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ビリー ジーン・キングのラケットが12万5,000ドルで落札

ビリー ジーン・キングのラケットが12万5,000ドルで落札

12/18(月) 17:03配信

THE TENNIS DAILY

WTA(女子テニス協会)の創設者の一人としてしられるビリー ジーン・キング(アメリカ)が使用したラケットを手に入れるには、12万5,000ドルがどうやら必要なようだ。オークションにかけられた落札価格として、Nine.com.auなどが報じている。


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キングは現役時代には、世界ランキング1位になったほか、グランドスラムのタイトルを39回獲得。国際テニスの殿堂入りも果たしているだけではなく、1970年代にかけて広まった女性解放運動の最中に「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」として知られる男女でのエキシビジョンマッチに参戦したことでも知られている。

今回、オークションで落札されたラケットは、「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」の一つである、「ウィンブルドン」と「全米オープン」の優勝経験を持つ、当時55歳のボビー・リッグス(アメリカ)で使用されたもの。

リッグスとは最初、マーガレット・コート(オーストラリア)が対戦した。コートは2-6、1-6でリッグスに負け、2戦目として当時29歳のビリー ジーン・キングとの対戦が実現。5セットマッチで行われ、6-4、6-4、6-3のストレートでキングの圧勝だった。

現在、ビリー ジーン・キングとリッグスの試合は、「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」のタイトルで映画化されており、9月22日にアメリカで公開。ゴールデングローブ賞にもノミネートされている。

(テニスデイリー編集部)

※写真は「バトル・オブ・セクシーズ」の会場に入場するビリージーン・キング
(Photo by Bettmann)

ビリー・ジーン・キング(Billie Jean King, 1943年11月22日 – )は、アメリカ・カリフォルニア州ロングビーチ出身の女子テニス選手。1960年代から1980年代初頭までの四半世紀に及び、長い間女子テニス界に君臨した名選手であり、女子テニスの歴史を通じて最大の偉人のひとりに数えられる。レズビアンとしてカミングアウトしている。

1973年9月20日、ビリー・ジーン・キング夫人は当時55歳になっていた往年の男子選手、ボビー・リッグス(1918年 – 1995年)と有名な「男女対抗試合」を行った。リッグスはその4ヶ月前、5月13日の「母の日」にマーガレット・コート夫人に挑戦を申し入れ、当時「テニス界で最も有名な母親」として知られたコート夫人を 6-2, 6-1 で圧倒した。この後、リッグスは「私は男女同権運動を代表するビリー・ジーン・キングと試合をしたい」と声高に叫び、キング夫人への挑戦を宣言する。2人の男女対抗試合は“The Battle Of The Sexes”(性別間の戦い)と銘打たれ、大々的な告知が行われた。9月20日にテキサス州ヒューストンで行われた試合会場には3万人を超える観客が集まり、テレビ中継でも大勢の人々が見守った。キング夫人はリッグスに 6-4, 6-4, 6-3 のスコア(5セット・マッチのため、3セットのストレート勝ち)で勝利を収め、女性の持ち得る力を証明した。この試合をきっかけに、興行としての「女子テニス」が発展し始め、キング夫人はその後も女性の権利のために戦い続けた。

1966年のウィンブルドンから始まったキング夫人の「キャリア・グランドスラム」は、1972年全仏オープンをもって完成した。しかし、当時の女子テニス選手に与えられた賞金は男子の8分の1ほどに過ぎず、男女の賞金格差はますます大きな問題になっていた。キング夫人はアメリカで1970年代初頭に起こった男女同権運動でリーダーシップを取り、男子選手たちから離脱した「女性によるテニスツアー」を提唱した。これが1973年に発足した「女子テニス協会」の原型となる。

カテゴリー: 15-0 NEWS, 話題のニュース | 投稿者オールサム | コメントは受け付けていません。