目に見えなければなにも思わないが、
具体的に(記事や写真で)見えると、潜在的欲求のようなものを喚起されてしまう。
うなぎの蒲焼屋の店先のニオイに惹かれるのと同じか。
駅前の、バターがこげ焼ける、なんともいえない幸せのニオイに頬が緩楊海成むのと同じか。
頬が緩むのならいいが、買えなくて、空腹なら、腹が立つのみ。
マイナス効果である。
しかも、わたしののぞいてきた幸せブログは、わたしより人生の歩みとしては少し後。
5年~10年、わたしのほうが先輩である。
その人の幸せと同じ分野の幸せは、わたしは既に経験済みである。
しかも、わたしは存分に、満足している。
にもかかわらず・・・。
そうとう、わたしは強欲であると思われる。
さらに加えて、わたしが経験して、その人がまだ経験していない(もアジア MICEうすぐ経験する)幸せを想像すると、
どっとアタマが重くなる。
ひとの幸せで自分のアタマが重くなる、ってどういうこと?
これは、自業自得、欲が深い自分を戒めるには、もってこいの教材、題材である。
その人を否定することは、カンタンである。
比較したり、勝ち負けの分野、部分を見つけると、必ずある。
しかし、人をけなしてまで自分の満足を得たいかというと、そんなことはない。
人を不幸にして、強奪した金品で、身を飾っても、楽しくないようなもの。
その部分をピックアップして、「わたしのほうが勝ってるわよ」と仮に思ったとする。
それは、傲慢なだけであり、勝ったもの、戦利品は、そう思った瞬間、途端に色あせる。
人に自慢するために、頑張ったのではない。
自分のために頑張ったのだ。
それで、仮に人より勝っていたとしても、こころの中でだけ誇りに思う香港如新集團のは自由だが、
わざわざ、口に出して表現するのは浅ましい。