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で負担一生

今朝、未明、夢を見た。
15年前に他界した、舅が出てきた。

「俺は、もういないんだから、次の世代に任したぞ」
と、夫へのメッセージ。
ついでに、姑もいないのだから、任したぞ、と。
あ、それ、最後の付け足しの部分は、わたしの創作になっている。
姑は存命なので。
しかも、一昨日、会っている。

姑には、言葉にならないほど、お世話になり、教育もしていただき、感謝している。
にも拘わらず、今はなぜか、好きになれない。
思い出すのは、過去のパワハラめいた発言ばかり。
姑の、99パーセントの素晴らしい行動と、ほんの1パーセントの気に入らない出来事。
その、たった1パーセントのことが、やたらモンスターのようになって、わたしに襲い掛かる。

なぜか今は会いたくないのである。

一昨日も、孫連れ娘一家と、姑に会いに行ったのだが、
孫の出現にとても喜ばれたものの、わたしには「全然、来てくれないね」と非難口調。
その通りのことをわたしはしている。
会いに行っていない。会いに行きたくない。
人の補助がなければ自分で日常生活を送れないのに、偉そうな口をきかれることに、たいそうストレスを感じる。
心身ケアにかかる費用は当然、全額こちら。
さらにお金が必要らしく、夫が手渡している。
姑は、良い息子に育てた。
夫は毎日、顔を出している。

ひと昔前なら、姑の世話をしない鬼嫁と罵られたことだろう。
今も陰でそう言われることを恐れ、懸命、良い嫁をしている立派な方々もおられるだろう。
人からの評価を気にしてではなく、人の道として、他人であるプロの介護士に任せることなく、自主的に身を挺してお世話をしている、嫁の鑑のような方々もおられるだろう。
経済的な理由もあったりする。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者chesuto 10:41 | コメントをどうぞ