート暮らし、

最終日の昼頃から、何かざわついている気がした、政治集会でもしてるかな?

なんて思って行くと、市民に呼ばれ、テントの中でサンドイッチや果物を

貰った、そして、消防車のサイレンのような手回し機を回せと言うので

ぐるぐる回すと、『ウ~ウ~~ン』と甲高くなった、これが暴動の始まりとは

騒がしい夜を越して、朝にウィーンに旅たった、前日のニュースを見たら

ビックリでした、

 

2011年3月、東北地方太平洋沖地震、テレビで放映される場面、

『あそこにまだ人が居る、危ない、危ない』津波が防波堤を乗り越え

家々を流していく、それを見つめる現地の人々、なんて事だ!

何も出来ない自分がいた、果たして何が出来るのか?

 

募金をしても、それがどんな役にたったか?実感が無かったので、

今回は、少し落ち着いてから現地を訪問して見る事にした、

地図で見てると、被災地との堺あたりにテニスクラブが会った、

白戸プロや大村コーチの紹介で、行ってみる事にした、

仮設住宅に住む人達にテニスを教えようなんて、無理だった、

自分の出来る事は、現地に住む、ちょっと元気な人を、もっと元気にして

その人を通して、仮設住宅に住む人達が元気になればって思った、

 

人生にはいっぱいの事件や悲惨な事が必ず起こる、

間違ったら当事者になる場合もあるし、教え子達が巻き込まれる

場合もある、だから、自分の出来る事をなんでもやっておきたい、

もしかして、何処かで、教え子たちが助けられて居るかもしれないしね。

 

カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 海外旅行, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 21:00 | コメントをどうぞ

『テニスのコーチとして必要なもの』

0059sai111

『テニスのコーチとして必要なもの』

ヒーローの場合、テニスを始めて1ヶ月目で教える立場になったから

教えるのに必要なものが、卓球やバレーボール、サッカーなどの

他のスポーツの経験しか無かった!

 

そこで考えた、教えるには技術が必要だから、一流の人の真似をするって事

ちょうど、テニスを始めた20歳、40年前は、協会やメーカーも、必死に普及に

取り組んでいて、プロ選手やトップの指導者を、頼めば沖縄に送ってくれる

その人のカバン持ちをしながら、各学校やサークルを一緒にまわり学び、

真似をする、そして強い選手を育てたいから、何でも吸収した、

 

25歳になると、強いクラブや、学校が気になって来た、

どんな練習をしたら、強くさせることが出来るんだろうかと?

それから、国内の強いクラブやスクールを見学しに廻った、

テニスのメーカーも協力してくれたり、紹介してくれ、いろいろ勉強した、

 

30歳になると、教えてる事に矛盾を感じ始めて来た、

良くしようと思ってるのに、思うように行かない、

教え子達に『何で?やらない、出来ない!』と求めるようになって来た、

俺は頑張ってるのに!なんで解ってくれないなんて思ってた、

1年間、テニスを辞めた、そして気づいた、自分が教え子だったら、

『この人、確かに正しい事を言ってるけど、ウザイ!』と思う事に、

それからは、人を良くする事より、自分が楽しむ事に気持ちを切り替えると

乗り越えることが出来るようになった。

 

35歳になると、世界のテニスは、どうなってるか気になった、

教え子達を連れて、海外に遊びに行きながら、見て回ったり、

この頃から、インターネットが普及し、またテニスマガジンやスマッシュでも

海外の情報を伝えてくれたので、意外と研究出来た、

 

40歳になると、他のクラブがどうのこうのじゃなく、世界がこうじゃなく、

スポーツには力学があって、道理が合っていれば、テニスの知識じゃなくても

良いんだと気づき、フィギアスケートのスピンの回転力を取り入れたり、

卓球の組立、バレーボールのポジショニングやサインプレイ、

サッカーのフェイント、ブルースリーの1インチパンチボレー、古武道

音楽から、リズムやダンスなどを取りいれて、自分流を作って行った、

 

45歳になると、いろんな職業の教え子が居るから、テニスを教える時に

その専門的知識に対応して、情報を伝えると解りやすくなると思い勉強した

学校の先生、裁判官、パイロット、剣道や合気道の先生、ドクター、看護士、

営業や事務や総務社員、其々の知識を学び、当てはめてテニスを伝えていく、

これに限界は無い、生涯学ばないと解らない、

 

50歳になると、自分が教えてる事が、正しいのか知りたくなった、

日本各地に行って、初めて会う人にテニスを教える、

これが『日本縦断テニスレッスン』の始まりだった、

始めて会う人は、まず、『この金髪でチビデブ、何を教える』って思ってる、

それに、最初に『こんな20年前のテニス、古過ぎる』なんて言うから、

余計に拒否で始まる、遠巻きにしてる人を、30分で1mに近づける

これが目標だ、2時間後には、昔からの親友になっていれば成功だ、

 

55歳になると、ジュニアの頃教えてた人達がどうなって居るのか?

気がかりになり、どう導いていけば、幸せになれるのかを学びたくなった、

楽天ブログから、MIXITennis365などで対応してたが

フェイスブックが始まり、プロになった人、日本ランキングで1位になった人、

ジュニアの時頑張った人、それらの人がどうなって行くのかを知れるように

なって来た、そこで気づいた、頑張った人は、何をしても頑張れる、

そして、幸せになってる人が多いって事、

 

『テニスのコーチって、テニスを通じて、工夫し、楽しく、頑張ることを教える』

これが、コーチの仕事なんだって40年かけて解った事なんだよね、

頑張りを伝える為には、自分が頑張らないと、

だから、次の5年は、挑戦って事になるだろうね~♪゜・*:.. ..:*・♪

カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 海外旅行, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 09:35 | コメントをどうぞ

『ヒーロー必殺シリーズ、ダブルス編』

106

『ヒーロー必殺シリーズ、ダブルス編』

オランダから来た松岡さん、宿泊先はちゅら海水族館の近く

高速飛ばして、2時間でついて、2時間レッスンして

また、2時間かけて帰る、合計6時間もかかるのに、

今日も頑張って来てくれた、だから、絶対吸収して欲しい事を教える、

 

最初の動き始め、これをテストしてみると普通以上でなかなかだ、

ヒーローが必殺のコツを教えると、なんとなんと凄い、

トップクラスでもここまで吸収出来るか?っと思えるぐらい上達した

ジュニアレッスンで1年かけて出来る事を、5分で出来た、

 

ダブルスの動きも、テニスコートはどんな形?って聞いたら、

四角って言ってたけど、3角だって説明をしただけで、ポジショニングが

直ぐに理解出来て解った、ヒカルコーチもラリーしてて、ビックリ、

『ヒーローコーチ、この人、吸収力凄いですね!』って言ってた、

 

サーブも、スライス、スピンを簡単に教えた、

後は、自分で打ちなれるだろうと思った、

レッスン後に、ゴムまりのように、忙しく弾んで帰って行った、

面白かったね~、教えていて、

 

17時からジュニアの練習、ヒーローはテニスを通じて

モノの考え方や、工夫を教えたいと思っている、

高校生達が『コーチ、バイトしていいね~』って言ったら、

ちょっと、人見知りをする子や、人間関係があまり上手じゃない人には

『いいよ!』って言うけど、極力は、バイトをしない方を進める、

 

今まで、40年もジュニア達を見ていると、バイトしてた子は、

バイトしたお金で、欲しいのをどんどん買う癖がつく、

社会人になっても、意外と物欲が強くなり、十代に培った買い物癖が

治らない人が多いし、お金が貯まらない人が多い、

ま~、中にはしっかりした子も居るけど、少ないね、

 

高校時代に親の脛を齧ってる人は、お小遣いを貰う為にも、

親の顔色を伺ってるし、お手伝いもしないといけないし、

家族の事も考える、就職しても不器用だけど、比べるものも無いから

こういう事が仕事だろうと思うし、厳しくても続けつづけて、

意外と偉くなってる人が多いのが不思議だね!

カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 海外旅行, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 00:07 | コメントをどうぞ

☆食べ物やさんと直ぐに仲良しになる☆

CIMG0371 CIMG0489

海外に行く時は、航空券だけを買って、後は現地調達、

ガイドブックも見ないし、適当に出会うものに感動する、

ガイドブックを見ると、写真に写ってるのを探すだけで、

こういうのがあるって解るから感動しない、

だって出会わなかったら、また、次来る楽しみが出来るしね、

 

特にホテルは大事だよね、この景色の見えるホテルを探す、

それも、値段も手ごろなもので、交渉して、安くさせる、

あの日本人には負けたよ!って悔しがらせる値段にする、

交渉する面白さと、見つけられるか、スリルとサスペンスだ、

交渉のお陰で、フロントスタッフとも友達になれるし、

面白い情報も提供してくれるし、なによりも、尊敬してくれる、

これが楽しい、

 

次ぎの問題は食事だ、ガイドブックを見ないので、

自分の目と鼻と感が勝負だ、現地の人しか入らないような

レストランを見つけて入る、外れた事はほとんど無い、

そして、何が美味しいかお客様に聞く、

『これが美味しいよ』『あれが美味しいよ』って教えてくれるし

『味していいよ!』って皿を差し出す人も居る、

美味しい美味しいって食べてたら、デザートの差し入れやら、

現地の民族舞踊や演奏をしてくれる人も居て楽しい、

 

また海外では、ワンプレート、自分でピザを注文したら、

それを一人で食べるマナーがあるけど、ヒーローが取り分けて

皆に配ってあげてると目を丸くする人や、若い人は真似する、

だって、ピザを一皿なんて飽きるし、色んなの食べたい、

7人居たら、七品も食べれるなんて幸せだしね、

 

日本に居ても、沖縄に居ても、何処でも食べ物やさんと

凄く仲良しなんだよね、

 

まるで、家族のような不思議なお客さんなのかもね、

食べ物に困る事が無いって、どんだけ幸せなんだろう!

食べ物やさんには、いつも感謝です、美味しいのありがとう!

カテゴリー: テニスコーチ, ヒーローテニススクール, 海外旅行, 玉城 弘 | 投稿者ヒーロー 23:06 | コメントをどうぞ