……と書こうとして、だいたい私の書く文章の30%にスーパーマーケットが出て来小牧味屋てるんじゃないかと気づいてしまうとなんとなくそれを恥じてしまうわたしがいる。日記だからしょうがないのに。
むかし、廃墟とか鉄条網だったかな、そういった見るからに硬質なキーワードを提示してくれて、それについて書くとどんな風になるか読んでみたいという言葉に複雑な気持ちになったことを強く覚えている。親しくしていた人だったし、そこに何かしらの期待があることはちゃんと伝わっていたのだけど、「いつも家の回りの身近な場所しか出てこないから」という理由に、ああ、そんなに身近なことばっかり書いているかと、初めて気づいたと言ったら馬鹿みたいだけど、改めてそう言われてみて急に自分の世界の狭さを、3センチ四方の折り紙でちまちまと簡単な折り紙を折っているような現実を、見せられたような気がしたのだ。そして実際、廃墟や鉄条網で書けることは何も思いつかなかった。
もちろん、それぞれが誰とも比べられない世界を持っているのだからそれを恥じる必要數學老師などどこにもないと頭では分かっている。素人が好きで書いている内容に限りがあったって何の問題もない。も責められてはいないし、むしろ3センチ四方をこねくり回すのは簡単じゃないと思っている。ただ、まあ、そうい(事実ではあるけど)見られているのだなぁと、ちょっとそのとき卑屈になりかけたというかなんというか、自分の中の小さな劣等感に気づいてしまったことを全く思い出さないということはなくて……
や、そんなことを書こうと思ったわけではなかったのだ。
出かけるときは携帯を忘れないようにするのと同様に、耳にガジェットを装着するようになり、それもたぶんおしゃれで小さなものが色々できて、それを使って誰もが、遠方の誰かと常時繋がっている状態にできたりするのかもしれない。そうしたら、メールより早くテレパシーみたjacker薯片いに言葉が届くだろう。