月別アーカイブ: 2014年8月

福岡市ベテランオープンテニス大会

日曜日曇り 晴れ

福岡市ベレランオープンテニス初日、昨年70最後の記録を残したいと初参加、9人のエントリーでウイナーとなり92Pゲットしていた。優勝すればプログラム末尾の優勝者一覧に記録される。92ポイントといえばランキングの下位では少なくとも5以上のランキングの差がしょうじている。1年経過して同じ大会が終われば消滅する。ポイントを維持するためには少なくとも同じ大会に出て頑張らなければならない。
東北ベテランウイナーとなって591Pゲット、福岡市はFの大会、優勝しても9ドローで92P、今回は4ドローなので65P、東北部ベテランの端数にも満たないが、ポイント混戦のところでは微妙に影響する。

博多の森、室内3番コートでSO氏と対戦6060で勝たせてもらう。
明日、同じく9時30分から決勝戦、相手は福岡県ベテラン1回戦で対戦苦戦したNS氏、自分の力を出し切れば何とかなるかもしれない。でも油断大敵。

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高校野球 山鹿の城北初戦突破

土曜日 曇り 晴れ

ようやく地元代表の城北が登場した高校野球、2試合目に行われ、雨で中断するするほどの降雨で内野のグランドはぬかるみで、見る方が痛々しい状況だった。1対1から1対3と2点のビハインドを5回に1点差まで詰め寄り、チャンスをうかがっているかに見えた。8回の裏に3点を入れて1点リードして9回の表を乗り切り貴重な甲子園での1勝をあげた。

監督インタビュー、こういうこともあろうかと、雨の中でも練習させていたという。ぬかるみのプレー、選手は悪天候ものともせずプレーしていたのだ。その成果がこういう形で実を結んだに違いない。おめでとうございます。
九州勢は2校しかもう残っていない。貴重な存在、2試合目は九州代表として頑張ってほしい。

15時から運動公園Bコート10面の10番で長男とシングルス。今日も歯が立たず、隣のコートで男女二人で練習していた。見たことがあると思ったが確信持てない、声をかけてみるとやはりogatashiだった。奥さんだという、ダブルスお願いするとOKしてくれた。負けることはないだろうと対戦したが36の完敗。O氏の力強いキックのきいたサービスにストローク、奥さんの堅実なプレーに懸命に頑張ったが相手が上手だった。

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高校野球 山形中央の劇的逆転

木曜日曇り 雨

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お盆休みで孫たち参集、途中から見が高校野球、山形の記憶も新鮮でついつい応援しながら見ていた。三点のビハインド、愛媛の小松優位に試合を進めている。回を残して1点差まで詰め寄りまだまだと見ているとすぐに2点入れられて、又も三点差、ほぼあきらめて見ていたが山形中央は9階の表に4点入れて1点リードで裏を迎えた。塁に出して厳しいピッチングが続いたが、ピッチャーの軟投で何とか逃げ切り山形が勝っていた。

・WTA(女子ツアー) 2014.08.14 奈良くるみは2回戦で第4シードのラドバンスカに敗退 [ウェスタン&サザン・オープン]

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時差ボケまだまだ

水曜日曇り 晴れ

疲れが抜けない、加齢と旅の疲れの両方から来ていそうだ。
10時からのI氏とのシングルスはセット11の引き分け。こんなテニスでよく優勝できたものだと思う。

コートで日ごろのテニス仲間からおめでとうと握手を求められて、うれしかった。

「運も実力のうち」ということわざがあるが、ぼくの場合実力という言葉は適用されない。ぼくより上のシード選手がいなくなったという運がめぐっていた。高知県ねんりんで対戦した長野県の選手が1シードをファイナル、10pのタイブレークで破ってしまったのだ。その時点で運がぼくにほほえみかけようとしたいた。

1シードのH氏ファーストは楽勝で、セカンドになって失速したらしく26で落としていた。何かアクシデントがあったようだが、それでも頑張りタイブレークは74で長野のN氏をリードしていたらしい、が77と追いつかれ88から2Pとられ0810で1シードはダウンしていた。

ぼくは、ぼくのサービスにやられたと言う長野のN氏に6161、同じくサービスでやられたという6シードのT氏を6364で破り念願の優勝を掌中にしていた。

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JTAランキング速報届く
・シングルス 70歳 130余位
       75歳 20位半ば

・ダブルス  65歳 210余位
・      70  40位半ば
・      75  20余位

チェックするのは75のシングルス。順調に伸ばしている。来月が楽しみだ。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:14 | コメントをどうぞ

東北ベテランを終えて

月曜日 曇り

昨日一昨日と強硬日程で体がおかしい。終日家で過ごして垣根の手入れとブルーベリーの収穫などしたが、昼からベットで仮眠、夕方マッサージへと出かけた。パソコンメールにN氏からメールだ届いていたし、携帯にも賛辞のメールがいくつも届いていた。
D以上の大会で優勝したら報告しょうと心に決めた人が何人かいた。最初からぼくを励まし応援してくれていた人だ。苦節7年やっと恩返しができた気がしている。長い道程だった、が遠く離れた山形でそれが実現しょうとは考えもしなかった。少なくとも200P確保を狙ってのエントリーだったがドローを見た時は、これでは中国ベレランでよかったのだと後悔しきり、おまけに東北四大祭りの一つ「花笠まつり」と日程が重複宿は確保できず頭が真っ白になった時もあった。
山形の地を踏み、会場を捜して歩いた時はどうしてと後悔しきりでしたが、旅は道ずれ、人との出会いで目の前が明るくなっていった。なんでこんな時に開催するのだと不満タラタラの「花笠まつり」、目の前で花笠のパレードに遭遇したりの偶然に、幸運だったのだと思ったりしていた。最後にはウイナーとなり、不思議な心地で長い長い新幹線の中にいた。

(東北ベテラン 70S 22-24)

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:46 | 2件のコメント

台風に向かっての帰還

日曜日 山形市の朝は曇り空

決勝戦のある日だった。終日雨模様の報に主催はうろたえたかも知れない。四国から岡山へ再上陸した台風11号は日本海を北北東へ向かっていると列車内で報じられ、1時間弱の遅延は生じていたが、なんとか家路に向かっている。

昨日ホテルへ荷物を置くと、その足で歩くこと15分の山形駅へ向かった。そしてJRのキップ売り場へ駆け込み新幹線で武蔵塚駅まで申し込んだ。盆休みの帰郷も始まり台風もあって航空便は諦めていた。
係員が「のどみ」で博多まで行ってというので、「ジバング」はのどみの利用できないですよというと、若い担当者はあわてて調べ直すが首をひねっている。大阪から先がないという。困ったた顔をしていると4時間の待ち時間で一席だけありますというから、泊まるよりいいかとお願いした。ハプニングもあったがそれは伏せておこう。
山形駅早朝6時の新幹線で東京へ、大阪で4時間余りの待ち武蔵塚駅の到着したのは夜の9時を過ぎていた。長い長い一日でした。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:15 | コメントは受け付けていません。

ついにその日が

土曜日の山形市 雲小雨

西日本は台風の影響で大変らしいが、山形市は明るい曇り、今日もなんとか持てそう。バス停まで10分、バスで20分、ゴロゴロ引いて歩くこと20分で山形市総合スポーツセンターにたどり着き、その一角にテニスコートがある。

N氏との準決勝はセンターコートと言うべき2番コートで9時からだった。N氏の奥さんは場所を変えたりしなかわら見守っていた。

1ゲーム目相手のサービス、ジュースを何度繰り返しただろうか、ブレークして、ぼくに流れを感じた。次のサービスはブレークされ11となったがファースト61で取り、セカンドも61で勝利することができた。その瞬間、はるばる山形までやってきた目標を達成していた。

まだ10時半過ぎ、満足に朝飯も口にしていなかったので弁当を食べ、荷物を整理しなから考えをめぐらしていたが、近くの掲示板の前に行くと、注目すべきことをが掲示されていた。日曜日は雨なので対戦者の同意があれば本日行ってもよい。(協力してくざさいの意味)とただし書きあり。
早速本部へ行き、相手が同意すればOKですと申し入れた。

決勝戦は13時から4番コートで行われることとなった。とうとう小雨が降りだしていた。ファーストは62で取り、セカンドも52とリード、グレートD以上の優勝が目の前にちらつきはじめた。キープされ53。ついにサービスフォーマッチがやってきてた。
マッチポイントは一度はあった気がするが相手の攻撃にたじたじとなって落としてしまい54、流れは変わった、かに見えて動揺がはしっていた。
コートチェンジして相手のサービス。ここで決めないとヤバイと心から思った。互いに必死の攻防でジュース。そこでもジュースが長々と続き、最後はイージーボールをネットしてくれウイナーとなっていた。

コートを去る時、「今日は楽しかった、またやりましょう」と言ってくれた。
うれしかった。

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新たな出会いそして(東北ベテラン)

昨日試合が終わって引き上げていると、同じ75で隣でプレーした人が話しかけてきた。 松本から来たというので九州の熊本ですというと、ねんりんで戦いましたね長野県ですよと言う。夕食の時うんぬんというので記憶が蘇ってきていた。

チームで長野の練習を見学してここには勝てそうだと楽観視していたら負けてしまった。70男子は勝ったが期待の60女子が逆転負け60男子も負けて悔しい初戦を失い、おかしくなっていったのだ。

だけど問題は今日の試合。彼が第一シードを破ってしまったのだ。ハプニングと言えば失礼になるが、それに近い出来事だったのは本人も認めていた。

フォー決め、上の山の2試合は9番、10番コートに2番目の試合でほぼ同時始まった。松本のnakamurashiは大病を患い1年ほど前にテニスに復帰してリハビリで試合に出ているというのを真に受けていた。第一シードの試合ぶりは格好良かった。帽子からパンツまで模様入りで揃えファーストは63で取っていた。

ぼくは53でリードしていたが55と追い付かれていた。隣のコートを気になっていたとは言い訳で、相手は粘り強く抵抗してきた。人工芝の砂がほとんどなくなってバウンドが早く手こずっていたのだ。でも75でなんとかものにした。
セカンドは4041とぼくのペースで進む、隣を伺うと様子がおかしいのだ。第一シードは帽子を脱ぎすて必死の構えに見えた。友人とおぼしき彼がずっとリードしていた。62で取りそしてファイル10ポイトのタイブレークに突入していた。

ぼくは62と粘りを振り切って勝たせてもらったが、内容はスコア以上に厳しかった。ながい長いジュース2回、あれを落としいればどうなっていたかと思う。

9番コートネットごしの握手の様子がおかしい。タイブレークになれば第一シードが有利だと思っていた。ノーシードの病み上がりにまさか、「第一シードを相手にファイルまでよく頑張りましたね」は必要なくなっていた。
ぼくは彼に言う言葉を探したか見つけ出せなかった。奥さんがやさしい目で応援していた。
笑顔を絶やさず話しかけてくれたおぼしき人は、ぼくよりひとつき遅くの誕生だった。
あすはおぼしき人と準決勝を戦うはめになった。

別れ際、「明日は口をききませんから」というと、にんまりえみを浮かべて奥さんと何処かに消えいった。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 19:59 | コメントは受け付けていません。

山形の昨日と今日

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途中、総合スポーツセンターのバス停で山形市役所経由という時刻表をデジカメしていたのを思い出していた。灼熱の中をようよう引き返して、来る方の時刻表を確かめに道幅広く車の途絶えを待っているとラケットを背負った人が同じ動作をしているのに気がついた。そして時刻表の前で鉢合わせ、藁をもつかむおもいで対話していた。彼はずっとくわしかった。山形市に泊まっていると知ってご一緒させてもらった。少し離れたバス停について行き、そこから市内方面のバスに乗り込んだ。

ぼくは大会にそなえてプリントアウトしていた10枚の名刺の1枚を渡した。何かつぶやいている、知っててるよと聞こえてきた。バスの騒音で途切れとぎれしか聞こえない、近寄って耳を近づけたがはっきりしない。ブログラムを引っ張り出し、ページを指し示すと彼がkami氏だったとしり、偶然の出逢いに興奮していた。
お互いにパソコンのドローで名前をチェックしてその存在を意識していた。一つ下で昨年まで同世代で戦っていた、ホテルも同じという偶然が続いていた。いつの間にか二人はうちとけていっていた。

山形駅で下車し「芭蕉湯」に案内してもらい疲れを癒しながらテニス談義でお互いの理解を深めていた。
夜二人で「花笠まつり」をひやかし、ビールで乾杯して、地元名物らしい「そば」がうまかった。

今朝は近くのバス停から会場に案内してもらい助かっていた。
ぼくは9時からの初戦の2回戦6263で勝ち進んだが、仲間は第二シードに惜しくも破れた。
山形駅まで一緒して、かたい握手で別れた。大宮まで新幹線し、そこから自宅へむかうという。残されたぼくは当たり前のひとり行動に自信がゆらいでいた。

宿に戻り「しずかさや岩にしみいる蝉の声」立石寺へと考えたが、ベッド横たわるとうごけなかった。

夕方、山形の街を雷雨が襲った。小康状態になってマイクが鳴り響き始めた。予定どおり6時過ぎから始めるという。
6時過ぎぼくもコンビニに行こうと宿を出ると祭りがはじまった。飲み物等を手にしてコンビニを出ようとするとどしゃ降りなっていた。しばらくやどって宿に戻ると部屋のテレビは「花笠まつり」の中止を報じていた。

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喜怒哀楽の終日(東北ベテラン)

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ベッドに横たわり携帯でブログしていると、窓外からは祭り囃子が耳をつんざくばかり聞こえてきた。
宿泊ホテルの前の通りで幸運にも「花笠まつり」のバレードが繰り広げられたのだ。

幸運にも、そして別の幸運にもめぐまれていた。

今朝暗い中、歩いて10分の高速バス停から5時05分に乗り込みF空港から快適な空の旅をして9過ぎに仙台空港に到着していた。津波災害からはすっかり立ち直っているかに見えた空港からコートの下見をしようと羽前千歳(うぜんちとせ)までのJRのキッブを手にした。

仙台までは快適な電車であったが、乗り替えた仙山線は山形に近づくにつれ、ローカル線のきわみとおもえることが二三あった。

羽前千歳駅、急な階段を重い荷物で必死に上り下りするとそこは小さな無人駅、バソコンで打ち出していた地図等のデータを全て忘れていたが頭のインブットを頼りに歩きはじめた。昼下がりのむっとする灼熱が降り注いでいた。歩みを止めて傘を取り出し、しばく歩いて長袖を脱ぎ、しばくしてズボンも脱ぎタンバンとなって歩いていた。
道を間違えたりして、かなりの時間をかけてようやく会場の運動公園に着いてた。すでに昼は過ぎ喉はカラカラ、あさから満足なものは口していない。
後悔が山のように押し寄せてきていた。会場を確認してよろよろと山形市行きのバス停を目指すと、そこでぼくを助けてくれた仲間に出くわした。藁おもつかむ思いだった。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:19 | コメントは受け付けていません。