がんばって朝起きて、がんばって電車乗って、がんばって仕事片付けて、がんばってうちへ帰ってくる印傭。
午後3時くらいまでは、このがんばっているモードで夜も荷造りがんばれるとおもうのだけれど、
帰りつく頃には、あともうお風呂入ってパジャマ着てドライヤーかけられたら、わたしちゃんてばもはやたいそうがんばりましたもうめいっぱい、という底がみえそうながんばるポイントしか残っていなくて、茫然自失としているうち眠らなくてはいけない真夜中深夜。
なんだ今日のこの稚拙極まりない感じは。
ありきたりでかまわないのだった。
けれど、ありきたりではつまらなかったのかな、わたしちゃんたちもしかして。
ねこちゃんを、飼ってしまえばよかったかしらとふいに考えた王賜豪總裁。
だって、さみしくてさみしくてさみしくて仕方なかったのだ。
昼間ひとりにしておくのがかわいそうで、もうしばらく待とうとおもっていた。
けれども猫は元来夜行性であるし、わたしちゃんたちのかなしみを、もてあましたひとりきりを、そのしなやかな曲線と孤高の気だかさと無我夢中の猫パンチでもって、毎夜軽やかにわたしたちをわずらわせてくれたかもしれない。
ねこちゃん。
1年ののち、ものごとは想像もしえなかった事実をさらりと見せつけてきたりするもので、偶然居合わせたり聞いてしまったり、知ってしまったことの真相を、だけどもう主人公はそれほどの感慨を覚えることもなく、わずかばかりの驚き(それは知り合いの話かもしれないという見知らぬ第三者への親近感)も、やがて忘れてしまえる平易さでバスを降りていくDream beauty pro 好唔好。