<成果報酬型で一流の研究大学なら年収は平均2500万円前後、学長はヘッドハンティングで外部から招聘、ポストを得るには教育・研究実績が必須――というアメリカの大学。一方、日本では……>
学者の世界では、ノーベル賞を受賞することで大学の給料が上がり、外部からの研究資金の提供者も増え、大きなメリットがある。しかし一般の人々にとっては、アカデミー賞と同じく、単なる年1回の文化イベントにすぎない。
とりわけノーベル賞受賞者が多いアメリカでは、意外ではあるが、学者は日本ほど一般国民の尊敬の対象ではなく、むしろビジネス、なかでもベンチャー企業の成功者がそうした対象である。
それゆえに、米フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグCEOやアマゾンCEOのジェフ・ベゾスらベンチャービジネスのトップリーダーをめざして、競って起業しようとする若者が多い。アメリカ人にとっては、ビジネスで成功して、大邸宅や海外の別荘などで優雅な生活を送るのが人生の目標だからだ。
アメリカの大学教授は、成功したビジネスマンやスポーツ選手ほどではないにせよ、仕事に対する物質的対価、すなわち報酬(年収)の高さと研究費という待遇によって評価が決まる。つまり給料の高さがその教授の社会的評価の高さにつながるのである。
アメリカ人は「カネ」と「ココロ」どちらを重視するのか
アメリカの政治学者、R.イングルハート(ミシンガン大学政治学部教授)はその著作『静かなる革命』(The Silent Revolution, Princeton University Press, 1977、邦訳:三宅一郎他訳、東洋経済新報社、1978年)において、1970年代に高度産業化しはじめた西欧先進国に、<モノの豊かさ>(経済的豊かさ)という「物質主義的価値観」よりも、<生活の質:Quality of Life>(個人の自立やライフタイル、社会的自由を求めていくこと)の充実を求める「非物質主義的価値観」=<ココロの豊かさ>へと移行する動きがみられることを、国際的な比較調査を通じて明らかにした。
この頃からアメリカ人は、モノやカネに十分に満足した経済的に豊かな社会を享受し、ココロの豊かさや精神的な充足を求めたとされているのが一般的な見方である。
しかしアメリカ人が「人生における成功とは何か」と問われた時に返ってくるのは「ビジネスの世界で成功し、大金持ちになることである」というそれとは裏腹の回答ばかりである。
それを示すように、アメリカにおける職業ランキングでは、大手企業やベンチャー企業の社長という企業経営者が上位にランクされ、大学教授がそれに続く位置にある。では、なぜ大学教授がそれに続くのか。
企業のCEOが数十億円という報酬(年収)を手にするのに対して、大学教授の平均報酬はせいぜい2000万~4000万円前後なのだが、超一流の有名教授ともなると、大学の報酬(年収)の他に企業等からの報酬もあり、合わせると数億円にもなるからだ。
とはいえ大学教授間のこんな格差もある。超一流の研究大学と地方の州立のコミュニティカレッジの教授の年収は、前者が平均約2500万円前後、後者は約400万円程度という天と地ほどの差があるのだ。
アメリカの大学教授は超一流の大学のテニュア(終身在職権をもつ)教授になるべく、壮絶な闘いをしていくのである。
アメリカの一流大学学長の給料は?
アメリカの大学の学長は、他の大学学長、あるいは副学長として成功した人材をヘッドハンティングして招聘することがほとんどだ。民間企業の経営幹部をヘッドハンティングするのと同じやり方である。
かつて日本でも、ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈博士を筑波大学(1992~1998年)や芝浦工業大学(2000~2005年)等の学長として、また数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞受賞者の広中平祐博士を山口大学学長(1996~2002年)として招聘したことがあるが、これはあくまでも特別なケース。
大半の大学は国立・公立・私立をも含めて、同じ大学の学部長経験者を学長として推薦していく方法が一般的だ。
アメリカの大学学長の報酬は、民間企業と同じ方法で基本給・ボーナス・非課税利益・その他の報酬から構成されているが、日本の学長報酬との比較では、基本給が報酬格差をみる上で妥当と思われる。
資料が公表されている範囲でみると、アメリカの大学学長の報酬(基本給)は、1位 ジョン・E・セクストン(ニューヨーク大学)124万ドル、2位 エイミー・ガットマン(ペンシルベニア大学)112万ドル、3位 リチャード・VC・レビン(イェール大学)109万ドル、4位 マーク・テシャー・ラビン(ロックフェラー大学)101万ドル、5位 リー・C・ボリンジャー(コロンビア大学)101万ドルとなっていて、1億~1億4000万円の基本報酬となっている。
この基本報酬とは別に、大学の収益に貢献したかどうかを基準としたボーナス成果給による加算がある。このように、アメリカの大学(私立大学)は学長報酬に対して、成果主義型の報酬システムを採用していることがわかる。
これに対して、同年度の日本の国立大学法人大学の学長報酬をみると、1位 東京大学 2258万円、2位 京都大学 2122万円、3位 名古屋大学 2068万円、4位 筑波大学 2027万円、5位 九州大学 1991万円となっている。日本の場合には、賞与は生活給の一部となっている。
この基本報酬だけをみても、アメリカの大学学長の20%程度が日本の学長の報酬水準となっており、日本の学長はサラリーマン型学長で、いかに給料が低いかがわかる(出典: アメリカ教育専門誌 The Chronicle of Higher Education)。
これでは理系の優秀な研究者が日本の大学教員として就職しないで、成果を出せばそれに応じた高額な報酬とよりよい研究環境を準備してくれるアメリカの大学へ転出していくというのも理解できよう。
アメリカの一流大学(私立大学・州立大学)の平均教授給料比較
日本の大学教員(教授・准教授・専任講師)の給料(年収)は、国立・公立・私立を問わず、押しなべて年功序列型の給与体系であるのに対して、欧米の大学は大学の収益力、教員の知的生産力・知的ブランド力による成果主義型の給与体系である。
日本の大学の場合、明治維新の近代国家への移行過程の中で、行政職員の給与体系がはじめに決められ、その後帝国大学が誕生し、行政職員の給与体系に準拠して大学教員の給料が決められた経緯がある。
したがって、明治以降、高級官僚の給与と大学教員の給与には「格差」があり、大学教員の給与は高級官僚(中央省庁の課長以上の役職者)より低くなっている(竹内洋『大学という病』中央公論新社、2001年)。
これに対して、アメリカの大学は大学に対する社会的評価によって、大学序列が決められている。カーネギー教育振興財団による大学分類(2009年)によると、全大学数における比率は(1)高度な研究大学 2% (2)研究大学 2% (3)博士課程大学 2% (4)修士課程大学 15% (5)学士課程大学 18% (6)短期大学 42% (7)特別な目的をもった大学 19% となっている(松野弘『大学教授の資格』NTT出版、2010年)。
このように、(1)~(3)群の大学がいわゆる一流といわれる研究大学となり、大学教員としての報酬(年収)も高い水準にある。アメリカでノーベル賞を輩出している有名大学の大半は(1)群に属している。
アメリカの著名な教員専門誌『ザ・クロニクル・オブ・ハイヤー・エデュケーション』の資料、「アメリカにおける正教授の平均最高報酬(2015-2016)」(2017年)によれば、大学教授の平均報酬(年収 2015-2016)でみると、以下の順位となっており、すべて私立大学である。
1位 ハーバード大学 23万0292ドル(約2530万円)
2位 スタンフォード大学 22万7259ドル(約2500万)
3位 シカゴ大学 22万5729ドル(約2480万円)
4位 コロンビア大学 20万9475ドル(約2304万円)
5位 MIT 20万4138ドル(約2245万)
6位 ペンシルベニア大学 20万1978ドル(約2220万円)
7位 プリンストン大学 20万0403ドル(約2204万円)
8位 イェール大学 19万8369ドル(約2182万円)
9位 ニューヨーク大学 19万5939ドル(約2155万円)
10位 カリフォルニア工科大学 19万3941ドル(約2133万円)
州立大学では、15位にカリフォルニア大学ロサンゼルス校 18万4509ドル(約2030万円)、18位にカリフォルニア大学バークレー校 17万5617ドル(約1932万円)が入るくらいで、圧倒的に私立の超一流大学の教授の給料が高いことがわかる(1ドル=110円で換算。[表1]を参照のこと)。
他方、大学教授の報酬が低い事例としては、学士課程レベルのコミュニティカレッジの中で最も低くランクされている、グレース・バイブル・カレッジだ。ミンシガン州にあるキリスト教福音原理主義派の小規模な大学(学生数900人程度)で、教授の報酬は3万7665ドル(約414万円)となっている。
この給料では、他の大学の講師等でアルバイトをしないと生活できないレベルと推測できる。よく笑い話ででてくるのが、昼は大学教授をしながら、夜はタクシー運転手をしていて、学生がお客で乗ってくるという話である。これこそ、競争原理が支配しているアメリカの大学の現状を示している逸話である。
したがって、アメリカで大学教員として成功するためには、州立大学やコミュニティカレッジではなく、有名私立大学を狙うべきだ。そのためには、学部は有名大学でなくとも、大学院は有名大学院を選び、そこで博士号を取得し、すぐれた業績をあげて、大学の専任准教授職に就くことである。
一般的に、専任准教授職にはテニュア(終身在職権)が付与されるので、安定した生活を送ることが可能だ。さらに、学会の賞やノーベル賞クラスの賞を獲得したとなると無名の教授であっても、他の大学からヘッドハンティングにくるので、さらに高い報酬が得られる。
日本の大学のように、役人・新聞記者・テレビ局・タレント等の学問とはほど遠い人たちがメディアへの露出度の高さ(大半がバラエティ型の情報番組のコメンテ-タ-の役割である)という安易な基準で大学教授になれる世界ではないのだ。
欧米の大学は学位(博士号)と教育・研究業績がないと大学教員になる資格がない。一方、日本の大学は学位(博士号)や教育・研究業績がなくとも、社会経験があるだけで採用するという日本独特のガラパゴス型の教員採用システムをとっている。
そのため、近年は大学設置基準の緩和によって「実務教員枠」を設けた結果、こうした社会人教授が増加し、大学の教育・研究レベルをますます劣化させているという状況を生み出しているのである。
松野 弘(千葉大学客員教授)