なんと青い空、洗濯干すのを一瞬忘れて空を眺めました。青一色雲一つなくてほのかに木犀の香りが漂ってきます。秋だなあ。朝の仕事が終わって一息ついた十時半頃娘からメールが来ました。
毎日何らかの連絡はあるけれど大抵夜のこと。開けてびっくり、急な出張で岡山へ行くの雪纖瘦だけど今夜帰るよ….。折角だから土日、月曜も休暇とったから少しのんびり出来ると言う。
私頭の整理に少しかかったけれどひらめいた。それなら丁度真ん中あたりの街に夫の関わった宿泊施設がある。そこの温泉で落ち合ってのんびりしょう。
それから私はフル活動、明日の団地のレク参加の取り消し、ちょっとした旅支度。時刻表をみて、バスと電車を決める。そして昼食もとらなくては。ああ忙しい。メールが来てから三時間後、一時二十六分には上りの予讃線に乗っていました。
窓から見える真っ青の空、沖縄の海かと見まがうぼどの彩盒瀬戸内海の美しい水色。小さな島影も秋色に溶け込んで、私にとっては懐かしい懐かしい路線なのです。この沿線に夫の実家があり、新婚の私たちが住んだ街があり、そして離れ住んでいた結婚前の私たちが、切ない別れを繰り返した駅があるのです。
窓の外を見やりつつ、大昔に思いを馳せる私は、とても幸せでした。そして娘と二カ月ぶりの再会です。街は丁度秋祭りで絢爛豪華な太鼓台を初めて見た彼女は感激しきりでした。
娘はここに来るのは初めてで、私はこの時とばかりに色々話して聞かせました。ここは夫にとって思い出の職場で、若い時初めて単身赴任した場所です。ここに
四年間いました。そして最後の任地がまたここだったのです。初めて二人で来た時は建物も古くて職員住宅も粗末なものでした。こんな所に一人残して帰るのが嫌だと思ったことも思いだしました。
あの頃演歌の「さざんかの宿」がヒット中で、ここに山茶花の散歩道を作ってお客を呼ぼうと職員の方たちが張り切っていました。宿泊記念に山茶花の苗を買って植樹して頂き、名前を書いた木札立てました。職員たちは率先して協力しました。私も夫と参加しました。
今回それを思い出して訪ねてみました。低く刈りこまれ、まだ花は咲いてなかったけれど、三十年近い時を経て素敵な散歩道が昔のままにあり、植樹した人たちの名前が書かれた看板の中に自分たちの名前を見つけて、興奮気味の私に娘が笑っていました。
ああ夫と二人で見たかった。花が咲く頃又来たいとつい思ってしまいました。二度目に来た時は建物も新しく天然温泉も出来、職員住宅も立派なものでした。ここで最後の二年間、夫は責任者として職務を全うして、長いサラリーマン生活を終えたのです。
もうあの頃の職員の方などいるはずもないけれど、施設のあちこちで、夫にあったような気がして大満足の私でした。
それなのにもっと凄い贈り物を見つけてしまいました。部屋は五階で、大きなガラス窓は百八十度の視界いっぱいに瀬戸の海が見え、そこに今まさに大きな大きな夕陽が真っ赤に燃えて落ちて行くところでした。
「うわあーきれい! 」この一言以外二人とも言葉もありませんでした。海はきらきらと金色に輝き、やがて神秘的な茜色に染まっ行きました。「だるま夕陽じゃない?」二人が同時に言いました。テレビでは見たことがあったけど実物をみるのは初めてでした。
だるま夕日は秋から冬にかけて大気と海水の温度差が大きい日に、海面の暖かい空気の岩盤浴價錢上に冷たい空気が重なり、光が屈折するため海面からもうひとつの太陽が顔を出し沈み行く太陽とくっついたように見えるのだそうです。
ああしばらくは夢の国にいたような気持ちでした。この感動の余韻をそのままに温泉で手足をのばし、ご馳走を食べてご機嫌の私たちでした。