日別アーカイブ: 2017年5月8日

ずかでもからか

仕事が多忙で更新をできずにいたら「注意」されてしまった。

「そろそろ宿題やらないと夏休みが終わっちゃうよ」

というのに似ている(似てないか??)

このブログは日記というよりはエッセイの色合いが濃いためそれなりに考えて書くので、ネタがないとついつい更新頻度が下がってしまう、言ってみれば僕はかぎりなく「劣等生」ということになる。

スポンサー広告を見ていると背中に「劣等生」という貼り紙をされている気分になってきた。見に来てくださった方々に貼り紙を見られるのはちょっぴり恥ずかしくなり「劣等生」はようやく机に向かった。

小学校1?2年生の時である。
僕は担任のM先生がとても好きだった。
年齢は今思えば50歳前後だったろうか??

優しくてユーモアもあり、今でも忘れがたい先生の一人だ。

M先生は普段は優しいのだが、悪いことをしたときは当然のごとく厳しい。
その中でも忘れられないのは「破門」であった。

僕のクラスは「1年1組」であった。
そして、1組にはM先生の作ったいくつかの「おきて」があり、これを破ると先生から「罰」が下された。
その中で一番重いのがこの「破門」だ。

例えば、誰かをいじめて謝りもしないなどという場合

M先生の手作りの大きな「破門札」が首からかけられる。
これは画用紙を2枚、お腹と背中に垂れるよう二本のひもで結ばれ、首けるようになっている。

例えれば??ちんどん屋の「看板」
例えれば??スポーツのチーム分けに使う「ビブス」
それでもイメージがわかない人には首からかぶる両面サイドの「ゼッケン」

そしてそこにはこう書かれているのである。

「わたしはわるいことして1くみをはもんになりました」

そしてM先生は給食の時間にその「罪人」を教室から追い出してしまう。

クラスを追い出された「罪人」は隣の2組へ入って行き2組で給食を食べさせてもらうのだ。

もちろん男女の区別はない。

「贖罪」を終えた「罪人」は給食のあと、M先生の元へやってきて謝ったのちにようやく許されて1組へと復帰できるのだ。

僕はM先生が大好きだったので絶対に「破門」されないよう心掛けたものだ。

さて、読まれてどう感じたであろうか?

若い世代の方なら

「虐待だ!」

と感じる人も多いと思うし、今の時代に同じことをすればまず100%親から訴えられ、先生は良くて減給、下手すれば懲戒免職だ。

校長先生は謝罪会見で頭を下げ、教育評論家は「人権を何だと思っている!」と息巻くであろう。

でも、僕には、そしてあの時代では、全くもって何事もないあたりまえの「教育」だったのだ。

生徒は教師に何も言えない。
これはまさにフッショであり間違いである。

逆に現代の教室現場では教師と生徒のパワーバランスがイーブンくらいになっているのではないか。いや、五分五分どころか、先生がわ生徒の体に触れれば「体罰」と訴えられ、モンスターペアレントは教育委員会に駆けこむなどむしろ生徒の方が力を持っている嫌いがある。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者luckryer 13:01 | コメントをどうぞ