27日にフランス・パリで開幕した「フレンチ・オープン」(5月27日~6月10日/クレーコート)の男子シングルス1回戦。
ローランギャロスでプレーした22年ぶりのエジプト人は、手を振り、大きな笑みを浮かべながらセンターコートのフィリップ・シャトリエ・コートをあとにした。試合の間、彼の名前を呼んでいた観客たちからの大きな声援に送られての退出だった。
スコアボードを見なければ、モハメド・サフワット(エジプト)がフレンチ・オープンの初日に、第4シードのグリゴール・ディミトロフ(ブルガリア)に対し、それほど競ったわけでもない1-6 4-6 6-7(1)のスコアで負けたのだ、と言い当てることはできなかっただろう。
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サフワットは日曜日に、ただそこにいるだけで幸せだった。というのも彼は、予選を勝ち上がることはできなかったが、本戦の試合開始の1時間ほど前に、自分がそこでプレーすることができると知ったためだった。
「僕のキャリアにおける、画期的な出来事だ」と、いつもは主にATPツアーの下部大会であるチャレンジャーでプレーしている、世界ランク182位のサフワットは言った。
「僕はただ、自分が今週やってのけたことを祝っているんだよ」
彼はロラン・ギャロスの男子シングルス本戦ドローに入った、7番目の『ラッキールーザー』だった(ラッキールーザーとは、本戦に欠員が生じた場合に補充される予選最終ラウンド敗退者)。その『7番』という数字は異例ともいえる高い数字で、記録である可能性もあるが、ITF(国際テニス連盟)による確認はとれていない。さらに、8番目のラッキールーザーが月曜日に、故障した第21シードのニック・キリオス(オーストラリア)に代わり、本戦に滑り込むことになる。
これは昨年11月に、グランドスラム委員会によって採用された新ルール――ドローが決まった木曜日よりあとに、プレーができる体調ではないという理由から、本戦開始前に棄権した選手に対しては、賞金の半額を与えるという――の下で実施された2番目のグランドスラム大会だ。棄権した選手に代わって本戦に出場した選手は、残りの半額(フレンチ・オープンの場合、それは2万ユーロ)と、プラス予選や本戦で勝つことによって積み上げられた賞金を手にすることになる。
この変更の裏にある理論は、故障していたり、体調が悪かったりする選手が、ただ賞金を得るためだけに試合を始め、それから棄権するという事態が起こらないようにすることだ。
「間違いなく、それは僕だけでなく、ほかの選手たちのために、より多くの本戦出場権を解放することになる」とサフワットは言った。日曜日に、ビクトル・トロイツキ(セルビア)が背中の故障のため棄権を決めたあと、サフワットは1996年USオープンに出場したタメール・エルサウイ以来となる、グランドスラム大会の本戦に出場したエジプト人プレーヤーとなった。
27歳のサフワットは、自分より前に6人の選手が待つ長いウェイティング・リストをクリアして出場するという、わずかな希望を抱きつつ、9時から9時半までウォームアップするため会場にやって来た。練習を終えたあと、彼は7番目の棄権者が出るかもしれない、という微かなチャンスにかけるため、『ラッキールーザー』のリストに名前を書いた。そして最後に、いいニュースが訪れた。
スザンヌ・ランラン・コートにある予選選手のロッカールームに、すべてを置いてあったというサフワットは、そこに行って自分の持ち物をかき集め、フィリップ・シャトリエ・コートに駆け戻らなければならなかった。
「できる限りうまく対処するよう努めたよ」とサフワットは言った。
一方で、ディミトロフが、対戦相手が代わったことを知ったのはサフワット以上に遅かった。彼は、11時開始予定だった試合の30分前に、フィリップ・シャトリエ・コートのロッカールームでたまたまトロイツキに出くわしたおかげで、その事実を知ることができたのだという。
「ビクトルが『グッドラック(幸運を)』と言ってきたので、『なんだ、どうしたんだ?』と聞いたんだよ」とグランドスラム大会で4度準決勝に進出したことのあるディミトロフは言った。
「プレーに関し、何をやろうとかいろいろ考えていたことから頭を切り離し、大急ぎで(サフワットの)プレーの仕方をビデオで見るための5分、10分が必要だった」
試合が終わったとき、ディミトロフはネット際でサフワットの右肩を軽く叩いた。負けた選手が、サフワットほどうれしそうに見えることは、かなり稀だろう。コートから去りながら、サフワットは大会公式タオルを2本ほど肩にかけた。
その少しあと、サフワットは、ラファエル・ナダル(スペイン)やロジャー・フェデラー(スイス)、グスタボ・クエルテン(ブラジル)ら過去のチャンピオンたちが活躍するフレンチ・オープンのテレビ放映を録画したことを憶えている、と話した。
「そういったものを見ることで、インスピレーションを得ていたんだ」とサフワットは言った。
「それが、もしかしたら、いつの日か僕もという考えを(生み出し)始めたんだよ」