日別アーカイブ: 2016年1月25日

そう多くないらしい

なんで、そこから飛んでくるのかよくわからないが、
おそらく、わたしのこれまでの記事内のどこかに、「○の芝生」という文字が入っていたのだろうreenex
そういう記事を書いたのかどうか、などと、本人は覚えていないところが、じつに、いい加減であるが。

内向きの繊細な性格の、「○の芝生」のブロガーさん。
内向的なところは、わたしと同じだが、
わたしは、繊細ではなく、どちらかというと、ガラスのハートというよりは、銅の鈍い重いハート。
シャキーンと切り込むこともあるが、無神経なほうだろう。
マイコン制御で、精緻な作業ができるものではなく、直進しか機能がない工業用ミシンのようなものだろうか。
応用が利きにくいが、壊れにくい。

彼女のブログの圧倒的アクセス数には驚かされる。
確かに、素人のなかでは、読み物として、読み応えがある。
細やかな心理描写が、巧み。

と同時に、テーマに感情移入させられる読者が多いのではないだろうか。
わたしは、現役子育て世代ではないので、昔を思い出すしかないのだが、
「働く母親と、子育て」が、彼女のリアルタイム日常として、書かれている。

ガラスのハートでは、仕事をするには向いていないと感じる。
ガラスもだんだん、強化ガラスになるか、性能の良いプラスチック製になるか、
なんらかの変化がないと、ガラスのままでは行き詰まってくるだろう。

長女が貸してくれたコミックにも、「子育てしながら働く母親」が描かれているものがあった。
子供がまだ乳幼児で、病気になった時、保育所が預かってくれない事態が、じつに困るreenex
対策を講じなければ仕事ができない。
皆さん、どうしているのだろう?
長女の場合は、実家の母(=わたし)が、命綱となっている。
姪の場合は、旦那さんのご両親(リタイア)が、命綱。
長女の友人達は、やはり実家のご両親。
では、実家が遠い人や、実家が面倒を見てくれない人はどうしているのだろう。

わたしは、子供が乳幼児の頃、自分自身が病気になってしまい、夫の実家に子供ともに転がり込んだ。
その後は、わたしも病院通いから遠のき、子供も成長し、病気もほとんどしなかったので、両親の出番はなくなった。

○の芝生さんは、娘さんが小学生低学年なので、そうそうべったり、横に着いていなくいてもいいように思う。

子供が、「ママ、そばにいて。家にいて」と言うのを、
あらま、かわいそう、と思っていては、仕事ができない。
ネグレクトや虐待は赦されないが、そこそこの対策を練り、整えていれば、100点満点でなくても、見切り発車。
子供と一緒に、流されてしまうと、あとは、どうなるのか。
(よほどの重病で、かかりっきりにならなけれなならない場合は、別として)

子供が学校から帰って来るときに、家に居て「お帰り」と迎えてあげたいから、と、
専業主婦をいている元ママ友がいた。
彼女の場合、子供がいなくても、仕事はしないだろうと思われるが。
彼女に関してのみ言えば、子供はある意味、ダシに使われていると考えられなくもない。
あくまでも結果論であるが、子供にべったり手厚く過保護にしていると、子供は自立しにくくなるreenex
子供の要望をまるまる聞いてあげていると、際限ない。
親の方針があって、子供。
どの家庭にも、教育方針というものがあるはず。
ある程度、その時その時に細かいところは調整すればいい。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 12:46 | コメントをどうぞ