一個人幹什麼時候最孤單?

經歷蔡加讚了欺騙、謊言和折磨,在我心底、我只相信一個男人、那就是:我爸。

我不是強者,我只是一個懦夫,而我鋼具卻要擁有強者的心態,用強者的姿態支撐懦夫的靈魂。美文

青春就是這樣,不聽勸,瞎折騰,享過福,吃過苦,玩過票,碰過壁,使勁折騰,折騰累了,才發現自己轉了一個大圈兒,卻又回到了原地。可是,卻從不後悔,也並不埋怨,因為不轉這個圈兒,我可能永遠都不知道“原地”在哪里。
。一個人吃飯;一個人上班;一個人生活;個人旅遊;一個人逛街;一個人上網;一個人看電影;一個人睡覺;一個人哭泣;一個人去醫院;一個人發呆;一個人過生日;一個人淋雨

一個人會落淚,是因為痛;一個人之所以痛,是因為在乎;一個人之所以在乎,是因為有感覺;一個人之所以有感覺,僅因為是一個人!所以、感覺,在乎,痛過,落淚了,說明是完整不能再完整的一個人。難過的時候,原諒自己,只不過是一個人而已,沒有必要把自己看的這麼堅不新股認購
可摧。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 11:44 | コメントをどうぞ

我就是一只小小的魚兒

那是個夏日的午後,天空烏雲密,狂風夾雜著電閃雷鳴,瓢潑的大雨,從山間瀉下來,夾雜著泥土,突襲了我的小溪,恍惚間,我一無所有,等我清醒,我已經在一個未曾來過得大河裏飄蕩,我吃力的遊啊遊,有順著水流來到了渭河裏,我歡悅,我跳起來遙望涇河,傳說經緯分明,可是我一無所獲,就這樣,我在大河大江裏遊蕩,我也曾傻傻的,在黃河裏眺望那個與其媲美的長江,結果我到是吃了一嘴的泥,長江未曾望見………有個湖,也許它叫貝加爾,可是我知道它不是,水流在這裏緩緩的,我也停下來,歇歇腳,在這個被我命名為貝加爾裏,雀躍歡呼,它比我的小潭大好多好多,波光蕩漾,微微徐風,我在裏面遊弋,這裏有奇妙的水草,有很多和我一樣的叫作魚的魚,只是人家比我華麗,

塊頭大,力氣大,其實我有時也很恐懼,緊張,它們會咬我,欺負我,吃我,我的拼命的逃逸,我遊啊遊,其實除了它們,我還要逃離人們的那張漁網,雖然我小,我想我的味道一定很好,因為我未受玷污,純

潔,也許人們不吃我,但是我要做漏網之魚,其實我有時還要躲避那些長著翅膀的飛行者,它們可是饑不擇食,我可不願做它們嘴裏的小調味品,我想那是很可怕的悲劇………
有一天,我遊啊遊,來到了一個邊邊上,一個叫作海的入口,蔚藍的大海讓我傻了眼,可是聽說海水是鹹的,我的小溪是甜的,進入大海,我註定會石沉大海,聽說大海裏有時是可怕的,無風三尺浪,一不小心,我被拍死在沙灘上,那

是多麼的可悲啊………想到這裏,我拼命的調轉頭。擺著尾巴,使勁的向我的小溪的方向遊去,據說有一種叫做大馬哈魚的魚,每年都會遊向大河裏繁衍,不過在跳躍一個大石頭的時候很多會成為大棕熊的美味,想到這裏,有點恐懼,

我想要是我遇到大熊,我一定要搏鬥,我不屬於它們,我是一只勇敢的小魚兒………不管前路多麼坎坷我一定要找到,回到,我的小溪裏,那是我的家,那裏有微微的山風,柔和的陽光,歡樂的鳥鳴,我遊啊遊……我註定是滄海一粟,

變成一個新的開始………我仿佛聽到了小溪,聽到它潺潺的流水聲,在那個寂靜的山谷……川流不息…

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 13:15 | コメントをどうぞ

退院しました

ホントーはこんなプライベートなことをブログinvision group 洗腦に書くことには、だいぶ躊躇したのです。

乳癌の時は全然書かなかったでしょ?

余計な心配をかけるだけですからね。

でも、何年か経って読み返したとき、人生の大事水解蛋白件を書かなければ、ツマンナイなぁ~と思ったのでした。

・・・・・・

今後の治療方針は手術で得た組織の分析待ちです。

どうにかこれが最後の手術でありますように。(。-人-。)

・・・・・・

本人は至って元気なのですが、緊張した母乳餵哺せいもあって少々脱力感に襲われているみたいです。

お腹は見ていませんけれど、デレ~~~ンとなっているみたいです。^m^

皆様からお見舞いの言葉をいただき、ホントーにありがとうございました。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 12:07 | コメントをどうぞ

どーでもイイ話題

別に買うつもりがなかったのに、スキレットという小型フライパンを買ってしまった。

さっそく目玉焼を作ったら、見事に焦げ付いてしまい、タワシで擦ったくらいでは剥がれなかったreenex好唔好

玄関でピンポーンとなったので出てみたら、バアサンに弁当を届ける配達人が立っていた。

昨日配達したのに手付かずだったから、決まりで老人が孤独死していないかの安全確認だった。

この前見た映画で悪人役のサミュエル・ジャクソンが言った台詞。

この頃の温暖化は地球が病気で熱を出して人間を殺そうとしているのだ。

地球にとって、人間なんか病原菌みたいなもんだからね。

昨日は自主的に禁酒した。

流石に正月を口実に飲み過ぎたreenex價錢

毎日が正月なのにね。

今日はカミさんの誕生日。

マリメッコ?ロクシタン?アラビア?

他に何が好きだっけ?

昔付き合っていた業者の社長から年賀状が届いて是非電話番号を教えてくれと書いてあった。

前の会社を定年になってはや3年。

正直、メンドクサイと思った。

あの時の顔をまた演じなきゃならないのが面倒なのである。

超久しぶりのマクドナルドで100円のコーヒーなうreenex hongkong

確かに客数は少ないけど、この店は生き残ったのね。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 12:34 | コメントをどうぞ

日曜のミサと福屋の「スイーツ物語」

今日は近くの翠町教会に、ですが。
ただ、遠めの幟町と比べて1時間早いので、7時に起きると朝ごはん抜きで大急ぎで支度をしないと、洗濯物まで干してられないので、焦りました^^;
といっても、走れないので走りませんでしたが、おかげで少し遅れましたbeautymama

ですが、今日は終わったあとすぐ、アルベルト神父に持っていたロザリオを祝福して頂き、気持ち的に落ち着きました^^
あとで、ロザリオのお祈りしておこう^^

広電に乗って、広島駅まで行き、福屋広島駅前店での「全国スイーツ物語」を覗き、しっかり色々購入してきちゃいましたreenex^^;
又、糖分摂りすぎになっちゃうけど、もう気にしなくてもいいよね^^
残った時間は、好きなものを食べるんだ~!
私が買いたいと思って探していたのは、「とりいさんの芋ケーキ」の一番小さいSサイズだったので、売り切れにはなってませんでしたが、ガトーショコラとかは売り切れで、他にも人気のお店はものすごいひとだかりでした。
仙台の「ずんだ餅」と福島の「ゆべし」は残念ながらガラガラでした。
でもって、私も買いませんでした^^; 主人がまだ福島県で働いているというのに、ごめんなさい^^;
「とりいさんちの芋ケーキ」に関しては、こちらを。やっぱ、神戸方面のは美味しいですreenex

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 17:08 | コメントをどうぞ

「レスター条約」の締結であった

それから約半年後の8月4日、ジャン5世の懸念通り、アルマニャック派がカボシャン党からパリの町を取り戻した。
「取り戻す」と言っても、一滴の血も流さずに出来ることではないので、カボシャン党にしろアルマニャック派にしろ、パリ市民にとってはどちらも「迷惑な奴ら」でしかなかったが。
この頃、そのアルマニャック伯ベルナール7世は自分を支持する貴族と一族郎党に白十字の紋章が入ったものを着せている。それゆえ、この頃のパリを歩くと、白十字の紋章を身に着けた者達が闊歩していたことだろうreenex

そのアルマニャック派のパリ制圧を受けてか、約1年前にヘンリー5世として即位したハル王子は、ブルゴーニュ公と同盟を組む。
その中で、ヘンリー5世はとんでもない要求をしている。フランス王フィリップ2世や賢王(ル・サージュ)シャルル5世が制服した領地の返還とフランス王位の要求である。
それでも彼と同盟したということは、ジャン無畏公には「他に頼りになる者がいない」ということだったのだろう。
一応、「現フランス王」であるシャルル6世は、正常な精神状態でいられる時間の方が短く、王妃は不倫三昧。頼りになりそうな貴族は、敵対するアルマニャック派。自分で引き起こしたこととはいえ、しょうがないと諦めていたのかもしれないreenex

そんなブルゴーニュ公ジャンの思惑とは別に、若くてやる気満々のヘンリー5世は、1415年8月12日、いよいよノルマンディに上陸する。
「フン、今、フランスには本当の意味で王と呼べる者はおらん。そんな国との戦いなど、赤子の手をひねるより簡単なことだ!」
幼い頃から何度か従軍経験のあったヘンリー5世は、そう言うと鼻で笑った。その自信過剰とそれによる情報収集の至らなさが、この後、彼自身を窮地に陥らせるとも知らずに。

ノルマンディに上陸した彼は、約1万の兵でセーヌ川河口のオンフルールの攻城戦にとりかかる。
だが、意外にもこの城の守りは固く、落とすのに2ケ月以上かかってしまった上に慣れない遠征で、疫病にかかる兵士が続出してしまっていたreenex
「何故だ……。クレシーやポワティエでは、我がイングランドは大勝したではないか! しかもポワティエの時など、数では圧倒的に降りだったはず! 私と黒太子エドワードでは、何が違うというのだ!」

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 12:09 | コメントをどうぞ

専門家の言う事しか聞かない?

うちのキヨちゃんは思い込みが結構ある。その上、他人の話を聞かない所がある。決して協調性が無いとかではなく、どちらかと言えば怒ったり泣いたり笑ったりと、人間的に素直なほうである。ただ、自分の信じること、自身のある事などは譲らない。
そして、そんなキヨちゃんだが、お医者様とかその道のプロの言う事はすんなりと信用する。これが、同じ事を私たちが言っても通じないのに、プロの意見は鵜呑みにするのだからちょっと腹が立つ。
以前結果的に詐欺では無かったが、高額な工事を勝手に決めてクーリングオフ騒ぎがあった時も、私たち夫婦が何を言っても聞かなかったのだが、一級建築士の従兄から話をしてもらうと、掌を返したように、
「ちょっとおかしいとは思いよったんよ~。」
となった。
だから、逆手にとって心配する事や注意する事は、医師や看護師、それから「専門家」に言って貰うようにしている。
さて、今日は家の周囲の草刈りを近所のおじさんにしてもらった。と言うのも、キヨちゃんではもう無理だし、出来ると言われてもされては困るし、かと言って私やくりりんでは無理だからだ。キヨちゃん的には、男は全部そういうことが出来ると思っているが、そうはいかない。
この草刈り、当然かなり熟練した人で無いと出来ない場所なのだが、少し手前くらいならキヨちゃん(元気な頃)や私でも何とか出来た。そこで、この夏私が少し分け入って草刈りをしていたのだが、マムシに遭遇したのだ。
「母ちゃん、ここでは会うたことないぞ。」
と言うし、私もちらっと見ただけなので、絶対そうかと言われれば自身は無かった。にしてもマムシである。その日は作業をやめた。
ところが翌日私の止めた場所を、キヨちゃんが這うようにして作業していたので、危ないからと怒りながら止めたが、
「母ちゃんはハミ(マムシのこの辺りの呼び名)に会うたことない!」
と聞かなかったのだ。
それが今日、おじさんが草刈りをしていてマムシに遭遇したのだ。運悪く取り逃がしてしまったが、逃げ込んだ岩陰に殺虫剤を散布してくれた。
「そう言えば、夏にすずがハミに会うたって言いよったんよ~。」
と、おじさんに伝えるキヨちゃん。だからな、言うたやろう・・・。
そこまで、専門家に従順なのだし、専門家を頼るのだから、私たち「素人」に期待しないで欲しいのだけどなあ・・・。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 16:37 | コメントをどうぞ

そう多くないらしい

なんで、そこから飛んでくるのかよくわからないが、
おそらく、わたしのこれまでの記事内のどこかに、「○の芝生」という文字が入っていたのだろうreenex
そういう記事を書いたのかどうか、などと、本人は覚えていないところが、じつに、いい加減であるが。

内向きの繊細な性格の、「○の芝生」のブロガーさん。
内向的なところは、わたしと同じだが、
わたしは、繊細ではなく、どちらかというと、ガラスのハートというよりは、銅の鈍い重いハート。
シャキーンと切り込むこともあるが、無神経なほうだろう。
マイコン制御で、精緻な作業ができるものではなく、直進しか機能がない工業用ミシンのようなものだろうか。
応用が利きにくいが、壊れにくい。

彼女のブログの圧倒的アクセス数には驚かされる。
確かに、素人のなかでは、読み物として、読み応えがある。
細やかな心理描写が、巧み。

と同時に、テーマに感情移入させられる読者が多いのではないだろうか。
わたしは、現役子育て世代ではないので、昔を思い出すしかないのだが、
「働く母親と、子育て」が、彼女のリアルタイム日常として、書かれている。

ガラスのハートでは、仕事をするには向いていないと感じる。
ガラスもだんだん、強化ガラスになるか、性能の良いプラスチック製になるか、
なんらかの変化がないと、ガラスのままでは行き詰まってくるだろう。

長女が貸してくれたコミックにも、「子育てしながら働く母親」が描かれているものがあった。
子供がまだ乳幼児で、病気になった時、保育所が預かってくれない事態が、じつに困るreenex
対策を講じなければ仕事ができない。
皆さん、どうしているのだろう?
長女の場合は、実家の母(=わたし)が、命綱となっている。
姪の場合は、旦那さんのご両親(リタイア)が、命綱。
長女の友人達は、やはり実家のご両親。
では、実家が遠い人や、実家が面倒を見てくれない人はどうしているのだろう。

わたしは、子供が乳幼児の頃、自分自身が病気になってしまい、夫の実家に子供ともに転がり込んだ。
その後は、わたしも病院通いから遠のき、子供も成長し、病気もほとんどしなかったので、両親の出番はなくなった。

○の芝生さんは、娘さんが小学生低学年なので、そうそうべったり、横に着いていなくいてもいいように思う。

子供が、「ママ、そばにいて。家にいて」と言うのを、
あらま、かわいそう、と思っていては、仕事ができない。
ネグレクトや虐待は赦されないが、そこそこの対策を練り、整えていれば、100点満点でなくても、見切り発車。
子供と一緒に、流されてしまうと、あとは、どうなるのか。
(よほどの重病で、かかりっきりにならなけれなならない場合は、別として)

子供が学校から帰って来るときに、家に居て「お帰り」と迎えてあげたいから、と、
専業主婦をいている元ママ友がいた。
彼女の場合、子供がいなくても、仕事はしないだろうと思われるが。
彼女に関してのみ言えば、子供はある意味、ダシに使われていると考えられなくもない。
あくまでも結果論であるが、子供にべったり手厚く過保護にしていると、子供は自立しにくくなるreenex
子供の要望をまるまる聞いてあげていると、際限ない。
親の方針があって、子供。
どの家庭にも、教育方針というものがあるはず。
ある程度、その時その時に細かいところは調整すればいい。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 12:46 | コメントをどうぞ

それが本当だったら私も凄

「私の娘と主人の死は実は交通事故ではございません。娘と主人は暴漢に襲われたのです。
高校生の娘は今で言うストーカー行為を受けてまして
学校帰りに何度か後をつけられていたんです。
警察にも何度か相談をしたのですが・・・。
ある日、部活で遅くなると言った娘が予定の時間を過ぎても戻らず
それを心配した主人が駅まで娘を迎えに行きました。
家から歩いて直ぐの公園の入り口に娘の自転車が倒れてあり、
娘は、襲われてる処を主人に発見され、止めに入った主人を犯人はナイフで刺し
その後、犯人は娘までナイフで刺したのです。二人とも即死でした。
私は・・・何が起きたのか信じられずに何か月も、苦しみ続けました。」

「はな枝さんのご家族がそんな・・・酷い目に遭っていたなんて・・酷過ぎる。犯人はどうなったんですか?」

「犯人は未だ刑務所の中にいます。その犯人は家族に恵まれず
愛を知らずに育ったんだと後から聞いたのです。
憎しみは憎しみしか生まない。でも
私も忘れたくても忘れられないのです。娘と主人の無念を思うと・・・。
まだ17歳でした。主人も40歳・・・。まだ人生の半分も生きて無いのです。
こんな私を救ってくださったのが、花沢の奥様だったんです。
ボランティア活動をされていた奥様と被害者の会という処で知り合いました。
そして家族を全て亡くした私を花沢で雇って詩琳美容くださったんです。
類様は、その頃はまだお生まれにはなっておりませんでした。
奥様がご出産後、産後の具合が良くなくてフランスの田舎町に暮らす事になり
類様をこちらに残されて3年程療養しておられたのです。
類様は花沢の邸に一人になりました。その頃から人に対して興味を全く持たれずに
一人寂しく幼少期を過ごされました。3歳くらいからは奥様も日本に戻られたのですが
もうその頃には、類様とご両親の間には見えない溝が出来ておりました。
類様はとても繊細で、心の優しい方ですが、人を信じたり人を傍に置く事を苦手にしてます。
そんな類様がつくし様に心を開いて、進んで関わりを持たれようとされてるのには
理由があるんだと思います。つくし様が類様を初恋のお相手だとおっしゃいましたが
類様にもつくし様が初恋のお相手ではないのでしょうか?
わたくしはそう思います。」

「類さんが私を好きだと言うんですか?」

「はいそうです。」

「そんな訳は・・・。」

「いえ、私はそう思います。だからつくし様、お願いですから類様から逃げないでください。
お辛いでしょうが、きっと類様が守ってくださいます。
正面からぶつかってあげて欲しいのです。類様も未だ人間関係では弱い面をお持ちです。
類様のご病気の原因はつくし様と総二郎様の仲の宜しい姿を見てショックを受けたのです。
あの鰻の夕食の日でございます。あの日類様はお食事を仲良く召し上がるお二人を見て
声も掛けられずにお帰りになり熱をお出しになりました。雨に打たれてお戻りになった様です。」

「あの時類さんが私と総二郎さんを見てたんですか?」

「はい、それで苦しまれておりました。でもあのつくし様のゼリーでお元気になられて
それは本当に子供の様に喜んで。あのゼリーを食べるのが勿体ないって・・・。
でもお食べになると凄く美味しいって満面の笑顔で喜ばれたんです。」

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 15:55 | コメントをどうぞ

何処にも行かせない

「うん、それがね・・・。行こうと思って詩琳黑店た病院につくしちゃんを捜しに
来た人がいるって…連絡が来たんだ。だから先生にこっちに来て貰って
つくしちゃんを診察して貰おうと思うんだ。」
「でもここじゃ診察できないんじゃない?」
「先生の知り合いが産婦人科医でがん検診キットがあるから
それで一応調べようって・・・。その内病院にもつくしちゃんを諦めて
捜しに来る事も無くなれば、ここでも治療は可能だってさ。」
「そう・・・。分かった。」
「午後に先生が来るからそれまでまた温泉にでも入ったら?」
「うんそうだね・・・。じゃそうする。」

つくしは和也に言われるままに、温泉に入った。
窓の外は森が広がる。のんびり浸かってると窓の外でカサカサと音がする。
小動物でもいるのだろうか?目を凝ら詩琳黑店して見るが何も見えない。
こんな森の中だものリスとか猿とかいるのかも知れない。
そのまま気にせず温泉を楽しむ。だが・・また温泉から上がって着替える時に
違和感を感じた。下着の畳み方がまた違っているのだ・・・。
まさか痴漢?その時何故かあの下着泥棒の事を思いだした。
何故思い出したのか・・・。この畳み方だ・・・。
あの時・・・部屋に入られた時取られていない下着がこれと
同じ畳み方だった・・・まさか…嘘・・・。
ここには、和也君と私しか居ないのよ?あの下着泥棒は・・・まさか・・・。
そんな訳無い・・・きっと私の思い過ごし…和也君に限って・・・。

午後からつくしを診察に来たのは・・・あのT大学病院の
つくしに子宮筋腫だと告げた医者だったのだ。何故?
「T大の市川先生がどうしてここに?」
「青池さんに頼まれたんですよ、こんな所まで大変ですが
断れないんです。彼のお祖父さんの誤診をしたのは僕ですからね。」
「どういう事?和也君これは・・・。」
「つくしちゃんが、癌だって悩んでるから僕は力になろうと思っただけだよ。
先生に抗癌剤も持って来て貰ってる、早速今日から抗癌剤打つよ。
それに痛みがあるなら、モルヒネを持って来てくれたよ。良かったね。」
「抗癌剤って・・・。先生私は子宮筋腫なんですか?それとも癌?」
「さあどうだろう?僕は子宮筋腫だと診断したけど?
君はそれに満足しなかったんでしょう?だったら子宮癌でもいいんじゃない?
僕はどっちでもいいよ。抗癌剤も、もしも痛みがあるならモルヒネも用意してあるよ。」
「ひいいっ・・・嘘。いや。和也君どういうことなの?」
「つくしちゃんの希望通りにしてあげただけだよ?」
「私の希望通りって?」
「つくしちゃんは、自分が癌じゃないかと思ってるんでしょう?
だったらつくしちゃんには癌になって貰わなきゃ・・・。」
「じゃ・・・私は子宮筋腫なの?だっ詩琳黑店たら何故親や類は・・・。」
「それは皆がつくしちゃんが癌だと思い込んでるからだね。」
「・・・嘘。皆に嘘を吐いたの?癌だって」
「そうだよ。」
「あなたそれでも医者なの?嘘の病名を言うなんて?カルテは?」
「だから僕は、青池さんには逆らえないって言ったじゃないですか?
カルテだって、診療内容を書き換えたりすり替えるのは簡単なんですよ。
医師である僕達がやればね。他の人の検査結果をあなたのものと
すり替える・・・。同じ年齢の人は幾らでもいるんだから。
本当は俺は外科の医者だった。でも青池さんのお祖父さんの誤診で
産婦人科に廻された。もう少しで外科部長になれそうだったのに・・・。」
「そんな・・酷過ぎる。」
「つくしちゃんは癌なんだから、治療をしよう?モルヒネって
麻薬の一種だよ…。知ってた?癌じゃない人が打つとどうなるんだろう?
僕の言う事をちゃんと聞いてくれるようになるかな?」
「和也君あなたは狂ってる。私をモルモットにでもするつもりなの?」
「つくしちゃんは僕だけのものだからね。ずっとつくしちゃんを見てたのに。
もう気付いたよね?あのアパートの頃からずっとつくしちゃんを見てたよ。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者shuaigebb 12:05 | コメントをどうぞ