「キザ」や「ダンディ」という言葉は、死語になってしまったのか、
最近聞かなくなった言葉だ。
とあるニュースキャスターが書いた対談集
『ちょっとキザですが』というタイトルの本が出版されたのは1975年のこと。
また、「ダンディ」がタイトルについた
阿久悠作詞で沢田研二が歌った『カサブランカ・ダンディ』がリリースされたのは、
1979年のことだった。
どちらも、その年代を潮に一般的に使われる言葉ではなくなっていった。
「気障」という漢字を宛てるが、その如く「キザ」は、
カッコつけした気にさわるしぐさを意味したが、
いわゆるカッコいい系の俳優などが身につけている分には、
むしろ、それをCool” と思えたものだった。
たとえば、安っぽく笑わず、服装もバッチリ決めて、
自身の美学を守り抜き、皮肉な言葉で相手をケムに巻く。
大筋で言えば、自身の「美学に殉ずる人」というところだろうか。
大昔の映画俳優ハンフリー・ボガード(ボギー)などは、
その典型的な人物としてあげられる。
『カサブランカ・ダンディ』の歌詞の中にも、
「ボギー、ボギー、あんたの時代は、良かった。男がピカピカの気障でいられた」
と出てくる。
昔の俳優は、そのように「キザ」に振る舞うことができたが、
今のタレントには、そのようなしぐさは許されないようなところがある。
もし、そんな風に振る舞うと、
「何、お高くとまっているんだい」という声が聞こえてきてしまう。
どんなに売れっ子のタレントでも、人がいれば、お愛想を示したり、
テレビカメラに向かっては、親近感のある笑みを絶やしてはいけない。
一般人でさえ、そのように振る舞わねばならないところがある。
「キザ」や「ダンディ」が死語になったというより、
そういった人物自体が、存在できなくなったと表現した方がいいかもしれない。
「ボギー、ボギー、あんたの時代は、良かった。男がピカピカの気障でいられた」
というところだろう。