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新しいひとたち

日記をつけ続けたことなんて無かった。 手紙ならいっぱい書いたことがある。

静岡の掛川に行ってきました。 実は僕、ビルのガラス拭きのバイトを始めたんです。といっても、今日の現場瑪姬美容はフロアクリーニングだったんですけど。 何故ビルのガラス拭きかというと、話が長くなるので、それは今度書きます。

昨日バイトの面接があって、今朝の9時過ぎに採用の電話がかかってきました。「採用ということなんですけど、急なんですけど、今日の夜7時からなんですけど、入れますか?現場が静岡でちょっと遠いんですけど。」という、冗談みたいな電話でした。 静岡? もちろん僕はノリで引き受けました。だって静岡ですよ。

夜7時ちょうどに事務所に着くと、若い坊主頭の男の人しかいませんでした。とりあえず挨拶をして、三つあるスチールデスクの一つに座りました。 彼は報告書のようなものを作っている様子でした。 時間が流れました。 7時半頃、30才過ぎの坊主頭の人が来て、僕は挨拶をしました。 若い坊主頭が報告書を作り上げると、二人の間で二人にしか分からない話しが続きました。 たまに僕に話しかけることもあったけど、僕にほとんど興味は無い様でした。 8時半頃もう一人来ました。彼は坊主頭ではなかったので、少しほっとしました。 彼は無口で、顔が青白くて、目が泳いでいるだけでした。

さて、出発です。 掛川まで高速を飛ばして4時間、僕はほとんど喋らずに半分眠詩琳美容っていました。話しかけるのが、はばかれる雰囲気が、白いライトバンの中に立ち込めていました。バスの運転手と乗客のようでした。でも一つ気がついたことがありました。

それは、狭い車内に4時間もいると、たとえ全然知らない人でも、何となく親近感がわいてくるということです。 僕は後部座席の右側に座っていたんだけど、喋らなくても常に視界に入っているだけで何となく、僕は彼らのことを少し分かったような気がしました。 それは彼らの彼らにしか分からない話を、僕が理解しようと努めたからかもしれないし、僕の生来の性格のせいかもしれません。 でも何となく僕は彼らのことを身近に感じました。そして、意外にも新しく出会った人たちを身近に感じている自分に気付き、新潟で9年間監禁されていた少女と監禁していた男のことを考えました。 冬の寒いある日「今日は天気がいいね」と、少女が男にぼそっと話しかける様子を想像しました。

現場は「ムー大陸」という名前の大きなゲームセンターでした。仕事自体は簡単で、3時間詩琳黑店で終わりました。ずっとモップをかけていました。移動に8時間かけて、仕事は3時間。楽といえば楽な仕事でした。 高速の途中、マイナス4度という電工掲示板を見ました。車の中からもたくさんの星が見えました。

さて。明日は朝の8時に事務所に集合です。 ちょっと変わった世界で、これから知らない人にいっぱい会うのかと思うと、何となく面倒にも感じるけど、楽しみでもあります。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 11:11 | コメントをどうぞ

ごんぎつね

大好きな絵本のこと。
実は、先日新聞に、新美南吉の『ごんぎつね』のオリジナルテキストがあって、私たちが読んできたのは雑誌『赤い鳥』主宰者・鈴木三重吉が添削したものだということが書いてありました。

え? そんなことがあるんだ、と驚いたり、確かに作家が書いたものを、より読者に受け入れられるような形に編集者、あるいは雑誌の主宰能量水者が添削を入れるってのは、あるとも聞くしなぁと納得したり。
もちろん筋立てが変わるわけではないけれど、表現が変わると微妙なニュアンスが変わることもある。

そこで、ある学校の先生が、オリジナルのテキストと流通している『赤い鳥』版を両方使って比較しながら授業をされているのだとか。実際に、両方を読んだ子供たちの反応は豊か。
どちらがいい・悪いではなく、違いからどんなふうに感じるか、ということが大事なようで。

特に最後の場面は、ちょっとした言葉の違いで結構印象が異なっています。

確かに、通して読んでみると、ごんの気持ちの流れがずっと書いてあるのに、最後雪纖瘦だけ『ぐったりと目をつぶったままうなずいて」終わるので、何だか「ごんぎつね」は悲しい話という読後感が残ってしまっていました。
間違いで撃たれてしまったごんが、実は『嬉しかった』、という言葉を新美南吉が残していたんですね。
そして、撃ってしまった兵十は「おや」じゃなくて「おや――――――――」だったんですね。

読みようによっては子どもたちに「罪を償う話」にとられてしまいがちだったものが、この言葉で、「ごんが自分と同じように孤独な兵十に、つながりを求め続けた思い」が子供たちによりわかりやすく伝わるようになったと。

たった一つの言葉で印象や読後感が変わる。
これって結構怖い話だと思いけれど、物語というものの広がりも感じさせるなぁ、と思いました。

この黒井健さんの絵、本当に素敵ですよね。ほわんとした優しい絵。
お母さんのお葬式のシーンの彼岸花の赤、そのあとずっと兵十のあとをついていって様子をみているごんの姿。

分かって欲しくて、でも償いのためにやっていることをわざわざ言うこともないし、というよりも言えないし、ずっと後ろをついていっている。栗をくれたのは神様だという会話を聞いてがっかりしてみたり。
特に、兵十のお母さんのお葬雪纖瘦式を見て、穴の中でひとり反省している(文字通り、省みている/顧みている)ごんの絵がとても好きなんです(アップで……)。
そのあと、ちょっと離れたところから精一杯のことをしているごん。
(黒井さんの絵は、暗がりの中のその黄金の狐の毛が、とても印象的。)
ごんの色々な気持ちが集約して、「うれしかった」という言葉なんだなぁ。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 15:26 | コメントをどうぞ

片耳からの凶音

僕は同じクラスの友達と近所の駄菓子屋で遊んでいた。その駄菓子屋には、九十歳近いおばあちゃんがレジの前にいて、遠くから見型像設計課程たら生きているのか死んでいるのかわからない程ほとんど動かない。

おばあちゃんはいつも小型のラジオを置き、イヤホンを片耳につけて時折不気味な笑みを浮かべる。どんなラジオを聞いているのか気になった友達が、一度空いているもう片方のイヤホンを触ろうとしたら蠅を叩くかのように手を叩かれたそうだ。

いつものように十円程度のお菓子を漁っていると、一人の友達が小声で言った。

「なあ、あのばあちゃん、寝てないか」

レジの方を見ると、確かにおばあちゃんは目を閉じている。しかし目を閉鑽石能量水じているだけでは、寝ているとは限らない。片方の耳にはしっかりとイヤホンがついている。

「どうだろう。いつもあんな感じじゃない?」

「ちょっと、確認してみる」

友達は適当にあめ玉を手に取り、レジに向かっていく。

「これください」

友達の声量は、いつもより小さかった。そのためか、おばあちゃんは全く反応しない。友達はもう一度、今度は少し声量を大きく言うのだが、おばあちゃんは何も答えないどころか水飲み鳥のように身体を前後している。

僕のところに戻ってきた友達は、黙って頷き「あれは寝てる」と一言添えてあめ玉をポケットに入れた。
僕はその友達の行動に目を疑うようなことはなかった。友達がこの駄菓子屋に来る度に、何か商品をくすねることは日常茶飯事だったからだ。ただ今回ばかりはいつもの緊張感がないので、友達も満足していない様子。しかし次第に以前失敗した、おばあちゃんがラジオで何を聞いているのかを知るチャンスが舞い込んできたことに、友達の好奇心は沸き上がっていた。

早速友達はおばあちゃんに歩み寄っていく。空いている片方のイヤホンは、おばあちゃんの首元雪纖瘦
からだらしなく垂れている。友達はクヌギの木に止まるカブトムシを捕まえる時のようにゆっくりと垂れているイヤホンを手に取り、自分の耳につけた。

するとその途端、友達は何かに驚いたかのように身体をビクつかせた。そしてイヤホンを耳から外しておばあちゃんから離れた。どうしたのかと聞こうとすると「ごめん、先に帰る」と言い残し、僕を置いてお店から出て行ってしまった。

その様子を見て、気にならないわけがない。僕は恐る恐るおばあちゃんがまだ目を閉じているのを確認してからに近づき、イヤホンを自分の耳につけた。するとどうだろう。イヤホンからは何の音も聞こえない。その瞬間、何者かの視線に気づいた。目線を上げると、今までに見たことないおばあちゃんの鋭い視線が、そこにはあった。そして、ひび割れた口元から濁った声で「あんたは許してやる」と発せられた。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 12:20 | コメントをどうぞ

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カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 03:19 | 1件のコメント