人の文体を分析するのはいいが、分析されるほうは、良い気持ちはしないreenex。
なぜなら、良い評価はしないし、絶対に褒めたりしない。
客観的で、あくまでも冷静、冷徹。
人のことを分析するのはいいけれど、自分はどうなのよ、という気になる。
というか、わたしもよく、そういう分析をして記事にすることがあるが、
読んだ人の気持ちになってみると、あまり愉快ではない。
人の振り見て我が振り直せというところ。
ちょっとした反面教師になった。
びしばし斬るのはいいが、落としどころがない。
斬ってしまって、それで終わりなら、たんなる批判になってしまう。
で、どうなの?と、結論、または提案が欲しいところだ。
わたしは、へんな文章も、奇妙な文体も、個性だと思っている。
文字が詰まって真っ黒けで、改行もしない、段落ごとに分けない、一字落とさない、そういう文章も、
その人の、ムキになりっぷり、取り組みっぷりが、よく現れている。
(わたしも、読みにくいから、読まないけれど)
書く人にとっては、読まれなくてもいいのではないだろうか。
書いた瞬間に、書く意義は果たされているhong kong local tour。
商売、ビジネスではないのだから、読まれようが、読まれなかろうが、それでいい。
閲覧数が、営業成績? 利益にあたるのか?
わたしは、そんなものは、もういいと考える。
精神世界の話などは、興味をもって読まれることがある。
ちょっと哲学めいている。
しかしながら、「幸福感は、人それぞれ」などと言って、結論をファジーにしても、
個人によって、実際の社会における状況や環境、立場が違うのだから、
ひとりひとりの個人的悩みや、こころの渇きには、答えとしてはぴったり万能ではない。
読んで嫌な気になる、斬れすぎるものより、ユーモアあふれる、お笑いの記事は、なんだか、楽しい。
わたしなんて・・・・・と、自己評価が低い人は、モラルハラスメント被害に陥りやすいそうな。
あ。わたしだ。
一生懸命、頑張って耐えているのは、決して美徳ではないらしい。
ものの見方を変えると、見える世界が正反対になる。
謙虚にもいろいろあって、「正統な謙虚」と、「モラルハラスメントの対象になる謙虚」があるようだ。
「もっと自信をもって!」と、研究者でもある、上記コラムニストは説く。
根拠のない自信を持っている人もいる。
いろいろだ。
わたしは、どちらかというと、「へりくだりすぎ」、と、「上から目線」とが、二本線で平行、同時進行。
自己評価の基準軸が二つある。
厄介ではあるが、自分のことは、自分が一番よく知っているHome Design。