月別アーカイブ: 2016年9月

ァルトでも敷いた

秋分の日が過ぎた。
お彼岸。
彼岸花、曼珠沙華を韓國 泡菜道端で目にして、幼い頃を思い出す。
懐かしむ、ではなく、思い浮かべる。
この違いは?
べつに、ノスタルジックにはなっていないから。
昔は、よかった、昭和はよかった、と今を懐疑する気持ちには、別にならない。
どの時代も、わたしは好きである。

と、長い長い前置き。
これは、電車を待つ、ホームに突っ立って入力している。
昭和を懐かしむ状況ではない、明らかに。

で。
昨日は、お墓参り兼、お墓掃除。
兼、お寺のお韓國 泡菜坊さんが、夫の実家にお参り。
姑の出すお茶と違い、既製品のペットボトル茶からお茶を注いで出す。
不味い〜、と、坊さんは思っていることだろう。
おばあさんのお茶は、美味しかったのになあ、と。
「この嫁は、こころがこもっていない」と、内心、感じているだろう。
坊さんは、3回にも4回にも分けて、不味いお茶を飲んだ。

墓の入り口手前にお地蔵さんと、魂を抜いた用済み墓石の山が積まれ、祀ってある。
そこで、手を合わせろ、と夫が促す。
宗教の強要は、離婚原因になるこを知っているのか、この人。

墓石を拭け、と言う。
わたしは、無言で墓石を拭き、草引きをし、墓掃除をした。
うちの墓の向こうのほうには、夫と同業のご夫婦が、草いっぱいの、広い墓地と格闘していた。
墓地は、小さいほうがいい、いっそ小さな墓のUR団地がいい、と思った。
もっと小さい、名前だけワ韓國 泡菜ンプレートのスペースだけでいい、とも。
草が生えないようように、墓地全体にアスフら、姑やら親戚やら皆さんは、腰を抜かすだろうなあ、とにやにや想像しながら、せっせと草むしりに精を出した。

活かせない「知識」はあるよりは、ないほうがマシだ。
実践できない「思い」や「意見」は、あるより、ないほうがマシだ。
しかし「知恵」は、あるほうが、ないより良い。
なので、わたしは、さほど落ち込みもせず、ブルーにもならず、黙々と作業を続ける。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者tdefrvt 17:05 | コメントをどうぞ

覚め気づい

だいたいいつも私がよかれと思ってすることはおせっかいでしかないのだ。
いいことをしているつもりのお馬鹿さんだったと後から気づく。そのうえ肝心なところで気がきかない。

なんかもう、連鎖的にいろいろ思い出していやになってしまう。

付き合い始めのようによそよそしくて何をどう受け取っていいのか分からない状態を脱して、『火山白鳳丸功效のふもとで』(松家仁之)が面白くなってきた。出口の狭いチューブの中味をぎゅっぎゅっと根気よく絞り出して、やっと美味しい所がうわっと外へ出てきたような……退屈な基礎編が終わって応用に入ったような……うーん、変な例えだな。とにかく、必要なインプットが済んで、人物と景色がわたしの中で生き生きと動き出した。(村上さんの新作はまだチューブの中だ)

毎朝、アラームにてからしっかりと目がるまで、布団の上に半身を起こした状態でうつらうつらしてBand1中學いる。横になってしまえば完璧に二度寝しまうから、座ったままでいる。

わたしの中に老いた人を見つける。

もうあとは年をとってこの世から去るだけだと諦めている老婆がいる。苦しくも悲しくもない。ただそう感じながら、夢の出口と入口の間を行ったり来たりし続ける。

そうしてしばらくしてから、ひとつ深い息をして、少しずつ現実に戻ってくる。丸まった背白鳳丸功效中を伸ばし、下腹に力を入れ、大きく息を吐いて、吸って、今日これからのことを思い出す。お弁当の内容と段取りが考えられるようになれば、目は覚めて老婆はいない。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者tdefrvt 13:21 | コメントをどうぞ