五木寛之の『青春の門』初めて手にする

火曜日 曇り

「青年の門」は興味のあった本だった。なぜ興味が、なにせ、香春岳が最初に出てくる田川をだいだいにした小説、青春小説だと知ってからだったが、読んだことはなかった。
あるとき気になってどんな内容なのか、パソコンで調べたが、わざわざ読んでみる気にはなれなかった。
地元の新聞の夕刊に何時からか「五木寛之」の短文、随筆のようなものが週一回夕刊に大きなスペースをとって載り出した。肩の凝らない内容なので読んでいた。難しい漢字。レモン、バラともう一つあった。その漢字を書ければ女性にモテルよと、学生時代にあったらしい。ぼくもとりあえず一所懸命覚えたがすぐに忘れてしまい、その三つの単語もうろ覚え、頭の悪さが実証出来ていた。

それはまさかの出来事の様におぼえた。一週間前、運動不足が気になり、夕食後、少し歩いてみようと出かけた。夜は歩道でも歩きずらい、よろよろしながら、しばらく歩くと尿意をもよおし、探すと先の方に何度か行った古本屋とAUが合体した建物が目につきとび込んだ。ようをすませて、お礼にと古本屋の中を一周していると最後の方になって作家の名札が挟まれた本棚に、たくさんの名前が所狭しと続いていた。物書きがこんなにいたら、この商売も大変だろうなあ、とか思い歩を進めて終わり近くに、目の少し上の棚に「五木寛之」の名前が目についた。そこには青春の門がずらっと並んでいるのに、釘付けになっていた。
こんな本、文庫本と言うんだと手に取ってみた。文庫本は文字が小さいので興味がなかったが、やはり文字は小さい。古本屋なのに新しい。あとでよく読むと新カバーで再登場とあったが、これも何かの縁かもしれないと「第一部筑豊編」を買ってしまった。

窓際の明るいところでは、何とか読むことができた。ぼくは一週間かけてようやく読み終えた。夜には拡大鏡を使って読み、読み進むほどに興味は尽きなくなっていった。
主人公、伊吹信介の田川、飯塚を舞台にした、生をうけて東京の大学行くまでの十代の人生のいったん、男の成長の過程、人ごとでなく興味をそそられていた。

ヤクザな家庭の事情の中でいろんな経験をしながら成長して行く。ケンカや性など。十代のせいてんあり、大人として成長して行く、男として成長して行く過程の中で、誰もが似たような人生経験をしていたに違いないと考えていた。

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(青春の門の表紙のうらの写真 香春岳)

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(父が撮影していた昭和10年頃の香春岳)
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(炭鉱記念館より今年3月に写した香春岳 チェンソーで根っこから切られたような、山の面影はどこにもない。初めての人は驚くだろう。)

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(父が撮影していた、ありのままの香春岳)
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(ぼく写した昭和50年前後の香春岳)

香春岳のふもとで生を受け、小学校の外れにあった幼稚園は丁度家の前にあって通園の記憶はあるが、戦争の末期19年に父を病で父をなくして、祖父母の田舎にj引っ越したのだが、それからが戦後の食うや食わずの厳しい生活が待っていた。

ぼくは26才を過ぎて頃、考えることがあって熊本で働くようになった。そこで結婚して子供ができてからは、盆暮れ田舎に帰っていた。冷水峠から飯塚を通り抜け、烏峠を越えて田川の香春町から、行橋方面に抜けて田舎に帰っていた。烏峠まで来ると香春岳が見えてくる。三っの山がならんで一の岳、二の岳、三の岳、一番手前の一の岳が香春岳だ。

峠を下り近づいて来る朽ちかけた香春岳をみやりながセメント工場を右に、川沿いの向こう側に小学校をが見えてくる。小学校のすぐそばにあった昔の家の近くになると、なんとも言えない気持ちになることがあって、そんなときはハンドルを切って近くまで行くことがしばしだった。
その道を真っ直ぐ行けば北九州方面、その先を右に曲がれば行橋方面で、田舎へとつづいていた。


カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:05 | コメントをどうぞ

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