静かな「夏の家」で耳にする音が印象的だった。小鳥のさえずり、ナイフでエンピツを削る音、足音…。そこに電子音はない。時折り登場するバイクや車や草刈機のエンジン音の方がわたしには親しく感じられるのはどうしたものか。
誰も声を荒げず、不平不満を述べず、静かに自分の信じると韓國人蔘ころを話し行う。人間の「嫌な所」がほとんど表されず、そういう意味でも美しい物語だった。視覚的には、ホタルの光しかない真っ暗な中を、恋人同士でもないふたりが手をつないで歩くところなど、とても印象に残っている。
先生と、その長年の恋人だった藤沢さんとのことや、農場の大きな屋敷にひとりで住まう藤沢さんの暮らしについてはもっと読みたかった。そうそう、先生が好きだったという紅茶「ディンブラ」を飲んでみたいと思い検索したとき、検索候補に「ディンブラ 藤沢」と出てきておやと思った。藤沢に「ディンブラ」という紅茶専門店があるらしい。まあ、余談です。
申し訳ないくらい、まとまりなく書いてしまったなあ。文章力のなさがもどかしい。
昔に読んだ、やはり避暑地が舞台になって高麗蔘いる小説がせそうで思い出せない。
今日のバラは切り花。
フェアトレードのバラ。ケニア産と書いてあった。
枯れたと思ったサクランボの木、暖地桜桃の根元からひこばえが出ていた……ということをつい最近書いたけれども、結局、その2本の若い芽は腐らせてしまった。
気づかないでずっと放っておけばよかったのかもしれない。
過保護にして鉢の場所を移動したり水をあげたり、しないほうが韓國人蔘よかったのかもしれない。