月別アーカイブ: 2015年11月

距離感

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二人の娘は6歳違い。同じ幼稚園に通わせるも教室の雰囲気は異なることが少なくなかった。そのひとつに母同士の呼び方がある。

長女のときは子どもの名前にママをつけて「かなちゃんママ」「ひろくんママ」x bike

それが次女のときには、お母さん自身の名前や愛称へと変わったのだった。「佳子さん」「純子ちゃん」「のんちゃん」といった具合に。

ママ友からの脱却作戦か。それとも個人尊重、誰かの母としてではなく、個人として付き合いましょうということか。それなら苗字でも差し障りはないだろけれど。

「みどりさんからの連絡で……、」

ある日突然「さやちゃんママ」から「みどりさん」に変わっていた石田さん。同じクラスのお母さんたち数人とランチをしていたときである。わたし以外は「みどりさん」が誰かを知っている様子。「そうそうひろみさんも……」。

ああ、このひとたちは名前で呼びあう親しい関係なのだと思い至り、ランチに誘われた不思議を思う。

「みどりさんって、どなた?」隣のひとに訊ねる。「石田さん」。「ひろみ脫毛 免費試做さんは?」。「山田さん」。「ああ、石田さんと山田さんね」。

以来わたしも「みどりさん」とか「ひろみさん」と呼んでいる、ということはなく変わらず苗字で呼んでいる。長女のときからわたしは苗字派なのだ。そしてわたしも名前でなく苗字で呼ばれる。口にこそ出さないが、そう呼んで欲しいという思いが伝わっているのだと思われる。

友人たちは優しい。こんなわたしとの会話ではだれかのことを話すとき、名前でなしに苗字にしてくれる。そんな寛大さに触れると、呼び名ごときに頑なになる自分を恥じるが、こればかりはなぜか馴染めない。

学生時代の友人は互いの違いはさておき、同じであることに喜び、容赦無く立ち入る関係であるが、大人になるほど違いをたのしみ、迷い、立ち入らない関係が求められる。それゆえ名前を呼び合うことにわたしは馴染めない。それゆえ、名前を呼び合うことに抵抗のないひともいるのだろう。

次女は中学3年生になった。幼稚園のほとんどの子どもが同じ小学校、中学校へ通っている。年々、母同士の関わり張琛中醫は少なくなるが、顔なじみである安心感は深まっている。この10年で確信したのは名前で呼び合うことは必ずしも親しい間柄とは限らない。である。

そういえば、男性同士は名前で呼び合わないが、「さん」と「くん」を使い分けて上下関係にこだわるようである。もしかしたらわたしが知らないだけで、女性同士にも苗字と名前を使い分けて、なにかを明確にしていたりして。

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空っぽ週間なのである

がんばって朝起きて、がんばって電車乗って、がんばって仕事片付けて、がんばってうちへ帰ってくる印傭

午後3時くらいまでは、このがんばっているモードで夜も荷造りがんばれるとおもうのだけれど、

帰りつく頃には、あともうお風呂入ってパジャマ着てドライヤーかけられたら、わたしちゃんてばもはやたいそうがんばりましたもうめいっぱい、という底がみえそうながんばるポイントしか残っていなくて、茫然自失としているうち眠らなくてはいけない真夜中深夜。

なんだ今日のこの稚拙極まりない感じは。

ありきたりでかまわないのだった。

けれど、ありきたりではつまらなかったのかな、わたしちゃんたちもしかして。

ねこちゃんを、飼ってしまえばよかったかしらとふいに考えた王賜豪總裁

だって、さみしくてさみしくてさみしくて仕方なかったのだ。

昼間ひとりにしておくのがかわいそうで、もうしばらく待とうとおもっていた。

けれども猫は元来夜行性であるし、わたしちゃんたちのかなしみを、もてあましたひとりきりを、そのしなやかな曲線と孤高の気だかさと無我夢中の猫パンチでもって、毎夜軽やかにわたしたちをわずらわせてくれたかもしれない。

ねこちゃん。

1年ののち、ものごとは想像もしえなかった事実をさらりと見せつけてきたりするもので、偶然居合わせたり聞いてしまったり、知ってしまったことの真相を、だけどもう主人公はそれほどの感慨を覚えることもなく、わずかばかりの驚き(それは知り合いの話かもしれないという見知らぬ第三者への親近感)も、やがて忘れてしまえる平易さでバスを降りていくDream beauty pro 好唔好

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根岸家家訓完結

もっとも、実際にそんな家訓があったわけではなく、
僕自身が育ってくる中での家風というか、暗黙の了解の中で
僕の人格を形成したことをまとめてみたのだ。
それは昭和の家風であり、いまの時香港 ツアー代の家庭事情に対して
ある意味で真逆の常識であったりもする。

第一条は、子供は学生であっても成人したら親の金を使うなというものだ。
親の金を当てにするどころか、家に稼ぎを入れるのがスジ。
実家から大学に通っていた僕は、学費も全部自分持ち、
食事代を家に入れるという暮らしをしていたのだ。

第二条は、酔っぱらい親父であっても、親父の稼ぎで一家は持っている。
せめて給料日は、親父に感謝し、特別待遇として
酒の肴を一品増やすというおふくろの配慮であった鑽石能量水

第三条は、親父に泣かされ続けた母親の意地ですな。

第四条は、家は貧しくても心は貧しくならないということ。
どん底でも、環境のせい、人のせいにせず、
自力で必ず這い上がるという意志です。

第五条は、電車の座席に座るのも、大人が先。子供はあと。
社会を支えているのは大人なので、子供は甘えてはいけない增強免疫力

以下は読んで字の如しである。

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巣立ちの春

明日から、長男は、新社会人。

晴天に恵まれた最後の休日を、どのように過ごしたのだろう余近卿余近卿余近卿
数日前から、遠方で、一人暮らしに苦闘している彼に、想いを馳せる。

これから平日は、仕事で疲れて、心の余裕も、
時間もないだろうから、自炊など望むべくもあるまい。

どのように工夫してやりくりして、栄養を確保してゆくのだろう。

洗濯など衣類の管理も、大雑把でもいいから、
きちんと清潔を維持していけるだろうか――

母親として、心配は尽きないのだが、
もう、息子の生活にも安易な口出しは無用だろう。

この1か月というもの、私はでき得る限りのことをした。
夜中に目覚めては朝まで眠れぬくらい、いろいろ考えもした。

けれども、親の心子知らずで、息子には、半分も伝わっていない。
(息子の心もまた、私には、半分も分かっていないだろう)

そのもどかしさを抱えたまま、巣立ちの時は来た。

力まずに、ベストを尽くしておいで!

そして、猫の頭を撫でたくなったら、
いつでも帰って、休んでいけばいい。

もう、私にできることは、遠くから息子の無事を祈ることのみ。

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紫陽花になったイグアナの話

六月の空は物悲しい。何故そんなに泣き濡れる。しくしく泣くたびに空は曇り、落とした涙は雨となって大地に降り注ぎ、紫陽花を咲かせ。

五月のことである。海の神であるポセイドンは、西太平洋一帯を例年通り回遊していた。多くのイルカや鯨たちに囲まれ、寛ぎながら夏を待ち詑びるのが何よりの愉しみであった。しかし、今年はどうも様子がおかしい。六月を前に東に移動を始めた。梅雨空を司る六月の女神が、ゼウスの許可もなく五月のうちにやって来たことが原因らしい。怒ったポセイドンは東太平洋へと安住の場を求めていった。

梅雨空を司る六月の女神は、海神ポセイドンに好意を寄せていた。ところが、海神ポセイドンは陰鬱で醜い六月の女神が予てreenex膠原自生より大嫌いであった。ポセイドンは、この時期になると日本近海にやって来ては視線を投げかけてくる六月の女神を堪らなく鬱陶しく思っていた。毎年のように、ポセイドンはあの手この手で女神を追い払おうと意地悪をした。その度に六月の空は涙を流した。

ポセイドンの移動とともに、ポセイドンの体温で温められた海水域も東へ東へと移動していった。温かな海水域は、太平洋の東の果てのガラパゴス諸島にもやって来た。この島の女神であるラリーニャは、日増しに温かくなっていく海水にただならぬ気配を感じ取っていた。
「五年ぶりにあの男がやって来る」
イルカ
ガラパゴスの女神であるラニーニャとは、大神ゼウスとアステカの女神との間に生まれた隠し子である。異国の神との間に誕生した背徳の女神は、ゼウスの娘でありながら人目を憚るようにこの島に幽閉された。時が経ち娘が麗しく育った頃、ゼウスはこの地に再びやってきた。そして、こともあろうに実の娘と交わった。一年後、ラニーニャは、尻尾が生えたままの嬰児を次々と産み落とした。ゼウスは、トカゲにも似たこの禁断の生命に驚いた。ゼウスはこの奇怪な生命をリクイグアナと名付けた。しかし、ゼウスはリクイグアナを忌み嫌って二度とこの蟲草Cs4地にやってくることはなかった。

絶世の美女ラリーニャの噂は世界各地の神々に知れ渡った。当然のごとく海神ポセイドンの耳にも届いた。ある日のことである。ポセイドンは多くのイルカや鯨を従えてこの島へとやって来た。ポセイドンはこの娘に一目惚れをした。分別を亡くしたポセイドンは堪らずこの娘と交わった。一年後、ラリーニャは再びトカゲにも似た奇怪な生命を次々と出産した。ポセイドンはこの生命をウミイグアナと名付けた。ポセイドンの血を引くウミイグアナは、ゼウスの血を引くリクイグアナとは距離を置き、父の住む大海原を望む海辺で生活をするようになった。

ポセイドンは、五、六年に一度はこの島の様子を窺いにやって来た。しかし、皮肉なことにポセイドンがやって来る度に、ポセイドンの体温で温められた海水は、ウミイグアナの常食である岩場の海藻を枯れさせた。ある日のことである。餌を失ったウミイグアナの一頭が、新たな餌を求めて陸へと上がった。陸上ではリクイグアナの一族が暮らしていた。ウミイグアナとリクイグアナ、背徳の子孫達に禁断の恋が芽生えるのに時間はかからなかった。ウミイグアナとリクイグアナとの間に新種のイグアナが誕生した。あまりにも醜い容姿をした新種のイグアナには雌雄の別が無かった。しかし醜くともゼウスの末裔である。哀れな子孫の姿を嘆いたラリーニャは、このイグアナに神の子を意味するエルニーニョという名を与えた。

生殖能力を持たぬ一代限りのエルニーニョが息絶えたとき、その魂は贖罪の意を以てゼウスが引き取った。雌雄を持たぬエルニーニョの魂はゼウスのもとで女神として甦った。ゼウスは一年に一度、六月の間だけだけ祖父であるポセイドンに合うことを許した。六月の女神は、祖父ポセイドンに会いたい一心で太平洋に程近い日本付近の空を選んで舞い降りた。己の子孫とは知らぬ海神ポセイドンは、自分に付き纏う醜い女神を邪険に扱った。ときには激しくぶつかり追い返した。その度に六月の空は涙を流した。流した涙は日本列島に梅雨をもたらした。

そして、ことしも六月がやって来た。ところが六月の女神は、五月下旬にはゼウスの許可を待たずに既に姿を現していた。掟を破った六月の女神にポセイドンは激高した。ポセイドンは六月の女神を遠ざけると、すぐさまその場を離れてラリーニャが暮らすガラパゴスへと旅立った。六月の女神は悲しさのあまり号泣した。流した涙は日本猴枣散列島で豪雨となった。一方ガラパゴスでは海水温が次第に上昇し始めた。このまま行けばウミイグアナの主食である海藻の成育に影響が出る。

ウミイグアナが陸に上がるのは時間の問題となった。これまで、幾度となくウミイグアナは陸に上がってきた。その度に背徳の歴史は繰り返されてきた。混血種のイグアナが誕生する度に、神々が起こした罪の連鎖はエルニーニョ現象となって再び罪の連鎖を引き起こすようになってしまっていたのである。ところが、六月の女神が流す涙は地上界で紫陽花となった。紫陽花はウミイグアナとリクイグアナの混血種の化身として今なお生き続けている。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 13:10 | コメントをどうぞ

ワンズの非日常

今日は朝散歩なしな。お昼からオヤツ買いに行って、そこで散歩するしな」

ワンズが理解しているかどうかはわかりませんが、「オヤツ」だけは何の事かわかっています皇室纖形
くらふとまーけっとには、もう数回行っているので、凛太郎は多分覚えているはずです。

会場につき、いつものブースの場所を目指していると、途中で理解したようで、ほぼまっしぐら。
母ちゃんがオヤツを買うと、たちまちギャン吠えの凛太郎。

何も食べさせてもらってないコのように、激しく「はよチョウーダイ!はよはよ」っていう感じで途切れること無く吠えます。
ほかにもワンコさんがおられましたが、吠えているのはウチの凛太郎だけです。
こちらの米粉クッキーチーズが大好物。今日は取り置きでお願いしておきました。
私たちが到着した時にはすでに全て売り切れでした。ワンちゃん人気のお店です。
ワンズのお試しを終えてから、仲良くメタセコイヤ並木を散歩しました。
相変わらず人気のメタセコイヤ並木です。

あちこちでデジカメ撮影される方が多いです皇室纖形 電話

栗拾いをしておられる方も多く、両手で抱えるように大きな栗の入った袋を持ち帰られる方ともたくさんスレ違いました。

飼い主はそれを「ええな~」と横目でみながら、昨日ワクチンを打った凛太郎は大事をとって途中から抱っこで歩きました。
晴れた空とメタセコイヤ並木は、なんだか心楽しくなりました。

ワンズは今日の非日常な体験を喜んでくれたかどうかはわかりませんが、人も犬も一緒でちょっといつもと違う体験は楽しいです。

ではまた
読んでいただいてありがとうございました皇室纖形 旺角

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 12:29 | コメントをどうぞ