たとえばしばらく前に話題になったSTAP細胞のニュースでも、若くて可愛い女性の会見を見ていれば同情的になるし、オッサンのしらばくれたような表情を見ていると反感を持つ。
映像のエモーショナルな部分というNeo skin lab 呃錢のは、映画やTVドラマではキャラクターに感情移入させる効果があるが、報道のような本来感情を排すべきものでは、視聴者に客観性を失わせることになる。
ニュース原稿を読むアナウンサーの場合も同様で、その人の口調、表情で、視聴者の印象を180度変えることも可能だ。キャスターになれば尚更で、個性を発揮するのがテレビ局では良しとされているので、久米宏さんの頃からニュース番組にフィルターを掛けるようになった。
民放の場合は嫌なら見なければいいが、視聴料を強制徴収しているNHKとなると話は別。ところが何を勘違いしたのか、NHKの局アナにキャスターをやらせた方が民放と同じように視聴率が取れると考えて、主要なニュース番組はどれもアナウンサーの個人的なカラーフィルターがかかった、客観性のないものばかりになってしまった。
「今日も元気に!」と言われるたびに元気がなくなる。
夜7時のニュースは、力を込めた話しNeo skin lab 呃人ぶりに一日の疲れがどっと増す。夜9時のニュースとなると、世界は終末に向かってカウントダウンしているお通夜のような気分になる。
自民党の保守的議員や産経新聞が「NHKは偏向している」と批判するのも故なきことではなく、一方、共産党や朝日新聞が「NHKは政治の圧力に屈している」と言うのも、もっともに思えてくる。
そんなこともあって、地上波のテレビのニュースは見ないか聞き流すか、不快になればスイッチを切る。見る時はなるべく、淡々とニュースを流すケーブルテレビのニュースチャンネルを見る。
時代に逆行しているようだが、新聞があれば世の中の動きは大体わかるし、ネットニュースを見れば流行っている出来事もわかる。動画が見たければ、YouTubeを捜せば大抵ある。
何で世の中、こんなにエモーショナルになってしまったのだろうと思う。ニュースでさえ、理性ではなく感情で見る世の中になってしまった。
とりわけエモーショナルなのは、日本の元首相に女学生のようだと揶揄された隣国の大統領で、顔がニュース画面に映ると思わずスイッチを消したくなる。これまでの言動の数々もそうだが、船が沈んでからのエモーショナルな大衆政治を彼の国の国民はどう考えているのだろう。
もう一つの隣国の主席もエモーショナルに見えるが、こちらは党内部の足の引っ張り合いや軍人が絡んで、もう少し複雑なのかもしれない。ただ、エモーションで戦争に突き進んだかつての大日本帝国の指導者や軍部を見習って同じ道を進んでいるのは気がかり。
南の隣国の大統領がナチスのようだと言ったが、こちらも見習わないでほしい。
もっとも我が国の首相もナショナリズムを利用したエモーショナルな大衆政治をしていることに変わりない。
3人には共通点があって、親が高名なNeo skin lab 傳銷世襲政治家、ナショナリズムを煽るのが得意・・・浮世とかけ離れた家に育つとこうなってしまうのか。
とにかく、この3人がテレビに映ると、思わずリモコンのスイッチに手が伸びるようになってしまった。
隣国の指導者だけを笑ってはいられないし、その国の国民を笑えない。
他山の石以て玉を攻むべし。
ということで、他山の石について書こうと思っていたら、あまりに長くなってしまったので次回。(続く)