『ヒーローと言うテニスコーチ?』
テニスを始めたのが20歳の頃だけど、それまでは野球、卓球、
バレーボール、サッカーと、球技を中心にやっていました、
だから、最初テニスをした時は、なんて疲れないスポーツなんだ!
と思いました、
個人の経営するテニスクラブにお手伝いとして入り、
テニスを始めて2週間目ぐらいから、アシスタントコーチをして
1ヶ月目ぐらいから、自分で教えないといけないようになりました、
テニスマガジンは1970年頃から発刊されてたので、
古本屋さんから購入して、教え方、練習の仕方を勉強した、
また、川崎ラケットやフタバヤにお願いして、日本でトップクラスの
指導者を送ってもらい、普及活動とカバン持ちをしながら
生きたテニスを学んだ
また、デ杯の合宿が沖縄で行われ、憧れの雑誌に乗ってる選手が来て
練習の合間に、教えてくれるんだよね、これが感動でした、
九鬼プロや、神和住プロは、最高でした、
年末になると、テニス日本一の柳川高校が合宿に来た、
プロでも大活躍した白戸選手、小島選手、千田選手
この頃、中学生で参加してた、天才の二本松選手、
新春テニストーナメントで、一緒に試合も出来たし、
プレーを分析したり、合宿の練習メニューが学べるました、
学んだ事は、自分で試して後に直ぐに実践、
あちらこちらの高校に出向き、教えました、
教えた人が、大学に入って来て、大学の部を作り
学生連盟を作り、大会を作り、高校や中学の普及活動をしてと
大忙しな毎日でした、
だから今までも、プレーヤーとして大きな実績を上げた事は
一度もありません、凄いプレーも出来ません、
誇れるのは、普及活動で沢山の人を教えて来たのと
いろんな中学や高校に出向いて、一緒にコートを作ったのと、
テニスを強くする為には、ジャンルを拘らず、良い所を取り入れる、
選手の個性を認め、其々にあった教え方が出来る、
世界のテニスを分析し、出来るだけ10年先のテニスを教える
ヒーローと関わった人は、何かが変わり、自分らしくなったり
心もテニスも強くなる・・・・・・・なんて自慢するのは、
まだまだ人間が出来てないですね、日々精進します。