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過往的年華

 

那些隨意渲染的青春、那些愴然淚下的情緒,都只是在憶壹段往昔。

——題記
文/漠唯殤

青春裏的只言片語,莫名的情愫,縈然耳邊的那曲曲憂、樂、喜、悲的調子,都恍若鏡花水月。誰也不會永久悲傷,也不會永久歡樂。總有那麽壹些人或事影響我們的情緒,每個青春都不會是獨家記憶,每個人的青春都不會是壹段留白。

我壹直都是壹個不易笑的人,因為我認為沒有什麽是值得我笑的。

我也壹直都是壹個不易哭的人,因為我認為沒有什麽能值得我落淚。

看著教室的男男女女,各自地在時光中投影,看著他們舞動著青春。我卻漠然地留在年華裏。

其實,我們每個人都是壹樣的,看著別人的故事歡笑,想著自己的故事流淚。

時間,從來都沒有為了誰而停留過,當我們在歲月裏鐫寫著悲傷的時候,它卻滾滾而過了紅塵。

習慣性用文字拈出壹指繾綣,阡陌三千,傷離出的是幾許塵環。那些文字,蒼白,柔弱無骨,只是透著幾多淒涼。

在陽光下,我努力的想感受到陽光的溫度,那是我觸及不到卻又從未離開的光。

曾經,也壹度笑得燦爛過,還記得從前的壹些令人發笑的壹舉壹動,幼稚,卻是溫暖的。

時間將我們的純真泯滅了,歲月荏苒,當我們還在年華裏旅行,那份天真卻已經遠去了。

於是,在這些個如花的年華,本應該若蝶般翩翩在斑斕中的我們卻迷戀上了那份憂傷,莫名的頹廢感讓我們學會了用煙、用酒來發泄。學會了用文字來寄托那千瘡百孔的靈魂。

當往事不堪回首,當我們還在斑駁的緬懷那段往昔,不知不覺,悲傷已經陪我們度過了壹季又壹季。

總有那麽壹些人壹些事,在我們忖怛的時候悄悄地觸動我們的心弦。

我曾經壹度以為我不會再為某壹個人再動情。如今才明白,只是能碰到會讓我再動情的而已。

我這個人,不會輕易愛上壹個人,若愛上了,便永遠的銘刻了。我也會想在耋之年能夠和我愛的女子在夕陽下蹣跚相扶的迎著黃昏走到地老天荒。

其實每壹個悲傷的人不過都是在壹段過往中沈迷深陷。

我曾經說過:憂傷已成壹種習慣。

有時候,當我們長久地眷念那段逝去的時光,我們的情緒就會自然的悲傷化,這就是憂傷的習慣。

當幸福於心間流淌的時候,想得更多的就會是她的壹切的壹切,想的是壹輩子的對她好,壹輩子的疼她愛她寵她。

若此,就會將那些個離別的曲賦拋之若無,若此,便不會那麽憂傷。

其實,當妳在回憶過去的時候,妳就已經忘了曾經的那份情了,妳戀戀不忘的只是曾經的海誓山盟,和那些溫柔婉耳的情話。試著不再去想,試著開始遺忘,妳就會發現,其實沒有那麽多放不下,沒有那麽多值得妳去懷念,沒有那麽多值得妳去眷念。

人生如夢,恍若遺世千年。

千回百轉,轉的都是浮生壹夢。

流年似水,我們都不會有遺憾,每個人的青春都不會是段留白。妳會發現,妳所眷的只是壹段逝去的往昔。

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思ってしまいました

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2011年 新しい年が明けました。
昨年も猛暑や大雨、経済不況と相変わらず厳しい年でしたが、今年こそはいい加減に
少しずつでもいいから、私たちを取り巻く環境や生きものすべてに暮らしやすい
幸せな年に変わっていってほしいと心から願います。

昨年は猛暑のせいやナラ枯れで山のドングリが不作になり、熊がたくさん里に降りてきて、
日本で約2500頭も殺されたそうです。
我が家ではダンナが深夜に京都の和束町に向かい仕事の納品のために車で走ってたところ、
突然鹿が飛び出してきてボカーンと体当たりし、鹿は無事のようでピョンピョン跳ぶように
走り去りましたが車のボンネットのど真ん中が凹みました。
その2ヶ月後には、これまたダンナがバイクで走ってたところに鹿が飛び出してきて
バイクは転倒、鹿はそのまま涼しい顔で走り去っていきました。
とにかくこの道、秋から冬になるとやたら鹿が多い。往復1時間ほどの道ですが、毎回
10匹近い鹿を見かけます。さすがに熊は見たことないですが、でっかいイノシシが
道のそばにいたりして、けっこうワイルドな道なんです。
車を直すにも鹿が弁償してくれる訳でなし、自腹で直さなにゃならん。
直してもまたぶつかる気がして、車は鹿の減る春まで直さず凹んだままにしておこうと
思っております。

私の田舎の京都の美山でも熊が民家に入ったりうろうろしたりでニュースにも
取り上げられていましたが、11月に田舎に柿をとりに帰った時、庭の柿とキウイが
1つもなく、しかもキレイに枝を切った跡があり、不思議に思って隣に聞くと、
熊対策のために集落の柿など実のなるものは全て採ってしまい、うちのような留守宅は
役員が総出で摘み取ったとの事でした。
年末に墓参りに帰った時も、「熊が出るから墓参りはやめとき」と言われ、
「もう冬眠してるでしょ」と言うと、「例年ならそうやけど、今年は食べ物が少なく
食べ足りないのか、まだ出とる。墓の供え物を狙って来るから危ない。供え物もすぐに
持ち帰らなあかん」と言われました。
住民の安全を考えたら実を取り去ってしまうのも仕方のない事なんだろうけど、
熊だって生き延びるために必死なのに…となんか悲しい気持ちになりました。

これからも今年と同じように猛暑の年は来るだろうし、その度にこのような対策をして
いくのだろうか、どうせなら山の際にドングリのなる木々をたくさん植えておけば熊も
里に降りて来ないはず、実がなるまでに2~3年かかっても、そうする方が本当の解決策
ではないか、共存できる方法を探ってほしいと。

鹿やイノシシに農作物をやられる農家からは「共存なんて甘いこと言うてられるか!」
と言われそうですが、なんか 本当にこれでいいのか考えさせられた冬でした。

人間もですが、弱いものはますます生きづらい世の中になってきてるような気がします。

人は気持ちの面でも時間的にも金銭面でも余裕がないと、周りに優しくなれない
生きもののようです。
私たちみんなの気持ちに少し余裕が生まれ、人にも生きものにも優しくなれるような、
そんな年になってほしいと心から願う新年です…。

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ドクダミちゃんは又またお休み

 

紅葉の便りを見ながら快適な1週間を過ごした結果…。
なぜか白ちゃんは1300しか現れず…。
私の白ちゃんたらホントにズボラなんだから。

あちこち出かけた訳でもなく、力仕事をした訳でも無い。
ひたすらドクダ雋景探索40ミちゃんとの
「上手なつきあいかた」
をお手本に日々暮らしているのだけれど…。

重いものは持たない。
十分に睡眠を取り更に昼寝もする。
体を休め必要のない事はしない。
買い物や家事などは家族や友人に手伝ってもらう。
しっかり食事をとる。
食べたい時に食べたいものを。

もう、とっても素敵なセルフケアのお勧めで、やらないではいられない!
でし雋景 課程ょう?
妹に話したら
「いつもとかわらないじゃん、あはははは‼︎」
と笑われて雋景しまった…。
「そう言われれば…そうかもね、あはは!」
とはいえ…この機会を見逃す手はない。
これ幸いとばかりに開き直り「怠け者道」を極めよう‼︎
と決意し、いつもにも増してズボラで怠慢な日々をおくっているのだが。
どうやら私の白ちゃんはそれを上回るズボラさんのようである。
白ちゃんたら「怠け者道」で私と競争してるつもりかしら?

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いている著作を見たことがある

グラフィックデザイナーの横尾忠則氏が、毎日の夢を絵日記のように描き、
その夢に対するコメン搬寫字樓トを書。

考えてみると、人間は一生の間にどれだけ夢を見るのだろうかと思う。
人間の頭の中には、まるでワケの分からぬものがいっぱい詰まった、アラビアンナイトの「不思議のランプ」のように種々雑多のものが詰まっているのかと思えてくる。
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夢と言えば、夢占いというのもある。
当たる当たらぬのほどは解らないが、
夢には、時として未来予知の能力があるような出来事に出くわすことが、確かにある。
夢のお告げの世瑪姬美容 暗瘡界もある。

誰しもが感じたことがあるだろうと思える感覚に、Déjà vu(デジャヴ=既視感) というのがある。

初めて行ったところなのに、「ここは一度来たことがある」という感覚に襲われる。

記憶を辿っても出て来ない。
現実世界でも明らかに訪ねていない。
それなのに現実に訪ねて行った感覚が、色濃くある。
その感覚をフランス語でDéjà vuと言うそうだが、子供の頃にはその感覚に溢れていたような気がする。
やはり、それは夢で見たのだろうNespresso咖啡機と言う以外にない。

そんな、未来を暗示するような世界を持っているから、夢は予知能力があると思えてくる。

夢は、ほとんどの場合ランダムに展開するようであるが、時々迫真の未来を語ったりするから捨て置けない。

予知だけではなく、場合によっては現実すらも遠い空の下からもたらすこともある。

中国の『三夢記』に、詩人の白居易が、
遠隔の地にいる友人の微之に思いを馳(は)せ、酒を呑み一編の詩を作ると、遠くにいる微之が、
そっくりそのまま白居易の姿を夢に見たという話がある。

夢の世界は、何とも不思議なロマンに溢(あふ)れている。

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製品の期待を込めて経済面に出

新しく電子書籍を読むためのアイテムが門禁系統出たという記事が、ていた。
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それとは逆に全国の書店が淘汰され、その数を減らしていると聞く。
かつては街の小さな書店でさえ生き残っていたが最近は目立って閉店へと追い込まれているようだ。
今は、大きな書店だけが生き残り、
やがては電子書籍だけが残っていく時代に変貌しつつあるのだろうかと、やや淋しさを感じつつ思う。
昔は書店に行き売れ筋の本を探ったり、書店は情報の発信基地みたいなところがあった。
そう言えば、青年時代の私にとっては、古本屋のオヤジなどはカッコウの話し相手だった。
そのような人が『素晴らしく、えらい人』に思えた。

最近、古い小説を読む機会があり、好んで読む小説家の一人に松本清張がいる。
改めて、今、ワクワクしながら読んでいるが、出版皇室纖形 旺角された当時、
三島由紀夫は、新進気鋭の小説家として文壇に登場した松本清張をそれほど評価しなかった。
その理由を訊ねると『文体を持たない』という返事が返って来たそうだ。

松本清張の小説のおもしろさは、独特の推理方法や、しがらみのある登場人物像。
そのような作品がほとんどで、思わず引き込まれ展開の妙を持っている。
『点と線』『砂の器』など清張作品のほとんどは、今でも読むに耐えうる小説だと言える。

だけども、文体という観点で探ってみると、
たしかに、三島までの小説家の文章には個性的な文体らしいものを感じることがある。

たとえば、小説家である幸田露伴の生年は、夏目漱石とほぼ同じ頃。
夏目も、一部を読んだだけで夏目漱石とわかる文体を持っている。
幸田露伴も夏目とは全く違った個性的な文体を持っている。
その文章をhospitality course一言で表すと、
講談師が話す口調のようであり、また、江戸落語の語り口調のようにも捉えられる。
これが、文体というものかと、ちょっと知らされる思いになる。

探ってみると、露伴は、明治の新しい小説家がつくる文体を嫌ったという話がある。
何でも、西洋流が擡頭していた時代。
何か西洋流を力説しながら、権威づけていく傾向があったようだ。
西洋化することが偉いような風潮があり、
露伴には、そのような風潮を受け継いだ小説家を嗤(わら)うところがあった。

彼のエッセイの中に、「世の中には、『えらい人』になれと言われる気風があるが、
『えらい人』になれというより『人になれ』と言いたい」とあった。
その、『人になる』ためには、人から学ばねばならない、

「えらい人」どころか、電子書籍の時代、人そのものにあう機会さえ失われつつある。

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独特の口調でアジ宣伝をし、

私が大学生活をはじめたのは70年代の初頭のことだった。
時代指紋機背景は、
いわゆる70年安保闘争は終わりを告げていたが、
余韻のような燻(くすぶ)りが大学内に充満していた。

大学前には、新左翼の大きな手書き看板。
その横で、ヘルメットをかぶった学生が拡声器で、
ビラを配る学生が、学生集会とデモへの呼びかけをしている。

その大学は、15,6ほどの外国語学科をもつ大学で、
私は、そこでフランス語を専攻していた。
それぞれの学科で学ぶ学生の雰囲気は、語科によってかなり違い、
違う大学ではないのか?と思うほどにカラーが異なっていた。

英語学科は、偏差値が高かったせいなのか、
ちょっとしたスノビズ皇室纖形 旺角ムがあり、
フランス語科の学生は、カミュ、サルトル論争を見る如く、
個人主義的なイデオロギーを優先するフランスの体質を受けているところがあるのか、
学生同士のまとまりがなかった。

その点、スペイン語科の学生のカラーは、まるで違っていた。
誰もが、当然の如く ”ロルカ” の詩に熱狂し、
ダリの絵を評価し、アントニオ・ガウディを語り、
フラメンコのリズムを愛し、
コントラ(裏打ち)などをマスターしていた。

「スペイン語を学ぼうとする者だったら当たり前じゃないか」という雰囲気があり、
スペイン文化に対する同好の士という感覚がみなぎっていた。

そんな学生の一aveeno baby 香港人と、
フラメンコのライブがあるバーを屢々訪ねたものだった。

そこには、『仮面ライダー』の死神博士を演じ、
不動のハマリ役だった俳優の天本英世氏が、
奥まったところに決まって腰を下ろしていた。

いつか彼が、テレビ放送でスペイン語で、口から血を吐かんばかりに
ロルカの詩を詠じている場面を見たことがある。

スペインと、その文化に熱狂する典型は、彼にこそあるようだった。

私は、彼らのそういった熱い姿を、
サルトルのように、ただシニカルに見ていた。

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トヨ型パンとテーブルロール♪


いつかのお義父さんにごはんを届けに行った日のパン。

トヨ型パンとブリオッシュ型を使ったテーブルロール。

ロールじゃない瑪姬美容 暗瘡けど^^;

ブリオッシュ型で焼くと可愛いんだよね~♪

焼きたてほやほやはこんな感じ。

コロンコロンとしてて今にも転がりそうな可愛いヤツです。

このナミナミの模様がつくところがブリオッシュ型の魅力的なところ。

久々にトヨ型をクルクルにしないでプレーンに焼いた日。

クルクルしないと楽ちんでい瑪姬美容 暗瘡いわ♪

お義父さんがカットしないでいいようにカットして持って行きます。

でね、すぐ食べない分は冷凍してもらってます。

味見がてら1個だけ私用に取っておいたものでランチ。

パンプキンスープとトマトグラタン、サラダと

お義父さん弁当の余りの胡麻和え(笑)

お菓子ブログでもこの画像載ってるけど

今からロールケーキの会!

クリスマスロール作ります。

上手にできます瑪姬美容 暗瘡ように♪

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雑談をしていると一人の


先日、友人との集まりがあったとき、
友人がこんな話をしました能量水
日本人も海外に進出していくようになり、外国からも大勢の人々
が日本にくるようになりました。 これからは国際的な感覚を身に
つけるようならなければ世界の中で生きていけなくなるでしょう。
ある雑誌に載っていたことです。 日本の企業が外国の町に進
出しました。 そして現地の町へ多額の寄付をしたということです。
すると、そこの町長から感謝状を会社へ出してくれるように要請し
てきたと言うのです。 日本人の感覚では、寄付をしてもらった町
からこちらの会社へ感謝状を出すのが当然であるとの考えでした、
しかし、その国では企業を進出させてzげたことに対する当然その
ものであるとの考え方だったのです。
もうひとつの話があります。
アメリカの西海岸には日本人移民がたくさん住んでいます。 一
世は高齢者になったので、二、三世の人々がボランティアに熱心に
取り組んでいるということです。 彼らにはそれが当然の義務であ
って、何の抵抗もなく自然におこなわれているというのです。 これ
は、長い間にできてきた考え方の違いでもあり、宗教心をもった国
民のありかたとして学ぶところうが多いと思產後修身減肥います。文化度の違
いといってもよいのでしょう。 アメリカの国民は市民意識が培われ
ているのです。 何事をするにも自分達のこととして、できることを
進んでする風習をつくりあげているようです。 ボランティアというも
のが人々の心にしみこんでいて、人間としての当然のことをしてい
ると思っているのでしょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本もボランティアは大震災のあと、いろいろと多くの方々が、大変
ご活躍なさっておられますね。 わたしなどはなんにもボランティアは、
できずに終わります。 テレビで皆さんが活動されていますと、拍手
して涙がでます。 日本人も、凄い、素晴らしいなあとね。
{アメリカの場合は学校教育の中でボランティアは授業になっている
みたいですものね雪纖瘦

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がんじがらめの日常?


例えば、ご近所づきあいが高じて、仲良しさんになる。
相手の家の冷蔵庫の中身まで知っている懷孕飲食
ぞ、ぞ、ぞ、???。

恋人。
お互いに束縛し合うのが、ひとつの愛情の証。
うげ。

夫婦。
行動、金銭、付き合い、仕事、すべてを知ろうとする。
無理。

ただ、リアイアして公認の外出がなくなったら???
いちいち説明して、出かける???。
まあ、適当にゴマかすこともできるだろうけれど、ゴマかすのも面倒くさい。
かといって、全てを報告???やはり、げ、げ、げ、???。
全てを把握したい理由は、人それぞれだろうけれど。

知られたくないことって、どんなこと?
そもそも、知られたくないようなことがあること自体が、けしからん?
しかし、いくら身近でも、デリカシーがないこと自体が、けしからん?
実は、人を殺して、この家の床に埋めている???なんてヒミツは、だめだけれど香港美食

自分の子供だからといって、こっそり日記を読んだり、そういうこともしたくない。
たとえ、子供でも、プライバシーというものがある。

義母が、義母の姑の日記を(生前)見たら、
あれこれ、よくしてくれる他の嫁のことが書かれていて、気分を害したと言う。
「え? 人の日記なんて、見るべきじゃないですよ」
と、思わず私はツッコんでしまった。

先月、お正月前に、義母宅で、迎春準備をしていて、メモ用紙を張りつける必要があり、
台所中を探したが見つからず、食器棚の下段の引き出しも開けてみた。
そこは、昔、私が、一時期、子供たちと暮らしていた棟の台所なのだが、
その中に、当時の私の日記と、家計簿が、無造作に入れたままになっていた。
もう、はるか昔のもので、自分でも恥ずかしいような内容だが、
家計簿は、項目ごとに、きちんと年統計もしてあった。
(今なら、考えられない)
誰でも関係者は自由に出入りできるサブ台所として、現在は、利用されている。
だから、その気になれば、誰でも、そのオゾマシキ日記と、家計簿を目にすることができる。
そう思うと、ぞ、ぞ、ぞ、???とした。

ただ、皆さん、忙しい人ばかりなので、「家政婦は見た」のように、
人の生活やプライバシーを根掘り葉掘り突っついて楽しむ、という俗悪趣味もなさそうだ孕婦DHA
(と、信じたい)
自分でも、パラパラと見ただけで、ぞっとして、パタンと閉じ、また同じ場所に放り込んでおいた。

実家に残したままの、私が中学生の時からマメにつけている日記の山を、
2~3年前、大規模整理をしていた母から手渡してもらったが、
キモチ悪くて、読めない。
今も物置に、封印している。そこは、鬼門になっている。

というわけで、日記など、見るものではない。
書いた後も、日記が一人歩きをする場合があるので、保管には厳重注意をすべき?!

プライシーは、生きていくうえで、必要不可欠なもの。
私にとっては、酸素。
いろんな人を見ていると、窒息せずに、よく生きていると感心する。
家庭にしろ、職場にしろ、なんにしても、適度な空気の入れ替え、換気が必要だ。

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フランスのお土産

フランス南部 Le Garric という所に住む親戚を雋景探索40
訪ねていた友人からお土産をもらいました。

地元の「La FABRIQUE Gourmande」という小さなお店/会社が
作っているこだわりのお菓子のようです。

見た目はちょっと乾パンっぽい?
粒々のハーブが入っています。
甘いお菓子ではなさそうだな、と。

袋を開けるとフェンネルのような独特の甘い香辛料の香り菲傭

ひとつ食べてみると・・・めっちゃ硬い!!!
まさに乾パンの食感です(歯には要注意)。

ふわ~っとフェンネル系の味と香りが広がります。
ほんのり蜂蜜の甘味がする程度で甘くはありません。

あとで原材料欄を見ると、Anis=アニスシードとありました。
癖があるので好き嫌いが分かれそうですが、私は結構好きかもReenex 好唔好

とても異国チックなお菓子でティータイムでした♬

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