2001年・インド戦最終日

おはようございます!貴男です。
昨日の続で2001年のデ杯・インド戦の模様を書いていきます。初日が1-1となり、インドがダブルスを制して2-1とリードしての最終日の第1試合です。僕が第1セットを7-6で取り、パエスが第2セットを6-1で取り返してからの攻防は、より繊細な駆け引きが繰り返されタイブレークに突入します。このセットを取れば優位にゲームを進められるのは分かっていたので、僕としては、何としても取ってパエスにプレッシャーをかけたい気持ちが強かったです。
タイブレークとなれば1ポイントの重要性が高まり、会場の応援もボルテージが上がります。その応援を背にタイブレークを取ってセットカウント2-1とリードしますが、変にパエスが落ち着ているのが気がかりでした。不気味と言うか、これが経験というものなのか、その時の僕には分かりませんでした。案の定、第4セットが始まってもパエスは冷静にゲームの流れを読み、ポイント間の時間を十分に使って自分の間を作り、効果的なネットプレーを使ってプ更にレッシャーをかけてきました。
こちらとしては1ブレークすれば一気にゲームを終わらせることが可能ですが、それが思いの外遠くパエスの調子が上向いてきます。第4セットをパエスが6-4で取ってファイナルセットに入りますが、ここでも僕はブレークが出来ません。結局ファイナルセットも6-4でパエスが取って、インドの勝利が決まりました。パエスに3勝され、ここという場面でのパエスの強さをまざまざと見せ付けられた3日間でした。ダブルスと最終日のシングルスがセットカウント2-1とリードしながらの逆転負けだったので、かなりの落胆がありました。
そして何よりも神和住監督は、インドに対して勝ちたいという思いが選手時代から強かったので、本当に申し訳ないことをしたと今でも思っています。ただこの後に2003年のアウェーで負けたものの、2004年の大阪・靭テニスセンターでは、最終試合で本村さんがパエスに勝利して74年ぶりにインドに勝てた時の監督が神和住さんだったのが何よりの救いでした。
最近は、ワールドグループで戦うのが当たり前と言われるほど選手達のランキングが高いし、注目度も以前とは比較になりません。テニスの軸は個人戦ですから、サッカーのワールドカップと一緒とまでは言いませんが、国の代表として戦うという意味では一緒です。ホームゲームではもちろんですが、デ杯チームを応援しようと遠いアウェーの地であっても現地に駆け付けてくれるファンを大切にしながら頑張らなければいけないと思いました。
それでは、また・・・・・。貴男


カテゴリー: 未分類 | 投稿者鈴木貴男 09:49 | コメントをどうぞ