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宴会を終わらせる時の常套句

意味は「行事・季節などが最も盛んになった時。盛りが極まって、それ以後は衰えに向かう時」とある。

「以後は衰えに向かう」とは含蓄がある。
「宴もたけなわではございますが・・・」というのは。この言葉を聞くと、みんな「ああ、もう終わりなんだな」と帰り支度を始める。

漢和辞典を調べると、Pretty renew 雅蘭酣は酉+甘で、酉は酒壺を表す象形文字。酒に関する意味を持つ。甘は口+「・」の会意文字で、口に食物を含んだ様子を表し、「うまみ」「あまみ」を意味する。酣は酒に封じ込められてうまさに酔った状態で、酒を飲んでうっとりするさま、酒宴が最も盛んな頃合いを指す。

余談だが、酉は訓読みでは「とり」で十二支の十番目。作物を収穫し酒を作るのが十月であることから、この字が充てられたのだという。酉年のほか、酉の刻、酉の方角に使われて、鶏を指す。

闌は門+柬で、出入り口をおさえる門の意から、てこずる、さえぎることをいう。これがどう転じたのかは手許の資料では不明だが、物事のまっ盛りをさし、盛りの過ぎた時、半ば過ぎの意味を含む。「以後は衰えに向かう」は、闌から生じている。

さて、オリンピックの盛りはまだまだ続くが、中継を見ているとながらで何かしたくなる。ながらなので出来ることは限られ、ついブログのジャムも記事も溜まったことだし、まとめたホームページでも作ろうかと前々から考えていたことを手慰みに始めてしまった。

この数日で、取り敢えず箱を作った。
しかし役人の箱モノとはよく言ったもので、作った箱にはリンゴが1個しか入っていない。あとはこれからの作業で、箱に二つ目の果物が入るのはいつのことやら・・・きっとオリンピック後だ。いや夏かもしれん。なんせ、このブログの更新自体Pretty renew 雅蘭滞っているからなあ。

CSSのテキストを片手に頑張ってみた。おじさんの葛西のジャンプを見ながら頑張ってみた。
まあ、取り敢えずは箱でもいいじゃないか。
タイトルは「手作りジャム研究所」。ホームページを見てもらえばわかるが、あちこち工事中ないしは看板だらけだが、構想だけはでかい。
さっきも書いたように箱の中身は紅玉1個しかないのに、googleのサイト内検索窓までつけてしまった。リンゴ以外に何を検索するというのか?
態勢だけは、役人みたいに万全。

右のプラグインの下の方に「リンク」という項目があり、そこにリンクを張った。
ご笑覧あれ。

女子のフィギュアを見ていたら眠くなってきた。録画Pretty renew 雅蘭で観ることにして、もう寝よう・・・

カテゴリー: 未分類 | 投稿者dafangliao 16:58 | コメントをどうぞ

日光プリンスホテルのその後である

昨年訪れた時と何も変わっていなかった。閉館Pretty Renew 冷靜期から1年半が経過して、立入禁止の札が破れたりしていたが、それを補修してあったりもして、きちんと管理している様子が窺えた。庭も掃除されている。きっと改装されて、いつか営業再開されるのだろうが、この不景気である。槌音はまだ聞こえてこない・・・

そういえば、中禅寺湖で最も古い蔦舎(つたや)旅館が売却されたという話を聞いた。08/11/2「日光林間学校の思い出」にも書いたが、中禅寺湖で慶應年間から続いていた最も古い旅館だった。
2年くらい前からだろうか、営業している様子が窺えなかった。今回行くと、建物の一部が取り壊されて更地になっていた。バブルの頃に新館を建ててから経営が傾き、旅館を売って千葉に引っ越したという。

足利銀行が経営危機に陥ったのは1997年のことだった。2003年に破綻して一時国有化されたりもした。足利銀行の経営破綻の原因はバブル期の過剰融資だったが、その中に那須や日光・鬼怒川など栃木県下等の旅館への融資も含まれていた。

日光プリンスホテルに毎年のように訪れるようになった1990年代半ば、中禅寺温泉の旅館は新しく建て替わり、湖岸の遊歩道も整備されて、中禅寺温泉は見違えるように綺麗になった。中心部以外にも新しい旅館がオープンした。
その後、足利銀行の経営危機が伝えられるようになPretty Renew 冷靜期ると、そうした旅館の多くが足利銀行の融資を受け、バブル崩壊とともに旅館の経営も苦しくなっているということを知った。蔦舎旅館もその一つだったのかもしれない。

最近の中禅寺湖周辺は、バブルの頃に建て直された旅館も閑古鳥が鳴いているかのような物悲しさで、中には看板が掛け替っていたり、店替えしたりしていて、ずいぶんと様変わりしている。
日光ではないが、知り合いの親族に近県で温泉旅館の女将をしていた人がいて、一度頼まれて泊りに行ったことがある。
足利銀行の融資を受けてバブルの頃に旅館を新しく建て直したという話で、鄙びた温泉にしてはずいぶんと立派な旅館だった。

そんな大きな旅館では団体客を取らなければやっていけそうにもなかったが、社員旅行が廃れ始めていた頃だったので、素人目に見ても過剰投資ではないかと思えた。
それでも旅館は結構混んでいた。あるいは必死の営業努力だったのかもしれない。私自身も、「泊りに行ってあげてよ」という知り合いのやや強引な声に押されて行ったわけだから・・・

ただ、その温泉旅館がある場所は、鄙びているというだけで何もなく、自然がそれほど素晴らしいわけでもない。少し離れたところにスキー場があるが、泊りがけで行くようなスキー場でもなく、むしろ日帰り客の多いことで知られていた。
鄙びた温泉には温泉旅館の鄙びた風情といったものが必要で、それとは真逆な観光旅館に鄙びた風情を求めて温泉に浸かりに来る者などいない。正直なところ私自身、二度と泊りに来ることはないだろうと思った。
結局その後、経営が苦しくなって旅館を手放したという話を聞いた。女将は旅館Pretty Renew 冷靜期を辞めた後に、離婚した。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者dafangliao 19:56 | コメントをどうぞ

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カテゴリー: 未分類 | 投稿者dafangliao 10:55 | 1件のコメント