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で嘆く親道は

子供(娘)が、孫を見、親を見、、、、中間管理職の子供世代に一気に重圧、負荷がかかったかんじである。
(子供からみた「親の親」は、我々が受け持つので、子供世代は「親の親」を見る必要はないが)
子供世代と一緒に親や孫を背負うつもりが、自分が背負われる側になろうとしている。
なんと、思いあがっていたことか。

できるだけ、子供たちに迷惑をかけないようにしようと、決意を固めた。
力になろうなどと、恐れ多い。
出来る限りはお手伝いしようとは思うが、足を引っ張るようでは、そんな状態では、のこのこ出てきてほしくないと、子供たちも思うことだろう。
「こっちはいいから(手伝わなくていいから)、自分のこと、自分でしてちょうだい」と。

血がつながっていると、親に対する思いも、他人とはまた違い、苛立ちも大きい。
わたしが、そうであったように。
苛立っている身から、苛立だたれる身に。
しかし、同時進行は早すぎないか?

老化ジャンルにも、うっちゃんは、いるそうだ。
しばらくは、自分をかまわず、そーっとして、うっちゃんが、どこかに、気ままに出て行ってくれることを待つことにしよう。

子供がしっかりしないで、自立しないもいれば、子供がしっかりしすぎて、自分がお荷物になって嘆く親もいる。
どっちが、いい?

とかなんとか言いつつ、いろいろまだまだ使いある親(わたし)ではある。

しかし、この思い込みが、老害の始まりでなければよいのだが。

ファッションセンスに関しては、人それぞれである。
ただし、奇抜すぎて、アタマの中身を疑われかねないものもある。
時代に吹く風を、追い風にしている場合も、逆風にしている場合もある。
生き方と似ている。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者tdefrvt 15:27 | コメントをどうぞ