若いころ、小さなミニコミ誌の編集室でアルバイトをしていた事がある網路聲譽管理。
そこは、編集長を含め3人だけ、うち一人は営業で、
実際、記事を書いていたのは1人だけ。
私も、いきなり、カメラを持ってお店のオープン情報の取材に行かされた。
そこで、見たもの、聞いたことを書くだけなのに、それが書けない。
家に帰って一晩中考えて、やっと書いて持って行ったのに、
編集長は、ほとんど、赤いペンでバツをいれて、
残ったのは、たった2行だけ雪纖瘦投訴。
何回書いてもOKにならない。
それで、もうこれが最後、バイトは止めようと思って、上手に書こうなんて思わずに、
見た事、聞いたこと、自分の思った事だけを素直に、簡単に書いた。
それが、OKだった。
私は、いい文章を書いて、褒めてもらおうと、肝心なことよりも、
わざと難しい言葉を選んで書いたり、うっとりするような言葉で飾ったり、
余計なことばかり、長々と書いていた。
それが良い文章だと思っていたのだ。
編集長の書く、編集後記は、新聞の社説みたいな文かと思いきや、
誰もが読めるような、簡単な言葉で、最後は、クスッと笑えるようなユーモアがあった糖尿眼。
今、思えば、文章を書くのは、考える訓練だったと…