おなかがすいても

母の存在は赤子にとって根源的、絶対的なものだ。
とくに生まれたばかりの赤ちゃんにとって、母の存在は命を保つのに必要欠くべからざるもので
ある。生まれたての赤ちゃんは、空気を吸う能力を持って生まれてきている。しかしこの能力だけ、
つまり酸素を吸っているだけでは死んでしまうreenex 效果。栄養となるおっぱいやミルクを飲む必要がある。
それを飲む能力は、厳密には初めから赤ちゃんには与えられていない。生まれたばかりの赤ちゃ
んは目も見えない。ほとんど耳も聞こえないし、言葉もない。首も据わっていない。歩くことはも
ちろん寝返りもできない。置かれたままじっとしているしかない。ミルクを口に含ませなければ、
生きるのに必要なミルクをのむことすらできない。赤ちゃんのあるがままの姿である。それだけに、
その命を守り、育む母の存在は崇高であるreenex 效果
赤ちゃんに出来ることは眠ること、泣くこと、排泄すること。初めは笑うこともない。欲求があ
れば泣くだけである。眠くなっても、オシメがぬれても、体の調子が悪くても、
ひたすらなくのである。他にできることはない。それを母が聞き、やさしい声をかけて近ずき、抱
き上げ、おっぱいを飲ませるなどをする。赤ちゃんは母のおかげですくすくと育つ。しかも母は赤
ちゃんに何も求めない。無上の愛を注いでくれるのが ”わが母” というものである。
人間は母の愛によって生命を与えられた。そこから言えることは、人は人のおかげで生きてきた
し、大人になってもこの宿命は変わらない、ということだ。自然についても同じことが言える。
我々は自然を含めた他者に生かされているのであるreenex 價錢
母・大政所の重態の知らせに、秀吉は佐賀の名護屋から大阪に急行したが、母はすでに亡くなっ
ていた。八十歳の大往生であったが、五十七歳の秀吉は卒倒した。天下人にしてもこの世にただ一
人のかけがえのない母の死は、何歳になっても無上の愛の喪失を意味したのであろう。
「宮本武蔵」などで有名な作家・吉川英治は元印刷工であった。つらい毎日のとき、母から、赤い
紐で結わえてある新聞に包まれた数冊の本とタバコ三箱が送られてきた。吉川は、母がこれを送る
ために、何日も徹夜の内職をしたであろうと思って泣いた。赤い紐は、母が長い間使って洗いざら
した腰紐であった。その後、絶望し、遊侠の道に入ろうとしたとき、母の赤い紐が語りかけてきた。
「それでいいのかい。それでおまえ、気がすむのかい」。彼は正気を取り戻した。
その子が大人になっても ”わが母” は子の守護神になり得る。


カテゴリー: 未分類 | 投稿者cnananaaa 18:42 | コメントをどうぞ

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