こんにちは
今日は昔書きました「新しいテニスの流れができる話」を…テニスの世
界もチャンピオンを倒した選手が次の流れを作ります 戦国武将のよ
うですね
でもほとんどの選手に影響を与えるような流れを作ったのはほぼ3人かな
(答えは後ほど..)ですので自分が見てきた「男子王者の流れ 」をお読
みいただきたいと思います。目のつけ方によっては違った記述になりますが
「en tout cas」版、しかも数回に分けての長編でお付き合いください
自分は1985年からしかテニスをやっていないのでそこからのことをメイン
にします。 その前の時代はプレースメント(コントロール)主体のホント
にうまさの光るテニスだったと思います とにかくミスが少なく、コン
トロールで相手を追い込んでいくテニスです。
このテニスのスタイルは無礼な言い方でしたらお詫び申し上げますが、今
だいたい50代半ば以降のコーチや全日本クラスの方のテニスで多くお見か
けします。まだ何もかもよく分かってなかった学生の頃、日本ランキング
でベテランカテゴリーの上位にいるコーチの方達と練習したことがありま
したが、まぁ~当時の自分は
「どこに打っても返されて相手は絶対にミスしない!なんだこりゃ~!」
とよく思いました
そのテニススタイルをジミーコナーズ(答えの1人目)が打ち破ったと聞
いています。コナーズは当時「テニスを格闘技に変えた」と言われたそう
です。74年から79年までランキング1位をほぼ維持していたことから
もどれだけ強かったかが分かります
フラットのテニスで果敢に戦うコナーズに続いてトップスピンで世界を征
したビヨンポルグ(全仏4連覇・全英5連覇など)や、天才的なネットプ
レーヤーで当時テニスファンでなくても子供でも知ってたジョンマッケン
ローが現れて順にトップに立っていきます。
マッケンローは76年にデビューしてから半年でランキング71位になり、
その年は最終的に243位上がって21位になりました。(※この記事の
数字は全て自分が調べられる限りの数字です) この数字で上り詰めてく
のを想像してください。当時みんなどれほどマッケンローに熱狂したでしょ
うか。。そして80年から85年までランキング1位か2位にいてテニス
界を大きくリードしていきます
このあと現れた王者はレンドルです 自分がテニスを始めた85年から
1位の選手なのでとても思い出深いプレーヤーです。
あっ 時間がないので続きはまた明日以降に…どうぞまた読んでください
P.S. ランキングのことを調べてる時に70年代のトップ10を見ると、
今は数々のトップ選手のコーチをしている名将「トニーローチ」や「ホセ・
ヒゲラス」の名前がありました。 見つけた瞬間に思わず
「おぉ~~っ」
と言ってしまいました 今はシブ~イ味を出していますがピチピチの頃
があったんですね
続く…