わずか2週間の短い期間に、内島萌夏(うちじま・もゆか)は奈良くるみが勝つ姿を見て、2度泣いた。
1度目は、2週間前のフェドカップ(女子国別対抗戦)のとき。日本代表チームに「サポートメンバー」として帯同していた内島は、試合前には奈良の練習相手を務め、試合中はベンチから応援し、奈良が日本の窮地を救う勝ち星をつかんだときには、感動で涙した。
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2度目は、5月6日に行なわれたカンガルーカップ国際女子テニスの決勝戦後。このときの内島は準優勝者として、今しがた自分を破ったばかりの奈良が優勝カップを掲げる姿を、大粒の涙を流して見上げていた。
「もゆちゃんが打つボールを見て、私のほうから試合前のアップをお願いしたんです」
フェドカップで日本の命運がかかった試合を控えた日、奈良は16歳の少女を自ら練習相手に指名したことを明かした。
「打つボールからして、この子は違うなと。こんなこと言うと偉そうに聞こえますが、うまく育てば本当に楽しみな選手だなと思ったので」
プロ10年の経験を持ち、世界のトッププレーヤーと幾度も戦ってきた奈良の目にも、内島の打球は世界レベルだと映る。
「この子は絶対に、強くなるだろうな……」
実際にボールを受け、さらに確信を深めた奈良は、とはいえ「まさかこんなにすぐに決勝で戦うとは思いませんでした」と、驚き混じりの笑みを浮かべた。
内島がフェドカップのサポートメンバーに呼ばれたのは、昨年末に行なわれた22歳以下ナショナルチーム合宿への参加が契機だった。このとき、ナショナルチームの吉川真司コーチは172cmの長身をしならせボールをクリーンに打ち抜く16歳を見て、幸福な衝撃を受けたという。
「とてもしなやかで、身体の動きに無駄がない。余計なことをせずに、ボールに力を伝える能力がある」
その高い身体能力やボールを捕らえる天性の感覚は、「(大坂)なおみに似た才能」を想起させた。しかも試合形式の打ち合いでは、攻めるべき局面を見極めつつ、ラリーを組み立てる「ゲーム力」もある。
「すごいタレントがいる。これは大切に育てなくては……」
そう思った吉川はフェドカップの合宿に内島を呼び、さらには今回のカンガルーカップでもワイルドカードを出してくれるよう、主催者側に働きかけた。
「フットワークなどにはまだ改善の余地があるが、逆にそれだけ伸びしろもある」
柔軟な未完の大器には、次々と新たな経験と刺激が注ぎ込まれた。
内島の伸びしろが豊かなことは、彼女がテニスを始めてまだ7年という事実が物語りもする。
父親の赴任先であり、母親の母国でもあるマレーシアで生まれた内島がテニスに出会ったのは、日本に帰国して1年ほど経ったとき。最初は家族での遊びとして始まり、そのうち、となり駅のテニススクールに週1回ほど通うようになる。
そんな彼女のテニスキャリアが最初の転機を迎えたのが、6年前のこどもの日。都内のテニススクール開催のイベントで試合をしていた内島に、同スクールのコーチが「ウチでやらない?」と声をかけた。
そこから才能の原石が光を放つまで、さほど長い年月を要しはしない。2年前に全国中学生選手権で日本の頂点に立つと、昨年は16歳にして全日本ジュニア18歳以下の部で優勝。次々に戦いの舞台を広げる内島の疾走は、今年のゴールデンウィークで国内外のプロ選手が集うカンガルーカップの決勝にまで至った。
決勝で日本のフロントランナーの奈良と戦う内島は、失うもののない強みで伸びやかにコートを駆け、早々にリードを奪う。だが、4ゲーム目の序盤で奈良が転倒したとき、「打ち込むより、ボールを左右に散らし、相手を走らせたほうがいいのかも」との考えが頭をよぎり、その思いが彼女のリズムを内から崩した。
機動力と戦術眼に勝(まさ)る奈良にしてみれば、コートを広く使う打ち合いは自分の土俵だ。10ゲーム連取した奈良が瞬(またた)く間に勝利まで1ゲームに……内島から見れば、敗戦までわずか4ポイントに追い込まれた。
実力と経験に勝るベテランが、若い挑戦者を軽くいなす――。そのようなシナリオの終わりが見えたそのとき、ここから16歳の驚異の追い上げが始まることを予感できた者は少なかっただろう。だが、後がなくなり、「自分からフォアハンドで叩こう」と開き直った内島の強打には、それまでの流れを劇的に反転させる威力が宿る。
ベースラインから下がらず、高い打点で叩く内島のショットが次々に奈良のラケットの先をかすめていく。ウイナーの度に客席から沸き起こる驚嘆の声と、「まさか」の予感をまといながら、内島が5ゲーム連取で奈良を捉えた。
もつれこんだタイブレークも、内島が序盤でリードした。だが、余裕を持って打ったはずの甘いドロップショットが、結果的に最後のターニングポイントとなる。最後はバックのショットがラインを超え、内島の挑戦は1時間28分で終幕した。
表彰式でマイクを握り、まずは大会関係者たちに謝意を述べた内島は、奈良へと顔を向け、「奈良さん、おめでとうございます……」と言うと、そこからは溢れる涙に胸を塞がれ、言葉を続けられなかった。幾度も手の甲で目もとを拭い、「多くのことを今日の試合で学びました」となんとか絞り出した彼女は、涙声で、それでも力強く断言した。
「奈良さんのように、世界で活躍する選手になりたいです」
とめどなく落ちる涙の内訳は、「ここまで来られたことにびっくり」という驚きと、「いいプレーもあったし、課題も見つかった」という充実感。しかし、もっとも大きかったのは、「悔しい気持ち」だと彼女は言う。
「勝てたかもしれない」という悔いを抱え、同時に「相手にいろいろと考えさせるプレー」ができる奈良のすごさも肌身で感じた。それはジュニアの試合では知ることのない、新たな世界への扉である。
「観客がたくさんいて、今までと違った雰囲気のなかで試合ができた。こういうところで戦いたいと思いました」という彼女の世界ランキングは、今回の準優勝で400位を切り、戦いの舞台はさらに広がる。
6年前のこどもの日に本格的に歩み始めた内島萌夏のテニスキャリアは、16歳のこどもの日の翌日、大人への大きな一歩を踏み出した。