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二人の娘は6歳違い。同じ幼稚園に通わせるも教室の雰囲気は異なることが少なくなかった。そのひとつに母同士の呼び方がある。
長女のときは子どもの名前にママをつけて「かなちゃんママ」「ひろくんママ」x bike。
それが次女のときには、お母さん自身の名前や愛称へと変わったのだった。「佳子さん」「純子ちゃん」「のんちゃん」といった具合に。
ママ友からの脱却作戦か。それとも個人尊重、誰かの母としてではなく、個人として付き合いましょうということか。それなら苗字でも差し障りはないだろけれど。
「みどりさんからの連絡で……、」
ある日突然「さやちゃんママ」から「みどりさん」に変わっていた石田さん。同じクラスのお母さんたち数人とランチをしていたときである。わたし以外は「みどりさん」が誰かを知っている様子。「そうそうひろみさんも……」。
ああ、このひとたちは名前で呼びあう親しい関係なのだと思い至り、ランチに誘われた不思議を思う。
「みどりさんって、どなた?」隣のひとに訊ねる。「石田さん」。「ひろみ脫毛 免費試做さんは?」。「山田さん」。「ああ、石田さんと山田さんね」。
以来わたしも「みどりさん」とか「ひろみさん」と呼んでいる、ということはなく変わらず苗字で呼んでいる。長女のときからわたしは苗字派なのだ。そしてわたしも名前でなく苗字で呼ばれる。口にこそ出さないが、そう呼んで欲しいという思いが伝わっているのだと思われる。
友人たちは優しい。こんなわたしとの会話ではだれかのことを話すとき、名前でなしに苗字にしてくれる。そんな寛大さに触れると、呼び名ごときに頑なになる自分を恥じるが、こればかりはなぜか馴染めない。
学生時代の友人は互いの違いはさておき、同じであることに喜び、容赦無く立ち入る関係であるが、大人になるほど違いをたのしみ、迷い、立ち入らない関係が求められる。それゆえ名前を呼び合うことにわたしは馴染めない。それゆえ、名前を呼び合うことに抵抗のないひともいるのだろう。
次女は中学3年生になった。幼稚園のほとんどの子どもが同じ小学校、中学校へ通っている。年々、母同士の関わり張琛中醫は少なくなるが、顔なじみである安心感は深まっている。この10年で確信したのは名前で呼び合うことは必ずしも親しい間柄とは限らない。である。
そういえば、男性同士は名前で呼び合わないが、「さん」と「くん」を使い分けて上下関係にこだわるようである。もしかしたらわたしが知らないだけで、女性同士にも苗字と名前を使い分けて、なにかを明確にしていたりして。