私のテニスの道を開いてくださった青山ヨシオさんを偲ぶ会がありました。
私を世界女子プロテニスを作ったグラディス ヘルドマンさんにめぐり合わせてくれた方です。
ずっと応援してくださり、テニスもご一緒したり、タンゴのショーに呼んで下さったり、セレブリティーテニストーナメントというトーナメントを企画してくださったり、楽しい時間をいっぱいブレゼントしてくださいました。
突然亡くなったので、本当に寂しい限りです。❤️❤️
ちちをかえせ ははをかえせ としよりわかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ
峠 三吉
母は峠 三吉さんとお友達だったそうです。
峠 三吉さんの詩を戦後の労働組合の大会で、峠さんに頼まれて若き日の母が朗読したそうです。5000人ぐらいの組合員がいて、母が詩を読み終わるとすぐ「早くこの場から去ってください」と言われて、数人の男の人に囲まれて沢山の労働組合員と旗の中を通り抜けて外に出て帰ったそうです。
その5000人の、組合闘争を遠巻きに取り囲んでいた警察の長が父だったそうです。その夜、遠い親戚だった母の家に寄って「今日組合闘争があって、若い女性が詩をよんでいたんですよ」と母の母親、つまり私のおばあちゃまに話して、「あら、忠雄兄さん、それ、私です。」「えっ?あんな危ないところにいって!ダメだよ、気をつけないと。大変なことになる可能性もあったよ。」と怒られたそうです。
後にけっこう歳が離れているのですが、父に結婚を申し込まれたということですね。
ても、母は、峠 三吉さんから「雲よ 遠く沈んでより 姿を見せるお前よ」という色紙を貰っています。
峠さんも母のことを好きだったかな?❤️❤️
原爆ドームに来ています。
私の母は原爆の時に広島にいました。つまり、被爆しています。
母が被爆していることを私はずっと知らなくて、7,8年前に初めて「ママは広島にいたのよ」と言われました。それまでは、神戸に行っていたといっていたのです。親が被爆していると子供に悪い影響があるといけないと、心配していたそうです。
この原爆ドームは、原爆の前まではみんな産業博物館と呼んでいたそうです。
知らんかったわん。
もうママもそう長くないから、話しておく責任があるからねと、最近は被爆の体験を話してくれるようになりました。
そうとうショックで悲惨で悲しい話です。
以前ヨルダンのアリ王子様とお目にかかるチャンスがあり、母が被爆体験をお話ししたら、若い王子様が涙を流して聞いてくださっていたのを、思い出します。❤️❤️
今回、京都のちびっこスターズの後に広島で親戚の結婚式があるので、今回母が一緒に来ています。
品川駅で日本の味博覧というお弁当を2つ買って新幹線に乗り込みました。
その日本の味博覧というお弁当はとてもバランスよく、美味しくて、可愛くて、最高でした。
その中にライチと栗が入っていて、私はデザートを楽しみにしていました。
私は大好きな物を一番最後に食べる主義なのです。
「母上、ほら見て、私、栗とライチを楽しみに、一番最後に残してるんだ」と私のお弁当を見せました。
すると母が
「ママはこんにゃくかと思ってたべたわ」
と言うので、
「あー、ダメだなぁ。美味しいものは一番最後に食べて、その美味しさの余韻を残さなくちゃ。母上計画性ないから」
と言いながら、美味しく栗を食べ、最後にライチをパクッと食べたら…。なんとそれはこんにゃく!
「あーっ、こんにゃくだ!」
と私が叫んだ時の、母のドヤ顔。
「ママももう、もうろくしてライチをこんにゃくだと思って食べてしまったとおもったわよ。」
「こんにゃくならこんにゃくだったと教えてよ!ああ、最後にこんにゃくで終わっちゃったじゃないよぉ。せめて栗で終わりたかった…」
勝ち誇った顔の母の横で、私はふて腐れています。❤️❤️