あり得るあり得ない

家を買って引っ越した先の隣人が殺人者だった……というのは、先に読んだ『クリーピー』という小説の設定だが、そういう話は心のどこかで「あるかも」と思うからこそ怖い。世の中には悲惨な事件やニュースが溢れているし「悪い偶然」はどこにでも転がっていて、いつ巻き込まれるか分からないと恐減淡皺紋れているところがある。

ところが、思いもかけない「いい偶然」がお話の中に出てくるとなると、とたんに「そーんな都合のいいことなんかないよ」と却下したくなるのは何故なんだろう。たとえば、家を買って引っ越した先の隣人が、行方も知れなかったこの世でただ一人の血縁者だった……なんていうことは、設定としてあまりに都合が良すぎると思ってしまいがちだ。

いい方も悪い方も、もしかしたらどちらも同じくらいの確率で「あり得る」(あるいは、あり得ない)日霜のかもしれないのに、わたしは「いい偶然」の方には簡単に「あり得ないあり得ない」と半笑いして、目の前でひらひらと手を振りたくなるのだ。夢がないなあ。

だけど、本来、わたしにとって「物語」は、特に子供の頃の読書体験は、そういう「いい偶然」や「思いもかけない良い展開」を楽しむためのものだったんだよなぁ……

……ということを、先日『ジェーン・エア』を読み終えてしみじみと思い出した。

そのくらい、「都合の良すぎる偶然」が多々ある話ではあったのだけど、それも含め、久しぶりに子どもの香港 治安頃の読書を思い出すような、胸おどる物語だった。


カテゴリー: 未分類 | 投稿者bvbdcksd 12:28 | コメントをどうぞ

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