私が大学生活をはじめたのは70年代の初頭のことだった。
時代指紋機背景は、
いわゆる70年安保闘争は終わりを告げていたが、
余韻のような燻(くすぶ)りが大学内に充満していた。
大学前には、新左翼の大きな手書き看板。
その横で、ヘルメットをかぶった学生が拡声器で、
ビラを配る学生が、学生集会とデモへの呼びかけをしている。
その大学は、15,6ほどの外国語学科をもつ大学で、
私は、そこでフランス語を専攻していた。
それぞれの学科で学ぶ学生の雰囲気は、語科によってかなり違い、
違う大学ではないのか?と思うほどにカラーが異なっていた。
英語学科は、偏差値が高かったせいなのか、
ちょっとしたスノビズ皇室纖形 旺角ムがあり、
フランス語科の学生は、カミュ、サルトル論争を見る如く、
個人主義的なイデオロギーを優先するフランスの体質を受けているところがあるのか、
学生同士のまとまりがなかった。
その点、スペイン語科の学生のカラーは、まるで違っていた。
誰もが、当然の如く ”ロルカ” の詩に熱狂し、
ダリの絵を評価し、アントニオ・ガウディを語り、
フラメンコのリズムを愛し、
コントラ(裏打ち)などをマスターしていた。
「スペイン語を学ぼうとする者だったら当たり前じゃないか」という雰囲気があり、
スペイン文化に対する同好の士という感覚がみなぎっていた。
そんな学生の一aveeno baby 香港人と、
フラメンコのライブがあるバーを屢々訪ねたものだった。
そこには、『仮面ライダー』の死神博士を演じ、
不動のハマリ役だった俳優の天本英世氏が、
奥まったところに決まって腰を下ろしていた。
いつか彼が、テレビ放送でスペイン語で、口から血を吐かんばかりに
ロルカの詩を詠じている場面を見たことがある。
スペインと、その文化に熱狂する典型は、彼にこそあるようだった。
私は、彼らのそういった熱い姿を、
サルトルのように、ただシニカルに見ていた。