「怪我もしたし厳しい時期もあった。
だけど僕はテニスへの愛と情熱を持っていた。」
2001年、15歳でプロ入りしてから20年
2005年、「19歳と2日」で初優勝してから
16年の月日が流れていた
「ラファエル・ナダルはテニス界が
久々に手にした宝物だ。
神様のお恵みだと思わないといけない。」
マッケンローはそうナダルを評価した
2004年、ポルトガルの大会で左足を痛め
ローランギャロスとウィンブルドンを欠場した
プレーこそ出来なかったが
何日間か身分証をぶら下げて
ローランギャロスには通った
滞在中にコスタにこんな事を話している
「スザンヌランランコートと1番コートを結ぶ通路を
歩いていたときのことだ。ラファは僕に
突然こんなことを聞いてきたよ。
(カルロス、僕がどうして今年
故障してプレーできなかったか分かるかい?)
何も答えないでいると
ラファは、こう言ったんだ。
(僕はまだここでお呼びじゃないんだ。
まだ僕の出番じゃないから故障したのさ。
勝てる時が来なければ
僕はここでプレーしちゃいけないんだよ。)
あんまり真面目な顔だったので
何も言えなかった。
そんなこともあったから、次の年にラファが
実際にプレーして優勝してしまったとき
その時の言葉を思い出して鳥肌が立ったよ。」
同じ故郷出身のモヤと
初めて練習をしたのは
ナダルが14歳のときだった
緊張していたナダルに
モヤは友達の様に優しく
話してくれたそうだ
2010年、テニマガがナダルに
故郷でインタビューしている
今年はディフェンディングチャンピオンではなく
挑戦者としてローランギャロスに挑みます
気持ちに何か変化はありますか
「率直に言ってノーだね。そんなことはないよ。
僕はいつもこの大会を愛している。
僕に出来るのはベストのテニスが出来る様にする事だけ。
それが全てなんだ。それ以外の事は何が起こるのか
そのときまで待ってみようよ。
でもローランギャロスは僕にとってとても特別な
大会なんだ。勿論すべての選手にとってそうなんだろうけど
他の誰よりも僕が一番特別に思っているんじゃないかな。
何故って最初のグランドスラムを勝ちとったのが
ローランギャロスだったからね。それに何回も優勝してる
グランドスラムもローランギャロスだけだし。
パリという街も大好きで凄く居心地よく感じる。
もう一度言うけど昨年勝ったとか負けたとかは
僕の心には何の違いも生まないんだ。
過去は過去であり一年一年が違った挑戦なんだ。」
昨年のローランギャロスを振り返って下さい
ソダーリングに対する敗北は貴方のキャリアのなかで
最も辛いものだったでしょうか
「分からない。たぶん最も辛いものではないと思う。
永遠に勝ち続けることは不可能だしね。
僕はそれまでの4年間、勝ち続けていたけど
昨年ローランギャロスにやってきたときは
ベストコンディションとは言えなかった。
それにソダーリングは素晴らしいプレーをした。
だから僕に出来るのは敗北を受け入れる事だけだったんだ。
でも、誓って言うよ。
最も辛いのは負けた事じゃなくて
その後、膝のケガのせいで家でじっとしていなきゃ
ならないことの方だったんだ。
1か月半もテニスをしなかったんだけど本当に辛かったな。
その後に腹筋の故障でまた休まなきゃいけなかった時も。
やっぱり正直に言って本当に辛いのは試合に負ける事じゃない。
僕はスポーツマンだ。コートに入った時
自分が勝てるかどうかは分からない。
負けるかもしれないけど、それは受け入れなければならないんだよ。
そう考えると本当に辛かったのは
自分がベストのコンディションでプレーできないと
知りつつ自分にとって最も大切な大会を迎えてしまった事だ。
膝に問題を抱え、それに心を悩ませる個人的な心配事もあった。
あのときは本当に辛かった。」
ナダルはロッテルダムと
アカプルコを欠場した
ナダルがプロ入りしてから20年
衝撃的な出会いから15年が
経とうとしていた
そしてナダルのカレンダーが
3月になった
春はもうすぐそこまで
近づいていた
VAMOS!! RAFA!!