冬桜とも呼ばれる「10月桜」は一年に二度、今の時期と秋に咲くらしい。紅葉に桜、どんな景色になるんだろう。
久しぶりに京都と奈良を歩いた。中でも三十三間堂を訪れたのは10年ぶりか、もうちょっと前だったかもしれない。
修学旅行を除けば、京都に行ったのはいつも夏の暑い時期だった。その年に千体千手観音像を見たときにも、屋内の涼しさと静かさが殊の外うれしかったことを覚えている。履物から開放された足に、床の冷たさが心地よかった。その日は、暑い中を例によってひとりで黙々と歩きまわり、隣りのハイアットリージェンシーのラウンジでレモンティーを飲んで一休みしたのだった。
そういう、何年も前の自分の足跡を辿るような気持ちでいた今回は、屋内も外に負けじと寒くて肩をすぼめながらの見学になった。撮影禁止なのにこっそりとシャッターを切る中国人がいたり、戦隊物の兵士と勘違いして興奮する幼児がいたりでなかなかに賑やかでもあった。
向かっている信号が青になってからしばらく経っていて、もうすぐ黄色になるなあと思いながら横断歩道に近づくとき、青の間に早く渡りたくて急ぐときと、急ぎたくないから早く黄色になっちゃえばいいのにと思うときがあり、今日は後者だった。
信号が赤になった横断歩道で待っていると、3歳くらいの男の子を連れたお母さんなのかおばあさんなのか、とにかく女性が、その男の子に向かって大きな声で「ええか? 赤やからあかんのやで。赤だから渡ったらあかん。わかった?」と何度も話しかけていた。
車の往来が激しいとはいえ、女の人の声は少し大きすぎるし、西の方のイントネーションなので目立っていた。もっと子供の近くに寄って耳元に顔を寄せて言い聞かせてあげた方がいいんじゃないかなと思う一方で、ひょっとしたら、「赤だからあかん」のところを笑ってよかったのかしらなんて、思ったりした。
ときどき公共の場所で、必要以上きさの声で子供に何か真っ当なことを言い聞かせている母親に出会うことがある。ガミガミ怒っているわけではないし、別に何が悪いと言いたいのではないんだけど、周りにも聞こえるような声で言いたい理由が何かあるのかなー、とは考えてしまったりする。
今日も「過去日記くっつけシリーズ」にする予定だったけれど、既にそこそこの長さになった。
過去日記と言っても簡単に振り返ることがでは、前の前の日記の分しかないので、2006年11月から2010年の2月半ばまで……3年ちょっとか。